月の表情
先日の雨が秋の気配を一段と深めた、月の夜。
常盤家の女手は、我が家の台所に全て集まっていた。
「お母さんの、すっごく真ん丸で綺麗……私のはなんか、スライムみたいになっちゃった」
手の中でいびつになった生地を見つめ、ひかりが小首を傾げる。
隣ではひまりも、手にべったりとついた生地と格闘しながら困り顔を浮かべていた。
「愛嬌があって良い形じゃないか」
私が手慣れた手つきで次々と白玉を丸めながら微笑むと、隣のコンロで栗を茹でていた早苗さんが、目を細めて柔らかく笑う。
「そうね。ひかりちゃんのお団子、個性的でとっても可愛らしいわ。……あら、二人ともお顔が粉だらけよ」
「「ふぇ?」」
早苗さんにそう指摘され、ひかりとひまりが顔を見合わせてはにかむ。
お湯を沸かして粉を捏ね、秋の味覚を分け合う穏やかな時間。
その湯気と共に立ち上る甘い匂いと、小さな台所に満ちる三人の笑い声が、私の胸の奥を心地よく満たしていく。
「……そろそろ良さそうだね」
そうして出来上がった真ん丸な団子と不格好な月見団子。
早苗さんが茹でてくれた栗に、庭から見つけてきたススキを盆に乗せ、私たちは縁側へと腰を下ろした。
雲一つない夜空には、冷たいほどに冴え渡る中秋の満月が浮かんでいる。
秋虫の微かな音色だけが、庭の暗がりから聞こえていた。
「冷めないうちにいただこうか」
「うん! いただきます!」
みんなで手を合わせると、私は真っ先に、ひかりが作ったいびつな月見団子を一つ口に運んだ。
「……美味しいよ」
私が目を細めて静かにそう告げると、ひかりはぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せ、自らも月見団子を頬張った。
「ねえ、お母さん。月にウサギって本当にいるのかな?」
口いっぱいに団子を頬張り、月を見上げていたひかりが、ふと疑問を口にした。
「さてね。私も月まで行ったことはないが……」
私がほうじ茶を口に含みながら静かに返すと、隣に座るひまりが、くすりと楽しげに笑い声を漏らす。
「まさか、ウサギは居ないけど、かぐや姫は居るとか言いませんよね?」
「ああ。……おとぎ話や伝承というものは、あながち馬鹿に出来ないものだよ」
「……ん?」
ひまりの笑顔が、ぴたりと止まった。
「……えっと、あの、それだと、かぐや姫が居たように聞こえるんですけど……気のせいですよね?」
「はて、そう言ったつもりだが」
「ハルさんを疑うわけではありませんが、かぐや姫というのは……」
「ふむ。そもそも、私のような存在がいるんだ。かぐや姫がいても不思議ではないだろう?」
「それは、まぁ、そうかもですけど……」
現代を生きる一人の人間としての常識と、目の前にいる『理外』の言葉の間で、ひまりが目を白黒させている。
「え、じゃあ、お母さんはかぐや姫とお友達だったの?」
ひかりが目を丸くして、ぽろりとお団子を落としそうになりながら尋ねてきた。
「友人、というほどの繋がりは無かったが……何度か言葉を交わした事はあるよ」
「あら〜、凄いわねぇ。どういう方だったの?」
娘と孫が驚愕で固まる中、早苗さんだけは井戸端会議のような軽やかさで、私の言葉を丸ごと受け入れて微笑んでいた。
私は小さく苦笑し、夜空に浮かぶ白銀の月へと視線を向ける。
「……優しい娘だったよ。両親をとても大切にしていた」
「だったら、どうして……月に帰ってしまったんですか?」
不思議そうなひまりの問いに、私は静かに息を吐き出した。
「優しすぎたんだろうね……。愛する両親、恋しい想い人。自分と大切な人たちとの時の流れの違いに気がついてしまった」
どれほど愛おしくとも、必ず自分より先にいなくなる。
優しさ故に彼女は強く人を想い、いずれ必ず訪れる喪失の絶望に耐えきれず……あの冷たく変わらない空の底へと逃げ帰ったのだろう。
「それじゃあ……」
