第29話 ウルの帰還
部屋の中に入ったサキは、訪れた獣人の男たちを相手に、いつも通りの仕事をこなしていた。
もちろん、サキがこの世界で肌を許し、純潔を奪われたのは、これまでもユカリただ一人だけだ。
部屋の中での行為は、純然たるマナの分配のみ。
男たちへ指先を這わせ、己の体内に澱のように溜まっていく膨大なマナを効率よく吸い取らせる――
それだけの、極めて事務的で神聖な「作業」をサキは淡々と進めていた。
作業後、満足げに部屋を去っていく獣人の男たちを見送りながら、サキはベッドの端に腰掛けて「はあ……」と深く大きな溜息を漏らした。
「はあ……。今日の獣人は、いつもより随分と多くのマナを受け取ってくれたな。お陰で、驚くほど身体が楽になったよ……」
サキは自分の両手を見つめ、パチパチと皮膚の表面で微かに弾ける魔力を感じていた。
現代日本から召喚されて以来、サキの体内には、自覚のないまま規格外の質量を持ったマナが常に生成され、蓄積され続けている。
定期的に男たちに分け与えて消費しなければ、マナが溜まるにつれて身体の中から凄まじい圧力というか、肉体が内側からパンパンに膨らんでいくような、おぞましい破裂感が襲ってくるのだ。
(これをこのまま放っておいたら、私の身体はいつか風船みたいに破裂しちゃうのかな……。想像するだけで恐ろしすぎるでしょ。だけどさ……これって、ただ男たちに吸わせるんじゃなくて、自分で強力な魔法を放って消費して、減らせないのかな?)
サキは顎に手を当てて考え込む。
先ほど、クティラを助けるために放った極太の『ケラエノ』
あの時の、身体の中から一気に熱が抜けていくような全能感を思い出していた。
(もっと勉強して、アザレアやユカリみたいな大きな魔法を扱えるようになれば、自分で効率よくマナのガス抜きができるようになるんじゃない? よし、今度あのクソユカリに、ああ……ユカリに直接聞いてみよう。あの性格の悪さだ、どうせまた『そんなことも分からないの?』ってバカにされそうだけど……)
そんなことを、脳内でぼやいていた、その瞬間だった。
『――今、誰がクソですって?』
「ひゃいっ!?」
鼓膜ではなく、頭の真ん中に直接、冷ややかで、けれど極めて聞き馴染みのある、あの美しくも恐ろしい女性の声がガンガンと響き渡った。
「え? え? ええっ!? なんで!? ユカリ、どうしてあんたの声が私の頭の中に……っ!?」
サキは誰もいない室内をキョロキョロと見回し、大混乱に陥って自分の頭を両手で押さえた。
『ふん……。あなたが自分で『通信魔法』を使って、私の頭の中に直接話しかけてきたんでしょうが。自分でやっておいて何よその間抜けなリアクションは』
「げっ!! し、しまった……っ!!」
サキは自分の口を両手で覆ったが、もう遅かった。
先ほどアザレアを呼んだ時の感覚のまま、頭の中で「ユカリ」という存在を強く意識して思考を巡らせてしまったのだ。
(相手のことを考えただけで、勝手に思考の回線がつながって、心の中の声がそのまま飛んじゃうの!? この魔法、便利すぎるけどプライバシー皆無じゃん、ヤバすぎる……!!)
