第48話 遅いのよ
……その時だった。
「お義母さぁぁぁん!」
空気が、変わった。魔物の動きが、一瞬だけ止まる。
聞き慣れた声。
勢いだけで突っ込んでくる、あの声。
少し会わなかっただけでも懐かしく感じる、世界で一番愛らしい存在。
「……遅いのよ」
小さく、笑う。
ーー次の瞬間。
一直線に突っ込んできた影が、前列の魔物をまとめて吹き飛ばした。
「義姉さん、大丈夫ですか!」
崩れ落ちるファンを、シープが抱きしめる。その後ろから、次々に現れる影。
「ファンおばさんをいじめちゃダメ」
「ファン姉ぇをよくもここまで……あたいが残らず三途の川に送ってあげるわ!」
「パンチャをここまで怒らせるなんて、死罪に値する!」
ラビィー、パンチャ、ベアル。次々に魔物たちを倒していく。
そして……
「……お義母さん!」
エレファ。
その一言で。ファンの張り詰めていた何かが、切れた。
「ほんと……遅いのよ……」
小さく笑う。ーーそのまま崩れた。
「お義母さん!!」
「義姉さん!」
エレファが駆け寄ると、シープがゆっくりと地面に寝かせた。
血の量に、顔が歪む。
「なんで……なんで一人で……!」
「だって……」
息が浅い。それでも、口だけは動く。
「……あんたたちが……」
言葉が続かない。
「だから……1人で……ぐふっ!」
「分かったから、分かったから。もうしゃべらないで!」
エレファの声が震える。怒りか、悲しみか、分からない。
「シープ、姉としてエレファを……」
あふれる涙をぬぐいもしないシープ。
「……エレファ、本当に……」
エレファの手を握ろうとした指が、途中で止まる。
そのまま、二度と動かなかった。
目の前の現実が信じられない様子のシープとエレファ。
一時の沈黙ーーそして
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
エレファの絶叫が響き渡った。
「きょきょきょ……感動の再会ですねぇ。いやいや、心地いい声ですね~」
ムカつくタクティスの声。
俺には複雑な関係は分からない。だが、シープやエレファが泣いている。
ーーそれで、十分だった。
「てめぇ……」
「あたくしの名はタクティスと申します。いやいやあなた方のご活躍は……呪いの本で、ね」
「……うるさい」
小さくも確実に伝わる低い声。
振り返るとエレファが下を向きつつも肩が震えている。
さっきとは、違う。空気が。圧が。
明らかに、変わっている。
エレファが、ゆっくりと立ち上がる。
俯いたまま。震えている。
「……お義母さんを……」
声が、低い。
「こんな風にしたの……お前か?」
顔を上げる。その目はーー
さっきまでのエレファじゃない。
「きょきょきょ……これはこれは」
タクティスが、楽しそうに笑う。
「いいですねぇ。その顔」
「黙れ」
エレファが一言発するたびに、空気が、震える。
さっきまでのエレファじゃない。
「遅い……」
ゆっくりとエレファがタクティスを見据える。
タクティスの笑みが、ほんのわずかに歪んだ。
「……なるほど。きょきょきょ。面白くなってきましたねぇ」
エレファが、一歩踏み出す。風が止まる。音が、消える。
その沈黙に耐えられなかったのか、1匹の魔物がエレファに襲い掛かった。
「……は?」
なぜだ? 意味が分からない。動いてない。誰も。エレファも、立ったまま。
だけど……俺の目の前にはエレファに襲い掛かった魔物が、倒れていた。
唯一違うのは、エレファの武器の鉄扇に魔物の返り血がついていた。
「きょきょきょ……」
タクティスの笑い声。でも、どこかおかしい。
その瞬間、タクティスの頬が、裂けた。
「ーーきょ?」
遅れて、血。さらに遅れて、痛みの顔。
「……なぜだ」
タクティスが、初めて言葉を失う。
「読めている……読んでいるのに……」
エレファから目が離せない。何が起こっている? 俺には分からない”なにか”が起こっているのは間違いない。
「お前たち! あの小娘を殺せ!」
大きく息を吸い込んだエレファが短く息を吐く。
その瞬間、タクティスの後ろにいた魔物たちが、次々に崩れていく。
「……は? なんで?」
タイミングが合ってない。全部、ズレてる。
「きょきょきょ……!」
慌てたタクティスが後ろに飛ぶ。いや、飛んだあとで。
その場所に、斬撃が”あった”。
「ぐぁ!!」
タクティスの声が、割れる。
「どうしたの? ご自慢の能力を使ったらどう?」
いつもの愛くるしいエレファの声じゃない。
低く冷たい声。本当なら頼もしいはずなのに、逆に冷たい汗が背筋を伝う。
「遅いのよ。……全部ね」
小さいのに、遠くまで響くエレファの声。
さらにタクティスに一歩、また一歩とゆっくりと近づく。
タクティスが、反応する。防ぐ。避ける。読む。
全部やってる。
なのにーー傷が増える。
「……ぁ?」
遅れて、血。さらに遅れて、理解。明らかにタクティスが動揺している。
「なぜ……当たる……!」
「当たってるんじゃない。もう終わっているの」
その言葉の意味を。俺は理解できなかった。
でも。タクティスも理解できてなかった。
そんな状況でエレファがさらに言葉を続ける。
「ちゃんと読めているのね。……でも、それじゃ遅いの」 」
「……ふざけるなァ!! 読むぞ! お前の! 心を! 丸裸にし・て・や・るぅぅーー!!」
タクティスが落ちていたシミターを拾い、エレファに襲い掛かる。
読み切り。最短距離。完璧な一手。
なのに。
身体が、止まった。
いや。止まったことになった。
「……は?」
シミターを振りかぶった右腕が落ち、タクティスが膝から崩れ去る。
「ぐがぁぁぁぁ!」
「お義母さんは同じ状況で立ち上がったんでしょ。あなたは悲鳴を上げるだけ?」
「ぐぅぎ……な、なぜだ?」
心を読めているはずのタクティス。
しかしその表情は完全に恐怖に支配されている。
「心を読む……?」
エレファが一歩近づくとタクティスが一歩下がる。
しかし、下がったあとに、そこに攻撃が来る。今度は左膝から先が無くなる。
「ひ、ひぃぃぃ~」
「それ、“今”でしょ」
タクティスの左腕が、消えた。もう“斬られた”後だった。
「私は違う」
エレファが、目を細める。
「今なんて、見てない。……とっくに過ぎている」
ーーその瞬間。
エレファの手元に鉄扇が戻ってきた。最初から、そこにあったみたいに。
いつ投げた? そんな疑問よりも先にーー結果が出ていた。
「……っ」
タクティスの喉が、裂ける。音もなく。動きもなく。
ただ。
結果だけが、そこにあった。
「……そんな……」
タクティスの身体が、ゆっくりと傾く。
「ありえ……ない……」
タクティスの身体が地面へと倒れる。
それはまるで地面に寝かされているファンに向かって土下座をするような形になった。
――静寂。
誰も、動かない。
動けない。
俺も。
「……お義母さん……お義母さん。うぁぁぁぁぁぁん」
戦闘の終わったこの静寂の中で、エレファの嗚咽だけが響き渡った。




