この世界の呼吸3
トワさんは厨房の裏口を押して開けた。
「こっちよ」
外に出ると、店の喧騒が少し遠くなった。
裏手には小さな石畳の通路が伸びている。
灯りがぽつぽつと吊るされていて、温かな光が揺れていた。
通路の先には、二つの建物が並んでいる。
ひとつは木造の落ち着いた家。
もうひとつは少し大きめの建物で、いくつかの窓に灯りがついていた。
トワさんが顎で指す。
「こっちが寮」
「厨房の子たちや、ギルドの職員が住んでるのよ」
「冒険者や研究者も何人かいるわ」
それから隣の家を指す。
「で、こっちが私たちの家」
ノエルが先に扉を開けた。
「ただいまー」
「おじゃまします」
ヒロが少し遠慮がちに頭を下げる。
中は木の香りがする、落ち着いた空間だった。
暖炉の火が小さく揺れている。
「客間は寮にあるけど、先にお茶でもどう?」
トワさんが椅子を引いた。
「今日は店も落ち着いたしね」
ひよりも少し遅れて席につく。
夜の静けさの中、
さっきまでの食堂の喧騒が嘘みたいだった。
ノエルが湯を注ぎながら言う。
「それにしてもさ」
「ガランさんに会ったって、本当?」
ヒロは苦笑する。
「そんな有名人だったんですね、あのじいさん」
トワさんがふっと笑う。
「有名なんてもんじゃないわよ」
暖炉の火を見ながら、少し懐かしそうに言った。
「あの人は昔――」
「この辺りの魔物をほとんど一人で片付けたことがある」
ヒロが目を丸くする。
「一人で?」
「ええ」
ノエルが肩をすくめる。
「しかもそのあと、魔物を全部ギルドに卸して」
「自分で料理して食ってた」
ヒロが思わず笑う。
「やっぱり飯好きのジジイじゃないですか」
「そこは間違ってない」
トワさんが頷いた。
「でもね」
少し声を落とす。
「料理の腕も、本物だった」
ひよりが顔を上げた。
「料理……?」
「ええ」
トワさんは静かに続ける。
「グルメギルドでも有名だったのよ」
「魔物の魔素を扱うのが、とても上手で、冒険者なのに作り手でもあり、鍛治職人でもあった」
ヒロは少し考えてから言った。
「……そういえば」
「俺にスープ作ってくれました」
その言葉に、トワさんが少し笑う。
「でしょうね」
「きっと、いい顔して食べたんでしょう」
ヒロは照れくさそうに頭をかいた。
「まぁ……めちゃくちゃうまかったです」
トワさんはふっと息を吐いた。
「……あの人がタグを渡した理由も、なんとなくわかるわ」
それから、ひよりをちらりと見る。
トワさんは湯呑みを持ち上げて、静かに言う。
「ガランが目をかけた子と」
「作り手の卵が、同じ店にいる」
「面白い巡り合わせね」
ヒロは苦笑した。
「そんな大したもんじゃないですよ」
「……そうかしら」
トワさんは小さく微笑む。
それから、ひよりの方へ視線を向けた。
ほんの一瞬だけ、真剣な目になる。
「少なくとも――」
「普通の卵じゃないわね」
ひよりはきょとんとした顔をする。
「え?」
トワさんはすぐにいつもの調子に戻って、湯呑みを口に運んだ。
「気にしなくていいわ」
「年寄りの独り言」
暖炉の火が、ゆらりと揺れた。




