第31話 這い寄る混沌の影
サキの声が玄関ホールに響き渡った後、周囲は重苦しい静寂に包まれた。
ユカリはサキのその強い眼差しを、値踏みするように冷ややかに見つめ返している。
その美しくも恐ろしい最上位の魔女を前に、サキはふと、先ほどの凄惨な戦いの中でクティラとアザレアから断片的に聞かされた、あのおぞましき存在について思い至った。
ハイパーボリア皇国が放ってきた、あの生ける人間を素材としたという呪わしい兵器――。
サキはぎゅっと胸元の衣服を掴み、一歩、ユカリへと歩み寄った。
「……ユカリ様。訓練を始める前に、一つだけ聞かせてください。あの……魔導兵器というものについてです。私、さっきの戦いでその実物を見て……アザレアたちから、私が前にいた世界の人間も、あの兵器の犠牲になっていると聞いたんですが……」
サキの問いかけに、ユカリは感情の起伏を感じさせない切れ長の瞳を僅かに細めた。
少しの沈黙の後、ユカリは搬送されていくウルの背中から完全に視線を外し、サキへと向き直った。
「ああ、あれね。……アザレアとクティラの二人から、どこまで聞いたのかは分からないけれど。いいわ、あなたがこれからその身を削る訓練に挑むというのなら、敵の正体を知っておくのも悪くはないでしょうね」
ユカリはふっと冷たい息を吐き出し、まるで教科書の記述をなぞるかのように、淡々と、しかしあまりにもおぞましい世界の真実を語り始めた。
「ハイパーボリアの連中はね、自国の奴隷や、あなたが元いた世界の人間を、『異世界転移』や、『異世界転生』だのといった、都合の良い甘い言葉で騙して、この世界へと連れてくるのよ。そして、捕らえた彼らの身体を呪術によって無残に圧縮し、武器へと錬成する。それだけじゃないわ、真におぞましいのは、その先なの。彼らの肉体を、物質的な依り代としながら、そこにその人間の『魂』そのものも、凝縮して閉じ込め、さらにその内側へ、無理やり莫大なマナを押し込めるのよ」
「そ、そんな……騙して連れて来て……酷い……」
サキはあまりの衝撃に息を呑み、思わず自分の両腕を抱きしめた。
現代日本において、ライトノベルやアニメの中で憧れの対象として描かれていた「異世界転移」や「異世界転生」
それがこの世界カルコサの、ハイパーボリア皇国においては、人間を肉体ごと呪術で磨り潰し、兵器のパーツとして加工するための、最悪の罠に過ぎなかったのだ。
「酷い? ええ、あなたの価値観ならそうでしょうね。けれど奴らの狂気はそれだけでは終わらないわ。魔導兵器に込められた魔術の効力が切れると、奴らはその磨り減った魂に対して、また無理やり新しい魔術を、容赦なく注入して再利用するの。……そう、奴らは人間をただの『魔法が撃てる便利な武器』としか考えていないのよ。もちろん、刀なら戦いの中で折れたり、砲弾なら敵にぶつかって爆発したら、そこで全てが終わり。――でもね、サキ。魂を擦り切れさせながら永遠に道具として使われるよりは、いっそ爆発して消滅した方が、彼らにとっては救われるのかも知れないわね」
「そ、そんな……なんだよ、それ! そんなの……そんなのってないだろっ!!」
サキは怒りと絶望のあまり、床を強く踏みつけた。
拳を握りしめる指が白く震え、爪が手のひらに深く食い込んで血が滲みそうになる。元の世界で、自分と同じように平和に生きていたはずの人々が、言葉巧みに騙されてこの世界に連れて来られ、ただの便利な道具として消費され、壊れることでしか救われないというあまりにも不条理な現実。
「もちろん、私だってそんな兵器にされた体験なんて無いから、本当のところは、よく分からないのだけれど……」
ユカリはサキの激昂をどこか他人事のようにあしらいながら、さらに残酷な事実を付け加えた。
「あくまで聞いた話なんだけど、魔術の適性が全くない異世界の凡庸な魂に、許容量を超える魔術を無理やり注入されるのよ? 想像してみなさい。魂がマナで内側から絶え間なく灼かれ、引き裂かれるような苦しみと、終わりのない痛みを常に感じ続けるらしいわ。……そしてハイパーボリアの連中は、その閉じ込められた魂が放つ『絶望と怨嗟の感情』すらも利用して、兵器の魔術出力をさらに増幅させているのよ。しかもそれがここ数年、魔導兵器の数が増やしているのよ」
「そんなの……そんなの、悪魔じゃないか!!しかも最近増えてるって、それだけ多くの人たちが?!」
サキの叫びは、もはや悲鳴に近かった。人間をどこまで冒涜すれば気が済むのか。そんな外道な行いが許されていいはずがない。
「そうね。奴らは、あなたが元いた世界の考え方で言うなら、まさに『悪魔』そのものだわ。この世界カルコサの言葉で表すなら……そう、『邪神』ね。そして、そのハイパーボリアの裏で糸を引いている元凶――それこそが、貌のない神と呼ばれている、ニャルラトホテプと呼ばれている人物らしいのよ」
「ニャルラト……どこかで、聞いたような……っ」
ユカリの口から告げられたそのあまりにも邪悪な響きに、サキの脳細胞が激しく火花を散らした。記憶の引き出しが乱暴にこじ開けられ、カルコサに連れてこられて間もない頃、命を狙われた、あの最初の夜の光景が、フラッシュバックする。
「そうだ!!思い出した!!」
サキはガタガタと膝を震わせながら、自分の頭を両手で強く押さえた。
「どうしたの?」
ユカリが不審そうに眉をひそめる。サキは血の気の引いた顔で、ユカリの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「最初に……私がこの世界に、来てすぐ、私の命を狙ってきた最初の刺客が……死に際に、確かにその名前を言っていたんだ! 『ニャルラトホテプ様バンザイ』って……狂ったみたいに笑いながら、そう叫んで死んでいったんだよ……っ!」
点と点が一瞬にして繋がり、一本の巨大でおぞましい線となってサキの前に現れた。
あの刺客もまた、その邪神の手先だったのだ。
自分をこの世界へ引きずり込み、純潔を奪い、縛り付けたユカリへの、怒りと畏怖は消えない。
けれど、両方の世界の人々を磨り潰し、ウルをこんな目に遭わせ、今もなおカルコサの闇から自分を狙い続けている真の黒幕――その「邪神ニャルラトホテプ」への激しい怒りと恐怖が、サキの未熟な魔女回路を内側からカチカチと熱く脈動させ始めた。
「ふん……。なるほどね、やはりあの時の刺客も這い寄る混沌の差し金だったわけか」
ユカリはフッと冷酷に嗤い、サキの肩を強く掴んで引き寄せた。
「いいわ、サキ。敵の正体が分かったのなら、もう迷う必要はないでしょう。あなたが元の世界の人々の犠牲をなくし、この世界で生き残りたいと願うなら……その規格外の器を広げ、私の言う通りに強くなりなさい。破滅を免れたいなら、死ぬ気でついてくることね」
恐るべき魔導兵器。
甘い言葉での異世界転生や異世界転移には要注意ですねww




