第13話 魂の残り香
血に染まった廊下で、ユカリの足元にぽふっと抱きついたウルは、琥珀色の大きな瞳に涙をいっぱいに溜めていた。
「ウル。あなたはどうして、サキのことをそんなに気に入っているの?」
ユカリの問いかけは静かだったが、その瞳の奥には魔女としての冷徹な観察眼が光っていた。
いくらまだ幼い妹弟子とはいえ、これほど頑なに、かつ無条件で、初対面のサキに懐くのは異常だったからだ。
ウルは小さな手でユカリのローブをぎゅっと握りしめ、涙を拭いながら、小さな口を開いた。
「……あのね、ウルがもっと小さかった頃、お師様に内緒で、夢の世界にいける『幻夢境』に遊びにいったことがあるの。そこでね、迷子になっちゃって……変な黒くて大きいオバケトカゲに囲まれて、怖くて泣いていたの」
「幻夢境に……? それで、どうしたの?」
ユカリが微かに眉をひそめる。
「そのときね、見たこともないお洋服を着た、優しいお兄ちゃんがふらっと現れたの。お兄ちゃんは『うわ、なんかリアルなファンタジーの夢だな。てか、このフェレット(ウル)めっちゃ可愛い!』って言って、オバケトカゲを木の棒で追い払って、ウルを助けてくれたの。ウルを抱っこして、頭をいっぱい撫でてくれて、いっぱい遊んでくれたの。ウル、ずっとあのお兄ちゃんにお礼が言いたかったの。そしたらね、三ヶ月前に、さきちゃんがここに来たとき、すぐにあのお兄ちゃんだ、って分かったの」
ウルはサキが逃げ帰った部屋の扉を、愛おしそうに見つめた。
「姿はお姉ちゃんになっちゃってたし、名前もさきちゃんになってたけど、魂からの『マナの香り』が、あのとき幻夢境でウルのことを助けてくれたお兄ちゃんと、まったく同じだったの。だから、あの時ウルを助けてくれたのは、絶対にさきちゃんなんだよ!」
無邪気に、しかし確信を持って語るウルの言葉を聞き、ユカリは息を呑んだ。
(魂のマナの香り……。サキが召喚される前の世界で、ただの『夢』として、精神をこちら側の幻夢境に同調させていたというの? そんなこと、異世界人だと、自らのマナを身体から取り出して、幻夢境へ飛ばさなくては不可能なはず。しかも異世界人でそんな事が出来た人間は、これまでもいない。やはり、あのサキという器の根底にあるマナは――)
ユカリは深く考え込むように視線を落としたが、すぐにウルの頭を優しく撫で、いつもの冷徹な表情に戻った。
「そうだったの。……でもねウル。今のサキは、まだここが、サキの前にいた世界と違うというのが、よく分かっていないのよ。少し、時間を置いてあげなさい」
「……うん。ウル、さきちゃんが元気になったら、またお話しにいく」
ウルは健気に頷くと、ぽんっと小さな煙を上げて元のツノ付きフェレットの姿に戻り、ユカリの肩口へと丸くなって収まった。
一方、その頃。 サキは自分の部屋のベッドの隅で、毛布を頭からすっぽりと被り、ガタガタと全身を激しく震わせていた。
廊下から四つん這いのまま、文字通り、這々の体で部屋に逃げ帰り、即座に鍵を閉めた。
いくら外見が可憐な美少女に変わろうとも、内面は現代日本で、人の死など直接見たこともなく、平和に生きていたアニオタ男子・誠のままなのである。
「ひ、ひぃ……っ、う、うあああ……っ!」
衣服にこびりついた生温かい血液の感触が、鼻腔を突く強烈な鉄の臭いが、どうしても脳裏から離れない。
アニメや漫画で何度も見た「敵をバラバラにする」という描写。
しかし、それが現実として目の前で行われたときの恐怖は、五感を、精神を、暴力的に破壊するのに十分すぎた。
さっき目にした、ナイアルの放った非情な業火。 ウルちゃんの破壊魔法。
そして何より、さっきまで「大天使」とまで崇めていたウルちゃんが、大岩を壊すのと同じくらいの無邪気さで、笑顔のまま人間を肉塊に変えたという事実。
(何が異世界転移だ……何がチート魔術だ……っ! ここはただの笑いながら人を殺す、狂ったバケモノたちの巣窟じゃないか……っ!!こ、怖い!なんで俺も命を狙われなきゃいけないんだよ!)
