第16話 生殺与奪の天秤
「な……なんでだよ! 殺されることが救いになるなんて、そんなのおかしいだろ!」
激昂して詰め寄るサキに、ユカリは感情の起伏を感じさせない冷徹な眼差しを向けたまま、静かにその理由を口にした。
「ハイパーボリア皇国の兵士たちはね、国に『魂』を握られているのよ」
「魂を、握られてる……?」
「そうよ。彼らは軍に組み込まれた瞬間から、魂に特殊な呪印を刻まれる。その結果、命の火が完全に消えない限り、たとえ腕や足を失おうとも、肉体の一部を損なおうとも、何度でも強制的に肉体を再生させられて、死ぬまで戦い続けさせられる運命を持たされているの」
ユカリの口から語られたおぞましい事実に、サキは言葉を失い、全身の血の気が引いていくのを感じた。
死なない限り、何度でも再生させられて、死ぬまで戦わされる。
それはつまり、戦死するまで楽になることすら許されず、壊れた道具のように何度も修理されては、死線へと引きずり戻され続けるということだ。
「そんなの、ただの地獄じゃんか……」
「ええ、地獄よ。だからこそ、ハイパーボリアの襲撃を受けた時は、中途半端に生かすことこそが最大の残酷になるの。手足が無くなったりしても、強制的に他人の手足を移植されて、また襲ってくるの。だから、肉体を塵一つ残さず完全に消し去り、その命の火を完全に絶ってあげることだけが、彼らを無限の奴隷労働から解放する、唯一の手段なのよ。……少しは事情を理解できたかしら?」
サキは何も言えずに、ただガタガタと震える自分の両手を見つめた。
人を殺さなければ生き残れないというだけでも恐ろしいのに、その殺生にすら「完全に消滅させることが救い」という狂った理理屈が存在する。このカルコサという世界の歪みと残酷さが、サキの精神を容赦なく削っていく。
(なんだよそれ……。じゃあ、あの国を、その魂を縛ってる大元をどうにかしないと、あいつらは死なない限り救われないってことかよ……)
現代人としての倫理観が悲鳴をあげていたが、サキの胸の奥には、恐怖とは異なる小さな「憤り」のような感情が、確かに芽生え始めていた。
「これ以上、あなたに言っておくことはないわ。……ウル、行くわよ。サキを少し休ませてあげなさい」
「……うん」
ユカリに呼ばれ、ベッドの上のウルは名残惜しそうにサキを見つめながらも、ぽんっと小さな煙を上げてツノ付きフェレットの姿へと戻り、ユカリの肩へと飛び移った。
ユカリは最後に一度だけサキを振り返り、静かに部屋の扉を閉めて立ち去っていった。
一人きりになった部屋で、サキは枕に顔を押し付け、長い沈黙に身を沈めた。
あまりにも重すぎる現実。
だが、生きるためには、この世界のルールに従って、あの弱っちい電撃魔法からでも少しずつ強くなっていくしかないのだ。
ふと、急に空腹を感じたサキ。
そう言えば昨日のあの時から何も食ってなかったよな。
胃の中のものも全部出してしまったし。
朝を食べにいくか。と部屋を出たところでナイアルとばったり出会った。
「ひどい顔だね。昨夜は一睡もできなかったのかい?」
「な、ナイアル……。なんで、まだここに……」
「君が心配でね。今君の部屋から出てきたユカリとすれ違ったけど、彼女の言うことは、少し厳しすぎただろう? 人を殺さなければ生き残れない世界だなんて、急に言われても受け入れられないのが普通さ。……僕は、君のその優しさを間違っているなんて思わないよ」
「……っ、なんで知ってるんだ?」
「廊下まで、まる聞こえだったよ、でもね。優しさも必要だと僕は思ってるよ。まあ、僕の場合は、優しくしないと女の子にはモテないしね」
その冗談ぽく話す言葉は、凍りついたサキの心に、あまりにも優しく染み込んできた。
ユカリには「甘い」と一蹴され、頼みのウルは恐ろしい姿を見せた。
誰も自分の味方はいないと絶望していた中で、ナイアルだけが、サキの現代人としての倫理観を「優しい」と肯定してくれたのだ。
サキは縋るような目で彼を見つめ、掠れた声で呟く。
「殺すのが、救いだなんて……そんなのおかしいよな。俺には……」
「うん、殺し合いが当たり前の、この世界は狂っているかも知れない。でも、それがこのカルコサの現実さ」
ナイアルは静かに立ち上がると、サキの頭を一度だけ、まるで兄のように優しく撫でた。
「君は君のままでいればいい。辛いときは、いつでも僕を頼るといいよ。……じゃあ、僕はこれで。もしユカリに見つかると、また小言を言われてしまうからね」
「あ、待って――」
サキが引き留める間もなく、ナイアルはフッと満足げな笑みを残し、まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、一瞬で廊下の向こうに消え去ってしまった。
後に残されたのは、静まり返った部屋と、ナイアルの言葉によって少しだけ救われ、同時に彼への依存を深めそうになっているサキの一人きりの空間だった。
(ナイアル……。あいつだけは、俺の気持ちを分かってくれる……のか?)
恐怖の中で見出した、唯一の蜘蛛の糸。
窓から差し込む朝の光を浴びながら、サキは自分の細い両手を見つめた。
ナイアルの優しさに救われつつも、ユカリの言葉――「弱いから狙われる」という現実は、厳然として横たわっている。
(このままじゃ、いつか本当に殺される。ナイアルが優しいままでいてくれても、俺自身が動けなきゃ、ウルの足手まといになるだけだ……)
すぐには受け入れられない。人を殺すなんて絶対に嫌だ。
けれど、せめて自分の身を守るため、そして凶器を向けられたときに足を竦ませないために。
サキの胸の中に、これまでの怯えとは違う、生き残るための「微かな覚悟」の澱が、静かに沈殿していくのだった。
カルコサにいる限りは殺らないと殺られる。
サキはこの弱肉強食の世界をどう生きていくのでしょうか?
よろしければ、面白い、続きが気になる!と思ってくださったら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価や、ブックマークをしていただけると執筆の励みになります!




