激動の一ヶ月:七日目の朝
七日目の朝。
初夏の太陽は早々に窓から朝の訪れを告げ、差し込む光が部屋の中を照らし尽くした頃。
階下からは、早苗が朝食の支度をする包丁の音が、微かに、けれど確かな日常のリズムとして響いてくる。
私はグズり泣いたひかりの顔を拭き、汚れたガーゼハンカチを交換するために、一度部屋を出た。
階段を降りてキッチンへ顔を出せば、エプロン姿の早苗がまな板に向かっているところだった。
「おはよう」
「あら、おはようハルさん。……ひかりちゃん、泣き止んだ?」
トントンとリズミカルに野菜を刻む手を止め、早苗が少しだけ心配そうな目を向けてくる。
「ああ。寝付きが悪かったけどどうにかね。顔を拭くためのガーゼを交換しに来たのだが……どこにしまってあったかな」
「ガーゼなら洗面所の棚の二段目よ。昨日、洗濯して畳んでおいたから」
「分かった。ありがとう」
短い言葉を交わし、私は汚れたガーゼを洗濯籠に入れると、洗面所で真新しい白い布を手に取った。
そのまま、再び階段を上って部屋の前へと戻る。
先ほどまで微かに聞こえていた赤ん坊のグズり声は、すっかりと止んでいた。泣き疲れて眠ってしまったのだろう。
音を立てないようドアノブにそっと手をかけ、少しずつ扉を押し開き――その動きをピタリと止める。
ほんの少しだけ開いたドアの隙間。そこから見えた光景に、私は息を呑んだ。
布団の中で、いつの間にかすやすやと眠るひかり。
その傍らに、この一週間ずっと部屋の隅で掛布にくるまっていたひまりが、膝立ちになって近づいていた。
……ひまりの表情は、こちらからは見えない。
ただ、その華奢な背中は強張っており、迷いと恐れが痛いほどに伝わってくる。
彼女は震える右手をそっと持ち上げ、布団からはみ出していたひかりの小さな手に、自分の人差し指を、ひどくゆっくりと近づけていく。
触れるか、触れないかの距離。
その時、寝ぼけたひかりの手が不意に動き――ひまりの指を、ぎゅっと握りしめた。
「っ……」
ひまりの身体が、ビクリと大きく跳ねた。
弾かれたように逃げ出そうとする本能。けれど、彼女は指を振り解くこともできず、中腰のまま石のように固まってしまった。
――戸惑いと、微かな怯え。
どうしていいか分からず、ただ硬直するひまり。
だが、その指先からは、小さな命の確かな『温かさ』が伝わっているはずだった。
私に母性を奪われ、我が子を恐れる虚無の底にいる彼女。
それでも、ただ物理的な接触として伝わってくる無垢な熱に、ほんの少しだけ、心の奥のひどく深い場所で、名付けようのない何かが微かに揺れたのだろうか。
――或いは、それは、私の願望だったのかもしれないが。
……やがて、ひかりが再び深い眠りに落ちていくと、その小さな手の力はふっと緩み、ひまりの指から自然と離れていった。
拘束から解放されたひまりは、それでもすぐには動かなかった。
彼女はただ黙って、今しがたまで赤ん坊の熱に包まれていた自分の指先を、ひどく静かに眺め続けていた。
私はドアの隙間からその背中を見つめ、ガーゼハンカチを握り直して、もう一度静かに廊下へと足を引き返した。
――劇的な感情の雪解けなど、あるはずもない。
だが、七日目の朝の柔らかな光の中で、ひまりは確かに、自分の指先に残った小さな熱の余韻をただ一人、確かめていた。
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