第30話 決意
ユカリから告げられた冷酷な言葉が、サキの耳の奥で爆発したように響いた。
マナをすべて吸い尽くされれば、待っているのは確実な「死」。
そのあまりにも重い事実に、サキは言葉を失い、ウルの冷たい手を握ったままその場に凍りついた。
「でも……っ! じゃあ、ウルちゃんはこのままどうなっちゃうんだよ!? 怪我はないって言ったって、こんなに真っ白で、息だって弱くてキツそうなのに……ただ見殺しにしろって言うのかよ!?」
サキは恐怖を撥ね退けるように声を荒らげ、搬送ベッドの傍らに立つユカリを激しく睨みつけた。
「見殺しにするわけないでしょう。この子は私の大切な妹弟子なのよ」
ユカリは感情の読めない冷徹な瞳でサキを見下ろし、小さく溜息を吐いた。
「ただ、勘違いしないで。ウルは死にやしないわ。強大な魔力の器である彼女の魔術回路は、その魔力に耐えられる様に、頑丈に出来ているわ。今は体内のマナが、ほぼ完全に枯渇したことで、肉体が自己防衛のために深い眠りに入っているだけ。――ただ、問題はその期間ね」
「期間……?」
「ええ。外部からの危険なマナ供給を断ち、ウル自身の力だけで魔女回路を再起動させ、元の状態までマナを満たすには……最低でも、半年はかかるわ」
「半年……」
サキはその数字の長さに絶句した。
「そうよ。その半年間、ウルは指一本動かすことも、目を覚ますこともできない。完全に寝たきりの状態で、ただの生ける人形として過ごすことになるわ。ハイパーボリアとの抗争が激化しているこの局面に、私たちの最大の戦力であるウルが半年間も戦線を離脱する――。これがどれほど致命的なことか、あなたにも理解できるかしら?」
ユカリの言葉はどこまでも現実的で、それゆえに鋭くサキの胸を刺した。
ウルの命が助かるという点には心の底から安堵したものの、あのいつも元気いっぱいに自分の周りを飛び跳ね、ピンチの時には誰よりも頼もしく盾となって守ってくれたウルが、半年もの間、冷たいベッドの上から動けなくなってしまう。その事実が、サキの胸を激しい痛みが締め付ける。
(半年……半年も、ウルちゃんが動けない……。そんなの、この子にとっても拷問みたいなもんだろ……)
サキはベッドの上で静かに呼吸を繰り返すウルの幼い横顔を見つめた。
もし、自分のマナを分け与えることで、その期間を少しでも縮められるのなら。自分の命が危うくなる手前で、うまくマナの供給をコントロールできれば――。
そんな甘い考えがサキの脳裏をよぎった瞬間、ユカリの鋭い声がそれをピシャリと撥ね退けた。
「無駄な思索はやめなさい、サキ。あなたの言いたいことは分かっているわ。けれど、今のあなたの未熟なマナのコントロール技術では、ウルの飢えた魔女回路に触れた瞬間にすべてを持っていかれるの。それは救済ではなく、ただの共倒れよ。私の所有物であるあなたを、そんな無駄死にで失うわけにはいかないの」
ユカリの言葉は徹底して冷酷だった。サキを心配しているというよりは、貴重な資源である「規格外のマナの持ち主」を、無謀な行動で損失することを嫌っている――そんな魔女としての冷徹な意志が透けて見えた。
「そ、それならユカリ様がマナを分け与えて……」
「それが出来るなら、とっくの昔にやってるわ。ただ、この子に私のマナを分け与えると、私がマナ不足になって、高位の魔法が撃てなくなるのよ。しかも、彼女の魔女回路は再起動中だから、どのみちそれが終わらないと、マナも注入出来ない……もし、そういう時に、奴らが……」
サキは悔しさに奥歯を噛み締め、握りしめていたウルの手からそっと手を離した。
自分の未熟さが、ここでも足枷になっている。
クティラを助けるために回路を開き、極太の雷撃を放てるようになった程度では、この世界の本当の残酷な局面には、何一つとして太刀打ちできないのだと思い知らされる。
「サキちゃん……」
背後から、クティラが心配そうにサキの肩にそっと手を置いた。彼女の青黒い触手も、悲しげに床へとしな垂れ落ちている。
「……分かったよ。ウルちゃんが死なないなら、今はユカリ様の言う通りにする」