『で? どうして急に私に語りかけてきたのよ。それに、いつの間にそんな高等な通信魔法なんて使えるようになってたの? アザレアにでも、無理矢理叩き込まれた?』
「ま、まあ……それは、その……ちょっと、急ぎの連絡があったもので……。その、クソとか言ったのはただの冗談っていうか、口が滑っただけで……!」
『まあいいわ。ちょうどこちらも今、娼館の敷地に敷地に入ったところだから。その言い訳は、戻ったらたっぷりと、あなたの身体に直接他の魔法の成果も見せてもらいながら聞いてあげるわ』
「あ、帰ってくるんだ! ウルちゃんは!? ウルちゃんも一緒なの!?」
サキは焦りを引きずりながらも、大好きなウルの名前を叫んだ。
『ウルは……ええ、大丈夫よ』
「今、どこにいるの!?」
『娼館の、正面玄関よ』
「本当?!すぐに行く!」
通信が途切れるのも待たず、サキは勢いよく立ち上がると、部屋の扉をバタンと激しく押し開けて外の廊下へと飛び出した。
「どうしたの、サキっち、お仕事、もうおしまい?」
扉の横のソファで、触手をふよふよと、揺らしながら周囲を警戒していたクティラが、目を丸くして立ち上がった。
「ウルが! ウルちゃんが今、帰ってきたんだって!」
「え!? ウルっち?? そうすると、ユカリお姉様も一緒!?」
「クティラ、迎えに行こう!」
「そうする。待って、サキちゃん」
嬉しさのあまり猛ダッシュで廊下を駆け抜けようとしたサキだったが、ハッと気づいて足を止めた。
「あ、そっか〜。クティラは走るの、苦手だったよね。ごめんごめん、私、合わせるよ」
サキが歩調を緩めてクティラの歩幅に合わせると、クティラは嬉しそうに青黒い触手をパタパタと揺らし、ぱっちりとした目を細めた。
「ありがとう。サキっち。本当に、優しい」
二人は息を合わせるようにして廊下を急ぎ、娼館の広い正面玄関へと続く大階段を一気に駆け下りた。
「あ、いたよ! ウルちゃ〜ん! ユカリ――」
弾んだ声をあげて玄関ホールへと飛び込んだサキだったが、その言葉は、喉の奥で完全に凍りついた。
「え……っ!? 嘘、でしょ……?」
サキとクティラが目にしたのは、いつも元気いっぱいにサキの周りを飛び跳ねていたウルの、あまりにも変わり果てた姿だった。
ウルは、現代日本でいうところの「ストレッチャー」のような、魔導式の搬送用ベッドの上に仰向けに横たわっていた。その小さな身体からは完全に生気が失われており、顔面は紙のように白く、ぐったりとしてピクリとも動かない。
「嘘……なんで、どうして……っ?」
サキの身体が恐怖でガタガタと震え出す。搬送ベッドの傍らに立つユカリを見上げると、その美しい顔にも、いつもの余裕は一切なく、濃い疲労と苦渋の色が滲んでいた。
「サキ……」
「ユカリ様! どうしてこんなことに……!? ウルちゃんに一体何があったの!? どこか、大きな怪我でも――ハイパーボリアの連中に何かされたの?!」
「落ち着きなさい、サキ。ウルに怪我はないわ、命にも別状はないの。ただ、体内のマナが極限まで『欠乏』しているのよ。ハイパーボリアとの戦闘で、彼女の内のマナを消費し尽くしてしまったの」
ユカリの声は沈んでいた。
怪我がないという言葉に、サキは一瞬だけ希望を見出し、自分の両手をぎゅっと握りしめた。
自分の体内には今、男たちに分け与えてもなお、余り散らかしている「規格外のマナ」が満ち満ちている。
「ユカリ様! 私の、私のマナをウルちゃんに注ぎ込んで! 私のマナなら、いくらでもあるから! ウルちゃんを助けられるよね!?」
サキはベッドに駆け寄り、ウルの冷たくなった手を握りしめながら必死にユカリに懇願した。
しかし、ユカリはサキの言葉に、ゆっくりと首を横に振った。
「……確かに、あなたの持つマナの『総量』は凄まじいわ。けれどね、サキ。今のウルのマナの許容量は、それ以上なのよ。空っぽになった巨大な器に、あなたのマナを繋げばどうなるか分かる?」
ユカリの冷徹な、けれどどこか悲痛な眼差しがサキを射抜く。
「……引き込みの法則よ。ウルの枯渇したマナ回路が、あなたのマナを際限なく暴走させて、一瞬で吸い尽くしてしまうかもしれない。文字通り、根こそぎね」
「も、もし……私のマナが、全部吸い尽くされてしまったら、どうなるの……?」
サキが震える声で問いかけると、ユカリは静かに、けれど決定的な事実を告げた。
「――生きてはいけないわ。あなたが死ぬのよ、サキ」
玄関ホールに、冷酷な沈黙が落ちた。
ウルの命を救うための代償は、サキ自身の「命」そのものかもしれないという、あまりにも残酷な現実が突きつけられたのだった。
ウルの変わり果てた姿。
ただ、マナさえ補充出来れば、元気にはなれるのですが、器が大きすぎる彼女が、復活するのは、いつになるのでしょうか?




