ハルさんのお買い物
ハル以外にも複数人出てくるときは、三人称になったりならなかったり。
春の日差しが高くなり始めた頃。
ハルはいつものように、近所のスーパーへと足を運んだ。
自動ドアが左右に開くと同時に、店内の喧騒がふっと凪ぐ。
野菜を選んでいた主婦の手が止まり、品出しをしていた青年の動きが凍りつく。
漆黒の長い髪をなびかせ、モデルのような長身を優雅に揺らして歩くその姿は、およそスーパーという生活感の塊のような場所には不釣り合いなほど神々しかった。
だが、当の本人はそんな周囲の反応など露ほども気にしていない。
彼女の鋭い視線が射抜いているのは、特売の棚に並んだ『豚バラ肉のブロック』であった。
「ねえ、あの人……どこかの女優さん? お忍びの撮影かしら」
最近越してきたばかりらしい若い女性客が、隣にいた常連客に声を潜めて尋ねた。
「いやいや、近所の奥さんだよ。信じられないでしょ? ああ見えて、もうすぐ高校生になる娘さんがいるんだから」
「ええっ……嘘でしょ? どう見ても高校生か、二十歳くらいにしか見えないのに……」
「まぁ、にわかには信じられないよねぇ。でも本当なのよ。昔からこの辺りに住んでいる人なら皆知ってるけど、あの人、十五年前から一ミリも変わってないんだから」
「……じゃあ、本当にそんな大きな娘さんがいるお母さんなの……? 一体何をしたら、あんなふうになるのかしら……」
そんなひそひそ話を背に受けながら、ハルは無駄のない洗練された動きで、本日の最安値である豚肉をカゴへと収めた。
(……ふむ。今日は一段と、周囲の視線が鋭いようだね)
ハルは心の中で小さく頷く。
彼女の解釈によれば、この熱烈な視線は、一切の迷いなく特売品を見極め、最短ルートで回収していく自身の『熟練の主婦スキル』に対する畏敬の念に他ならなかった。
(十五年の主婦業で培った私の立ち回り。その『本気』が、隠しきれずに漏れ出してしまっているらしい……。やれやれ、少しばかり完璧にやりすぎたかな)
ハルは一人で深く納得し、見当違いの誇らしさを胸に抱きながら、静かに微笑を浮かべた。
その微笑みがまた、周囲の客たちを「後光が差している……」と震え上がらせていることにも気づかずに。
「いらっしゃいませ。……ハルさん、今日も本当にお綺麗ですね。それになんだか嬉しそう」
レジへと向かうと、若いパートのお姉さんが頬を染め、うっとりとした様子で声をかけてきた。
「……ありがとう。君も、いつもレジ打ちの指さばきが見事だよ。……今日は特売の豚肉が手に入ったので、つい顔が綻んでしまったのかもしれない」
「良かったですね。あ、ハルさん……」
言いかけたお姉さんの視線が、ハルの腰元で止まる。
「ん、なんだい……?」
(あ……腰元に洗濯バサミが付いてる……! こんな女神様みたいに美人なのに、ちょっと抜けてて可愛い……はっ、これがギャップ萌え!?)
それは、今朝ハルがシーツを干す際に使っていた、ピンク色のウサギ型洗濯バサミだった。
あまりの破壊的な可愛らしさに、お姉さんは「これを指摘して現実に戻してはいけない」という謎の使命感に駆られた。
「いえ、何でもないです。お気をつけて!」
「……? ああ、君もお仕事頑張って」
ハルは涼しい顔で会計を済ませ、ネギの飛び出たエコバッグを肩にかけると、優雅な足取りで店を後にした。
心地よい春の風を受けながら、静かな住宅街を歩く。
すると、前方からカートを押した近所のおばあちゃんがやってきた。
「あらぁ、ハルさん。今日もべっぴんさんだねぇ」
「ありがとう。おばあちゃんも、買い物かい? 足元には気をつけて」
ハルが穏やかに返すと、おばあちゃんは目を細めて笑い、ハルの腰のあたりをひょいと指差した。
「ちょいとハルさんや。腰のところに、可愛いウサギさんがくっついてるよ」
「……?」
言われて、ハルはそっと自分の右腰に手をやった。
指先に触れたのは、プラスチックの冷たい感触。
(……不覚)
熟練の主婦としての完璧な立ち回りへの称賛だと思っていた、あの熱烈な視線。
その正体は、女神のような美女がピンクのウサギをぶら下げて特売品を漁るという、愛おしすぎるポンコツ姿に向けられたものだった。
ハルは誰にも気づかれないよう、音もなく深く溜息をつくと、ピンクのウサギをそっとエコバッグの奥底へしまい込んだ。
――結局、どこまでいっても、彼女自身のその規格外の美しさこそが最も目を引いていたのだという事実に、ハルが気が付くことはないのであった。
この度は私の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。
本作をお読み頂いた上で少しでも面白い、続きが読みたいと思って頂けましたなら
・ブックマークへの追加
・画面下の「☆☆☆☆☆」からポイント評価等をして応援して頂けますと作者の励みになります。
何卒宜しくお願い致します!