サキは自分の肩を抱きしめ、歯の根が合わないほどガチガチと震えながら、暗闇の中でただただ涙を流し続けるしかなかった。
自分が、どれほど甘ったれた考えでこの三ヶ月を過ごしてきたか。
ここでは、一歩間違えれば、自分もあの男たちのように無残な肉片に変わるのだ。
「ユカリやウル、ナイアルだって、いざとなれば俺をあんな風に……いやだ、怖い!死にたくない!死にたくないよ……、母さん、父さん、家に戻りたいよ、帰りたいよ……」
命のやり取り。その圧倒的な現実の重みが、サキの細い身体に、容赦なくのしかかっていた。
サキが部屋に逃げ帰った後、ユカリは静まり返った廊下で、一人黙々と残された惨劇の跡を片付けていた。
「……酷いものね。二人ともここまでしなくてもいいのに」
床に散らばる肉片と、黒焦げになった炭化死体。
ユカリは魔術でそれらを集めながら、刺客の身元を探ろうとした。
しかし、一人はナイアルの業火で内臓まで完全に焼き尽くされ、もう一人はウルの雷霆(高位の雷魔法)で内包する肉ごと爆発してしまっている。
衣服の紋章や所持品も灰と化しており、これではどこの誰なのか、外見から身元を割り出すことは不可能だった。
ユカリは肩に乗るフェレット姿のウルに、先ほどサキが襲われた際の正確な状況を問いかけた。
ウルからの返答を頭の中で整理していくうちに、ユカリはある一つの違和感に行き着く。
(ウルが言うには、一人目の刺客は、最初にサキに向けて猛烈な炎を放った……。男の身でありながら、魔術の手順を踏むこともなく、一撃目に直接、炎を……?)
この国でも、貴族などの特殊な一族の男であれば、炎や雷撃、水流といった単純な属性魔法を扱うことはできる。
現にナイアルも、先ほど鮮やかな炎で刺客を焼き尽くしていた。
また、ウルのような対象を内側から直接破裂させるような複雑、かつ凶悪な魔法は、魔女(女)にしか扱えない高位の術式だ。
にもかかわらず、あの刺客の男は、男の身で、貴族でないと思われるのに、あまりにも不自然な出力の魔法を放っていたらしい。
ふと、肉塊の傍らに転がっていた一本の短刀が、ユカリの目に留まった。 煤に汚れながらも不気味な鈍色に光るその短刀を、ユカリは屈んで拾い上げる。
「やはりこれは……」
ユカリの美貌が、嫌悪に歪んだ。 拾い上げた短刀の柄の部分――そこには、おぞましくも人間の「目」が埋め込まれていた。
さらに指先に伝わってくるのは、冷たい金属の感触ではない。
温かく、ドク、ドク、と、まるで生き物のように生々しく脈動する、おぞましい心臓の鼓動だった。
「間違いないわ、これは魔導兵器……。ということは、こいつらはハイパーボリアの刺客ね」
ハイパーボリア皇国が作り出した、魔法を使えないはずの男に、強力な魔法を行使させる、おぞましい生体兵器の遺物。
そんな国の暗殺者が、ユカリの張った鉄壁の結界をすり抜けて、ピンポイントで新入りのサキを狙ってきたのだ。
(奴らは、すでにサキの存在に気づいている…… 彼女の持つ、あの底知れないマナを、こちらが使えなくするために、刺客を送ってきたのね。せっかく分からないようにしたというのに)
だとしたら、事態は一刻を争う。
ユカリは短刀をローブの奥へとしまい込み、サキの部屋の扉を見つめた。
「彼女にも、自分が置かれている状況を話しておく必要があるわね」
しかし、ユカリはサキの部屋の扉の向こうから聞こえる、サキのガタガタと震える嗚咽を耳にして、深く溜息を吐いた。
「……でも、恐らく今日は無理ね。あんなに取り乱していたら、まともに話を聞くことすらできないでしょうから」
今はただ、現実の恐怖に押し潰されているサキに、一晩の猶予を与えるしかなかった。
ユカリは血の臭いが消え去った廊下を一度だけ振り返ると、元気のないウルを肩に乗せ、自身の部屋へと静かに歩き出すのだった。
ハイパーボリア皇国、彼らの目的はサキをどうする事なのか?
ただ単に、セラーノ王国がサキのマナ(魔法)を使えなくするためだけなのでしょうか?
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