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「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ
『ひまわりの笑顔』

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季節を抱きしめて

 午前五時半。


 まとわりつくような重い湿気が、夜明けを過ぎた空気に立ち込めている。

 朝日を薄く取り込んだキッチンに立ち、私は手際よく菜箸を動かしていた。


「……ふむ」


 小さく呟き、火加減を調整する。鍋の中でふつふつと音を立てているのは、カツオと昆布の合わせ出汁だ。黄金色に透き通った液体から、ふわりと上品な香りが立ち上り、換気扇へと吸い込まれていく。


 今日から二学期。


 テーブルの上には、出勤するひまりのお弁当箱の隣に、もう一つ。長い夏休みを終えた、可愛らしいデザインの付いたお弁当箱が、定位置に並んでいる。


 ひかりにとっては、久々のお弁当だ。蓋を開けた時に少しでも嬉しくなるような、可愛らしいものにしてあげよう。……そんなことを思いながら、手を進めていく。


 メインには、ひかりが好きな唐揚げに甘酢の餡を絡めたものを。

 ご飯は、細かく刻んだ枝豆と鮭を混ぜ込んだ、色鮮やかな二色の小さなおにぎりにした。ウインナーは切り込みを入れて花のように開かせ、薄焼き卵はクルクルと巻いて可愛らしい形にしていく。


 そうして少し熱を冷ました後、丁寧に形を整えながら、詰め込んでいく。蓋を開けた時、あの子の目に季節の彩りが飛び込んでくるように。


 カチリ、と二つの箱の蓋を閉める。


「よし……と」


 そのまま視線を這わせると、時計は六時を指している。そろそろ、ひまりが起きてくる定刻だ。


 ――やがて、玄関の扉が開く音が聞こえ、パタパタという少し気怠げな足音が短い廊下を抜け、リビングへと入ってくる。


「……おはようございます、ハルさん」


 昨夜は新学期の残務処理に追われ、隣の実家で缶詰になっていたひまり。

 ほとんど寝ていないのか、半分眠っているような顔でふらふらとダイニングチェアに腰を下ろした。


「おはよう、ひまり。随分と遅くまでかかったようだね」


「ええ、もうボロボロです……。でも、出汁の香りを嗅いだら細胞が少し起きました」


 そんな彼女の前に、淹れたての温かいコーヒーを注いだマグカップをコトンと置く。


「ありがとう、ございます……」


 それを両手で包み込むようにして一口飲むと、ようやく彼女の瞳にいつもの活気が、少しだけ戻ってきたように感じられた。定位置でコーヒーを飲む。これが毎朝の、彼女にとって欠かせない日課だ。


 ひまりがゆっくりと目を覚ましていくのを横目に、私は朝食の準備を続けていく。

 すると程なくして、二階から小気味良い足音が降りてきた。


 まだ少し眠たげな顔をして、パジャマ姿のひかりが階段から顔を出す。


「お母さん、ひまりちゃん、おはよう!」


「おはよう、ひかり。今日は早かったね。……それに、随分と機嫌も良さそうだ」


「えへへ。久々に学校だと思ったら、なんか早く目が覚めちゃって」


 ニコニコと、それでいて早起きしたことを少しだけ誇らしげにしている娘の姿に、私は思わず口元を綻ばせた。


「ふふ。では、少し早いが朝食にしようか」


「うん!」



 ◇ ◇ ◇



 七時半。

 朝食を終え、身支度を終えた二人が玄関で靴を履き、揃って扉から出ていく。

 外から流れ込んでくる生ぬるい風に髪を揺らしながら、二人は振り返った。


「行ってきます!」

「行ってきます。ハルさん、今日も一日頑張って参ります!」


「ああ、気をつけて行っておいで」


 二人揃って歩き出し、学校へと向かうその背中。

 ひかりが何事か冗談を言い、ひまりが楽しそうに笑い声を上げるのが微かに聞こえた。


 その姿が見えなくなるまで見送り、私は静かに扉を閉める。


 パタン、という小さな音と共に、家の中が穏やかな静寂に包まれた。


 リビングへ戻り、空になった食器をシンクへと運ぶ。

 水を出し、スポンジで丁寧に汚れをこすり落としていく。キュッ、キュッと陶器が鳴る音が、静かな空間に小気味よく響いた。


 洗い物を終え、ふきんで水気を拭き取りながら、棚に食器を戻していく。


 いつも通りの、変わらない朝の家事。


 それを一つ一つこなしながら、私はふと、昨日ひかりがこぼしていた言葉を思い出した。


『夏休みも、今日で終わりかってちょっと黄昏れてたんだ』


 祭りの後のような寂しさを感じていた娘は、今朝はもう、新しい日常へと真っ直ぐに飛び出していった。


「……全く。昨日の感傷は、どこへ置いてきたのやら」


 苦笑を浮かべながら、そう言葉をこぼす。親の心配などよそに、子どもは逞しく、あっという間に前へ進んでいくものだ。


 エプロンを外し、時計を見上げれば、まだ八時を回ったところだった。


 ――ふと窓の外を見ると、朝の光が優しく室内に差し込んでいる。今日もしっかりと晴れそうだ。


 ベランダに出て、二人の洗濯物をハンガーに掛け、風に当てている途中。ふと、思考が過る。


 新学期初日を終え、彼女たちはどんな顔で帰ってくるだろうか。楽しげな、或いは、疲れた顔だろうか。


 ただ、どちらであっても、それは彼女たちが懸命に一日を過ごした証拠だろう。

 なら、今日を頑張った二人のために、揃いの好物を用意して出迎えてやろう。


「……今日は、ハンバーグにしようか」


 洗濯物を干し終わり、身支度を整え、買い物のために家を出る。


 いつもより少し早い時間のせいか、歩き慣れた道もほんの少しだけ景色が違って見えた。


 ……そこでようやく、はたと気付く。


「……ああ、なんだ」


 ――自分が急いだ所で、二人が早く帰ってくる訳でもない。それでも、二人のためにと、なにかと理由を付けて動き出していた。


 とどのつまり……うつろう周囲に対して、私自身が一番浮き足立っていたのだ。


「……やれやれ。私はどうにも、成長していないようだ」


 誰に言うともなく呟き、思わず自嘲気味な笑みが口からこぼれ落ちる。


 途端、新しい季節を運ぶ風が、すっと私の頬を撫でていった。


「あぁ……今日も良い日だね……」


 高く澄み渡り始めた空を見上げて、私はゆっくりと歩き出す。

 夕暮れ時に響くであろう「ただいま」の声を、今から心の奥で、そっと待ちわびながら。


この度は、私の作品を読んで頂きありがとうございます!

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