夜に咲く花
「お祭り、かい?」
「うん、四人で行くことになったんだけど、良いかな?」
「かまわないよ、行っておいで。……ひかりももう高校生なんだ。友達と遊びに行くのに、私に全て確認しなくても良いんだよ」
「うん。でも、お母さんに心配掛けたくないし!」
そんな母と娘のやり取りを傍らで聞きながら、ひまりは「あぁ、流石ひかりちゃん。なんて良い子なんでしょう……これもハルさんの日頃の教育が素晴らしいからですね!」と一人で興奮している。
「それでね、お母さんにお願いがあるの」
「お小遣いかい?」
「ううん、お小遣いは大丈夫! 毎月もらってる分で足りてるよ!」
「……はて」
ハルが静かに首を傾げると、ひかりは少しだけはにかんで言った。
「浴衣の帯、結んで欲しいの」
「……なんだ。そんなことかい」
ハルの口元に、柔らかく微かな笑みが浮かんだ。
――そんなやり取りを経て、迎えた当日。
夕暮れの気配が近づく、自宅の一室。
ハルの手によって帯がきれいに結ばれ、ひかりの身体に淡い朝顔の浴衣が纏われる。
「これでよし……と」
ハルが手を離すと、ひかりは弾かれたように姿見の前へと向かった。
淡い朝顔の模様と、背中で綺麗に羽を広げたような帯。くるりと回って確かめると、ひかりの顔にパッと花が咲いたような笑顔が浮かぶ。
「とっても可愛いですよ、ひかりちゃん! あ、お友達も来たみたいですね。車に気を付けて、いってらっしゃい」
ピンポーン、と。ひまりの言葉に合わせるように、玄関のチャイムが家の中に響き渡る。
「行っておいで」
ハルの静かな声に見送られ、ひかりは嬉しそうに頷いた。
「うん! ひまりちゃん、お母さん、行ってきます!」
小さな巾着を揺らし、弾むような足取りで出かけていくひかり。
パタンと閉まった扉の向こうからは、すぐに待ち合わせをしていた友人たちの賑やかな声が響いてきた。
◇ ◇ ◇
「わぁ、ひかりちゃん、その浴衣すっごく似合ってる!」
「ありがとー! みゆきちゃんのも可愛い!」
「ほんと、朝顔の柄、ひかりちゃんらしくて素敵だね」
「静音ちゃん、ありがとう! えへへ、お母さんに着付けてもらったんだ」
「ちょー待って! みんなマジ可愛すぎなんだけど! とりま写真撮ろ、自撮り!」
合流したいつもの四人は、並んで歩くだけで笑い声が絶えない。
中学からの友人であるみゆきちゃん、少し後ろを歩く大人しい静音ちゃん。そして、相変わらず賑やかな装飾を揺らしてはしゃぐ結衣ちゃん。
神社の境内に一歩足を踏み入れれば、色とりどりの提灯が夜の始まりを照らし、お囃子の音と香ばしい屋台の匂いが鼻をくすぐった。
「やばっ、お祭り超テンション上がる! まずはリンゴ飴っしょ!」
「もう、結衣ちゃんは相変わらず食い意地張ってるんだから。あ、あっちに射的があるよ」
「マジ!? ねぇ静音ちゃん、うちらも一緒にやろーよ!」
「う、うん。私、下手だけど……」
「ひかりちゃんは何から行く?」
「私はね〜……綿あめが食べたい!」
人混みの中、はぐれないように袖を引っ張り合いながら、四人は屋台を巡っていく。
お小遣いを出し合って買ったたこ焼きを分け合い、水ヨーヨー釣りに悪戦苦闘、跳ねた水で顔を濡らす結衣ちゃんを、静音ちゃんがハンカチを差し出しながらクスクスと笑う。
毎年のお祭りも、皆と一緒に過ごすだけで、すべてが輝いているような、そんな気分だった。
――けれど、変化が訪れたのは、そろそろ花火が始まるという時刻だった。
ポツリ、と冷たいものが頬に当たる。
「あ、あれ……? 雨……?」
みゆきちゃんが空を見上げたのと同時に、パラパラと小雨が降り始めた。
周囲の祭り客たちが慌てて雨宿りを始め、境内の賑やかさが一瞬にして不安の混じったざわめきへと変わる。
「ウッソ、もうじき花火の時間なのに……」
「花火、中止になっちゃうかな……」
大きな木の下へ逃げ込み、静音ちゃんと結衣ちゃんが、不安そうに曇り空を見つめた。
ひかりはぎゅっと巾着を握りしめ、ただ祈るように夜空を見つめ続ける。
夏休みの、最後の思い出。
この楽しい夏の夜を、まだ終わらせたくない。
「大丈夫だよ、きっとすぐ止むよ」
ひかりの根拠のない、けれど温かい言葉に、みんなが自然と顔を見合わせた。
小さな雨粒が浴衣の袖を濡らしていく。四人は肩を寄せ合い、ただじっと、雲の切れ間を待ち続けた。
やがて、祈りが通じたかのように、地面を叩く水滴がふっと途切れた。
湿った空気の向こうで、厚い雲がゆっくりと流れ、そこから満天の星空が顔を覗かせる。
静まり返った境内。
ドォン――ッ!!