サキはぎゅっと拳を握り込み、顔を上げてユカリを真っ直ぐに見据えた。
「でも、ウルちゃんが動けない半年の間、ハイパーボリアの刺客がまたこの娼館を襲ってきたらどうするんだ? さっきだって、二人がいない留守を狙って、魔導兵器を持った暗殺者が二人も廊下に潜入してたんだぞ!」
サキのその言葉に、ユカリは初めて微かに眉を動かした。
「……刺客が二人? またアザレアの結界を破って、館の内側まで入り込まれていたというの?」
「ああ、そうだよ。クティラが身を挺して守ってくれなきゃ、私は今頃とっくに死んでた。ウルちゃんが動けない以上、これからは私だって、ただ守られてるだけの役立たずでいるわけにはいかないんだ」
サキの瞳に、これまでにない強い覚悟の炎が宿っていた。
ユカリに対する恐怖や畏怖は消えない。それでも、大切な仲間が倒れた今、自分がこの世界で生き残るために、そしてこれ以上誰も傷つけさせないために、もっと強くならなければならないと、魂の底から理解していた。
ユカリはサキの張り詰めた表情をしばらく無言で見つめていたが、やがてフッと冷ややかな笑みをその美しい唇に浮かべた。
「いい目をするようになったわね、サキ。……いいわ、ウルの戦線離脱は痛手だけれど、その半年間で、あなたを本物の『私の魔女』へと叩き直してあげる。覚悟しなさい」
ユカリの冷徹な言葉が玄関ホールに響く。ウルを乗せた搬送ベッドが静かに奥へと運ばれていくのを見送りながら、サキは訪れるであろう激動の半年間に向けて、自身の魔女回路の熱を確かに感じながら、静かに拳を握り締めるのだった。
「待ってて!ウルちゃん。私がもっと魔法を細かく、完璧にコントロールできるようになって、マナを今よりもっと、たくさん溜め込んでも平気な身体になれば……半年なんて言わず、3ヶ月後、4ヶ月後くらいになら!」
サキは遠ざかっていくウルの搬送ベッドを見つめながら、拳を強く握りしめた。
「その頃には、回路の再起動も終わって、ウルちゃん自身のマナも少しは溜まっているはず。だったら、その残りの分を、暴走させずに私から安全に分け与えることだってできるかもしれない……!」
ただ半年間、ウルの目覚めを指をくわえて待つだけなんてサキには耐えられなかった。
一刻も早くあの笑顔を取り戻したい。
まだ生まれて、短い彼女の人生で、半年間何も感じず寝ているだけ、というのは悲しすぎる。
その一念が、サキの胸の奥で燻っていた恐怖を完全に塗り替えた。
サキはバッと勢いよく振り返り、冷徹な瞳で自分を見つめているユカリの正面へと一歩を踏み出した。
「ユカリ様! お願いです、私にやらせてください! これまで以上の厳しい魔法の訓練と……それから、今よりもっと多くのマナを体内に溜め込んでも拒絶反応が出ないように、私の『マナの器』そのものを大きくするような訓練はないんですか!?」
いつもなら怯えて目を合わせることすら躊躇うユカリに対して、サキは真っ直ぐにその視線を受け止めて懇願した。
サキの尋常ではない気迫を前に、ユカリは薄い唇を微かに歪め、退屈そうだった表情を僅かに引き締めた。
「……マナの器を拡張する訓練、ね。言っておくけれど、あなたの体内のマナの総量は、現時点でも、規格外なのよ。それをさらに広げようというの?」
ユカリは冷ややかに、けれどサキの覚悟を値踏みするように言葉を紡ぐ。
「できないことはないわ。器の限界を超えてマナを注ぎ込み、強制的に魔女回路を押し広げる術ならある。――けれど、通常の魔法訓練とは違って、あなたの肉体そのものに凄まじい負荷が掛かるわよ。一歩間違えれば、それこそ訓練の最中にあなたの身体が内側から弾け飛ぶリスクだってあるわ。それでもやるって言うの?」
「やります……! どんなに身体に負担が掛かったって、ウルちゃんが寝たきりでいるのを見てるだけなんて絶対に嫌だ!」
サキの迷いのない叫びが、静まり返った玄関ホールに力強く響き渡った。
サキの心に決心が芽生えました。
これから更に厳しい試練が彼女を待ち受けます。




