第11話 刺客
「さあ、サキ、ぐずぐずしてないで、始めるわよ」
ユカリは冷徹な面持ちのまま、容赦なく追撃の呪文を紡ぎ始めようとする。
「ちょ、ちょっと待って! も, もう少しだけ、この至高の時間を……っ! せめてあと三分、カップラーメンが茹であがるくらいの時間だけでも俺に、いや私にください!ユカリ様!!」
サキはウルを抱きしめたまま、必死の形相でユカリにすがりついた。
この腕の中の柔らかくて温かい大天使を手放した瞬間、またあの過酷な魔法特訓の時間が始まるのだ。
なんとしてもこの権利だけは死守したかった。
「なに……!?」
ユカリの瞳が、いよいよ一触即発の鋭さでギラリと光った。周囲の空気がみしりと鳴り、今度こそ本当に指先から業火が飛んできそうな気配を察知して、サキは爆速でウルちゃんから手を離し、一歩後ろに下がって頭を下げた。
「あ、はい……訓練頑張ります……」
「それでいいのよ」
ユカリはフンと鼻を鳴らし、ようやく浮かび上がりかけていた魔術の光を収めた。
本当に、従順な奴にはトコトン強い鬼魔女である。
「はい……」
サキは心の中で、滂沱の涙を流しながら、特訓場の中央へと進み出た。
「それじゃあ、さっきの続きよ。指先からの魔法を、さらに太くしてあの岩に向けて出しなさい」
「了解、ユカリ様……」
サキは小さく息を吐き、右手を前に突き出した。
ナイアルに教わった「並列回路の遮断」。
今度は、たった一本の極細の管だけを残すのではない。
脳内に張り巡らされた、無数の極細の魔術回路。
それを、少しずつ、何本も、同時にイメージを頭の中に浮かばせ、それを並列して開いていく。
一本一本は細くとも、束ねれば太い電撃になる。
サキの脳が、複数の回線を束ねる高速通信のイメージと完璧に同期した。
パチチ、バチバチバチバチッッッ!!!!
サキの指先から、先ほどよりも明らかに密度を増した、力強い紫色の稲妻が勢いよく迸った。
空間をピリつかせる電撃の束。
それはまるで、小さな槍のようになって前方の空間を鋭く貫いている。
それを見たウルが、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、小さな両手を叩いて飛び跳ねた。
「おお〜っ! さきちゃん、すごい! すごいよーっ!!」
その純真無垢な大絶賛の言葉に、サキは張り詰めていた緊張がふっと解け、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「う、ウルちゃん……っ! ああ……褒めてくれるのって、この広い世界でウルちゃんだけだよ……!ああ、褒めてもらえるのが、こんなに嬉しいなんて!」
サキは鼻を高くし、ユカリに向けて「どうだ!」と言わんばかりにドヤ顔を晒した。
しかし、そんなサキのいい気になっている態度を見たユカリは、片方の眉を不機嫌そうに跳ね上げ、酷く冷ややかな声を出す。
「サキ……調子に乗らないでくれる? ウル、今のと同じことをやって見せなさい」
「はーい!」
ウルは元気よく右手を上げ、返事をすると、サキの隣にトコトコと並んだ。
精度、出力。そして、小さな右手の人差し指を、サキと同じように前方へと突き出す。
(ああ、ウルちゃん可愛いな、右手をちょこんと突き出して、どんな可愛い魔法を……)
と、サキが思った、次の瞬間だった。
「えいっ」
バリバリバリバリバリーーー!!!!!!!
「ぶふぇっ!?」
特訓場の空気が、一瞬で消し飛んだ。
ウルの小さな指先から放たれたのは、サキのものとは比較にすらならない
――サキの放った稲妻の何十倍、何百倍もの太さを持った、狂暴極まりない蒼白い電撃の巨砲だった。
凄まじい衝撃波の突風がサキの髪を激しく吹き乱す。
その極大の稲妻は、特訓場の隅に設置されていた、的代わりの「人の背丈ほどもある巨大な大岩」に直撃した。
ズゴオオオオオオオオオンッ!!!!
鼓膜を震わせる爆音と共に、頑丈な大岩が一撃で粉々に爆破され、消し飛んだ。
後に残ったのは、激しい砂煙と、焦げ付いた床の痕跡だけ。
「…………え?」
サキは突き出した右手の指先を向けたまま、完全に呆気に取られて硬直した。
顎が外れそうなほど口が開き、思考が真っ白になる。
ユカリは腕を組んだまま、フンと鼻を鳴らしてサキを冷たく見下ろした。
「私の妹弟子なら、これくらい出来て当たり前なのよ。あなたが出来なさすぎるだけなの。本当に、あなたは考えの甘い馬鹿ね。これでもウルの実力のごく一部なのよ。サキ、あなたはウルの見かけだけで、勘違いしているかも知れないけれど、彼女は私に次ぐ、この国での深階第2位の魔女なのよ」
「へ……」
サキのプライドが、大岩と一緒に音を立てて粉々に砕け散った。
そんなサキの様子に気づいたのか、ウルちゃんは慌ててサキの顔を見上げ、フォローするように手を振った。
「さ、さきちゃんも、練習すれば、す、すぐにウルみたいに出来るようになるよー!」
「ウルちゃん……(涙)」
その慰めはありがたかったが、逆に才能の圧倒的な格差を突きつけられて、サキの心はさらに深く抉られた。
だが、ユカリはすかさず、追い打ちの言葉を呆れた口調で投げつける。
「まあ、でも。この馬鹿は、三ヶ月経ってもこれだからね。先は相当長いわよ。これぐらいになるまで何十年、何百年かかるのかしら?」
「うぐぅ……っ!!」
サキはついにその場にガックリと膝をつき、絶望のあまり頭を抱えて床に沈没した。
男の、いや、転移者としてのプライドが完全に消滅し、精神的ダメージが限界突破する。
そんなサキの背中を、ウルちゃんは「あうぅ、さきちゃん、元気出して」と困ったような顔をしながら、小さな手でぽんぽんと優しく宥めてくれるのだった。
(クソ……ウルちゃん可愛いけど……可愛い過ぎるけど、この世界、やっぱり魔境すぎるだろ……っ!)