地響きのような破裂音と共に、漆黒の夜空に巨大な光の大輪が咲き誇った。
「……わぁ……っ!」
誰からともなく歓声が上がる。
次々に打ち上がる鮮やかな大輪の光が、見上げる四人の瞳を、そして濡れた境内の石畳を、色鮮やかに染め上げていく。
「綺麗……!」
みゆきちゃんが安堵の息をついて笑い、結衣ちゃんがひかりの手を繋いではしゃぎ、静音ちゃんが控えめに手を叩いて喜んでいる。
火花の光に照らされた友人たちの横顔を見つめながら、ひかりはそっと息を吐き出した。
ドォン、とお腹の底まで響く破裂音と、いつまでも消えない光の余韻。
ぎゅっと繋いだままの手の温かさが、なんだかとても心地よかった。
◇ ◇ ◇
同じ時刻、常盤家のリビング。
静まり返った部屋の窓辺にひまりは立ち、ハルはその後ろ、ゆったりとソファに腰を下ろしていた。
ふと見上げた夜空から星の瞬きが消えたかと思うと、しとしとと静かな雨が降り注ぎ始めた。どうやらこの辺りだけ、局地的な通り雨に見舞われているらしかった。
けれど、遠く、向こうの空には雨雲の気配はなく、赤や青、金色にと、かすかに明滅を繰り返している。
数秒遅れで、雨だれに混じり、窓ガラスを小さく震わせるようにドン、ドンと低い音が届いた。
「あ……花火、無事に上がりましたね」
ひまりが、どこかホッとしたように呟いた。
急に雨が降り出したため、ひかりのいる祭り会場も降っているのではないかと気を揉んでいたが、遠くの空に打ち上がった光を見て、ようやく肩の力を抜いたようだ。
「……ああ。上がったね」
ハルはソファに深く身を預け、窓を叩く雨音を聞きながら、静かに、けれどとても優しい笑みを浮かべて頷いた。
ふと、ひまりは窓を打つ雨だれと、遠くの澄んだ夜空を交互に見比べる。いくら夏の天気が変わりやすいとはいえ、偶然にしては、あまりにもできすぎているような気がして。
「あの、ハルさん……まさかとは思いますけど、雨雲を引き受けたなんてことは……?」
「ふむ……。やってやれないこともないだろうが……結果どうなるかは保証しかねるよ? ……あくまで、天の差配さ」
どこか煙に巻くようなハルの物言い。冗談交じりの言及であったが、これ以上追及するのをやめておいたほうが良さそうだと判断したひまりは、そのまま口をつぐむ。
その様子を見たハルは、クスリと笑い、カップに視線を落とす。
――あの光の真下で、今頃娘は大切な友人たちと、どんな笑顔を浮かべて夜空を見上げているのだろうか。
帰ってきたら、きっとたくさんの、賑やかなお土産話を聞かせてくれるに違いない。
「……お茶を新しく淹れ直そう。あの子が帰ってくるのは、もう少し先になりそうだからね」
「あ、私が淹れますよ!」
やがて、遠くで響いていた花火の音が終わりを迎える頃。
この辺りを濡らしていた通り雨も、いつの間にかふっと上がり、雲の切れ間からは静かな星明かりが顔を覗かせていた。
遠くの祭りの熱と、目の前の静かな雨上がり。
二人は淹れ直したお茶の香りと共に、穏やかな夏の夜の余韻に、ゆっくりと身を浸していくのだった。
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