ひまりの唇が震え、そこから先の言葉が紡がれることはなかった。
――ハルさんも……。
そんな言葉が出掛かったのだろうか。ひまりはその言葉を飲み込み、痛切な瞳で私を見つめてくる。
去りゆく彼女たちを見送り、独り残される私の孤独に、改めて思い至ったのだろう。
私は何も言わず、ただ優しくひまりに微笑むと、ひまりは堪えるように、目を伏せた。
「――お母さん、寂しい?」
不意に、ひまりが聞けなかったことを、ひかりが真っ直ぐな瞳で問いかけてきた。
ごまかしのきかない純粋な眼差しに、私はゆっくりと頷く。
「……寂しいよ。だけど……」
遥か昔の記憶は、そのほとんどが時という大きな流れに吹かれて消えてしまった。
「だけど……?」
祈るようなひまりの問いかけに、私は静かに言葉を継いだ。
「その寂しさは、ひかりの母親に……皆の家族になれた証拠だろうからね。……それはきっと、いつまでも『私《名無し》』を『私』で居させてくれる」
「……そっか。じゃあ、お母さんが毎日思い出せるように、私がもっともっと、いーっぱい想い出作ってあげるね!」
ひかりが私の腕にぎゅっと抱きつき、温かく、力強い声でそう言った。
その言葉を聞いたひまりは深く息を吐き出し、泣き出しそうな、だが確かな笑顔を見せて顔を綻ばせた。
それは……自分たちがいなくなった後の果てしない時間すらも、この子の優しさが、愛が、私の孤独を照らし続けてくれるのだと、そう確信したかのような表情。
「ふふっ、ひかりちゃんらしいわね。……ところでハルさんも、もしかしたら月から来たのかしら?」
ふと、少しだけしんみりとしていた空気を変えようとしたのか、早苗さんが小首を傾げてそんなことを言う。
「どうだろうね。少なくとも、月の民は不老に近い種のようだが……私の力とはまた、違うもののように見えたけれど」
「……じゃあ、ハルさんのルーツは謎のままなのね」
早苗さんが柔らかく笑い、ひかりが私の腕の中で「お母さん宇宙人説……?」と不思議そうに呟いた。
ひまりもいつもの穏やかな眼差しを取り戻し、私の空いた湯呑みへと温かいほうじ茶を注ぎ足してくれる。
「おや、皆揃って賑やかだな」
ふいに、庭の入り口から穏やかな声が響いた。
見れば、仕事鞄を提げたひまりの父親――誠が、目尻を下げて歩いてくるところだった。
「お父さん、おかえりなさい」
「おじいちゃん、おかえりなさい。遅かったのね」
ひまりと早苗さんがそれぞれ声をかけると、彼は「ああ。少し仕事が長引いてしまってね」と微笑んだ。
「こんばんは、おじいちゃん。お疲れ様。さあ、こちらへ」
「おお、ハルさん。夜分にお邪魔するよ」
私が縁側のスペースを少し空けると、彼も上着を脱ぎながら「失礼」と腰を下ろした。
「おじいちゃん、おかえり! 私が作ったお団子、食べる?」
「おっ、ありがとうひかり!」
ひかりがいびつな形のお団子を差し出すと、彼は嬉しそうに目を細めた。
……これで、全員。
「んぐっ、ごほっ、ごほっ……!」
「ちょっとお父さん!? 慌てて食べるから……!」
嬉しさのあまり勢いよく団子を頬張った誠が、喉に詰まらせて胸を叩いている。ひまりが慌てて差し出したお茶を、彼が涙目で一気に飲み干した。
「ぷはっ……い、いや、すまない。ひかりが作った団子が嬉しくて、つい、な」
むせながらも苦笑するその賑やかなやり取りに、私は一瞬だけ目を丸くし――やがて、堪えきれないようにふわりと微笑んだ。
――そう。
私がどこから来たのか。そのルーツが謎のままでも、大した事じゃない。
遠い昔に置いてきた記憶も、自分が何者であるかも、今は意味を持たないから。
私は、ひかりが作ってくれたいびつな月見団子を口に運びながら、もう一度、冷たく美しい月を見上げるのだった。
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