サキの涙混じりの絶望を乗せて、過酷な特訓の時間は、容赦なく過ぎていくのだった。
そのあと、やっと地獄のスパルタ特訓を終えたサキは、全身の筋肉が悲鳴をあげる中、ようやくユカリと別れて自室へと向かっていた。
ウルにぽんぽんと背中を叩かれて慰められたものの、圧倒的な実力差を見せつけられたショックは、まだサキの胸に重くのしかかっている。
「はぁ、マジで疲れた……。身体が動かねえ……ウルちゃんの魔力半端ないよ。こんな程度の魔力なのに、なんで俺は男の相手しないといけないんだよ……」
トボトボと薄暗い娼館の廊下を歩いていると、前方の闇から、見覚えのある軽薄な人影がふらりと姿を現した。
「やあ、サキちゃん。特訓お疲れ様」
「あれ? ナイアル、なんでお前いるんだ?」
サキは驚いて足を止めた。昨日の夜、自分の部屋で話をして帰っていったはずの男が、なぜまだこの娼館に居座っているのだろうか。
ナイアルは悪びれもせず、いつもの飄々とした笑顔を浮かべて肩をすくめた。
「ああ、ちょっと他の女の子にも用があってね」
その言葉を聞いた瞬間、サキはジトっとした半目の視線をナイアルへと向けた。
「お前、どれだけ好き物なんだよ……」
「ははは、違うって! サキちゃんと一緒で、他の子達とも話だけをしてたんだよ。僕は女の子と話をするのが好きなんだ」
ナイアルは両手を振って笑うが、サキの不信感は募るばかりだ。
「いや、お前って、どれだけ金持ちで、寂しい奴なんだよ……。金出さなくても話してくれるような、友達とかいないの?」
哀れみの目を向けるサキに、ナイアルは含み笑いを漏らしながら、意味深に顔を近づけてきた。
「いや〜、ここの女の子たちって、話が面白いんだよね。何せ、君と同じ境遇だし」
「えっ? 他の子も俺と同じ……!? それって……」
他の女の子たちも、自分と同じように異世界から勝手に召喚されて性転換させられた被害者なのか?
サキが驚愕し、その言葉の真意を問い詰めようとした、その瞬間だった。
ガシッ、と強い力でナイアルに両肩を掴まれた。
「え? ちょ、ちょ、待て! 俺はそんな趣味は――」
拒絶する間もなく、ナイアルはサキの華奢な身体を無理やり抱きしめ、そのままの勢いで廊下の床へと激しく倒れ込んだ。
視界が上下に反転し、背中に硬い床の衝撃が走る。
密着したナイアルの身体の奥から、得体の知れない不気味な冷気が伝わってきた。
「痛っ!お、おい! 何しやがる――」
怒鳴り散らし、反射的に頭を上げようとしたサキの首筋を、ナイアルの細い手が強い力で床へと押し付けた。
「頭を上げるな!!」
「へ?」
いつもと違う、ナイアルの低く緊迫した声。
サキが言われるがままに頭を下げた、その一瞬後だった。
ゴォッッッ!!!
頭皮がチリチリと焦げるような激しい熱風と共に、サキの頭のギリギリ上を、猛烈な業火の炎が掠め飛んでいった。廊下の壁が赤々と照らされ、一瞬にして周囲の空気が沸騰する。
「熱っ!?」
「サキちゃん、そのまま廊下に伏せるんだ!」
ナイアルは叫ぶと同時に、サキの身体から離れて横へと鋭く転がった。
そして、寝そべった体勢のまま、右手の人差し指を廊下の奥の闇へと突き出す。
その指先から、バチッと鋭い光の弾丸が迸った。
「ぐあ……っ!?」
低い男の悲鳴が響く。 一体何が起こっているんだ?
サキは恐怖に身体を震わせながらも、状況を確認するために思わず頭を上げた。
すると、視界に飛び込んできたのは、自分の足元に立っている一人の男の姿だった。 その男は黒い異国風の装束に身を包んでおり、ユカリの特訓場で見た的のように、片方の腕を根元から無残に吹き飛ばされていた。
生々しい鮮血が廊下の床を汚していく。
男は激痛に顔を歪め、ナイアルを、そしてサキを憎悪の篭った目で見据えながら、途切れ途切れの声で呻いた。
「こ、この、死の世界人が!」
ウルでほのぼのしたと思ったら一転、敵の目的はなんなのでしょうか?
実はこういう展開を書いてみたかったので、この作品を始めたというのもあります。
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