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「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ
『ひまわりの笑顔』

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常盤家の守護神

「夏だ! 海だ! 海水浴だーっ!」


「だーっ!」


 ひまりの底抜けに明るい声と、ひかりの無邪気な歓声が、夏の空に響き渡る。

 抜けるような青空と、どこまでも広がる真っ白な砂浜。太陽の光を反射してキラキラと輝く青い海は、絶好の海水浴日和であることを雄弁に物語っていた。


 先日の夜、あんなに震え上がっていたのが嘘のように、ひかりとひまりはすでに全力で夏を満喫するモードへ切り替わっていた。


 だが、そんなひまりの夏のテンションは、着替えを終えて砂浜へと降り立ったハルに視線を向けた瞬間、まったく別のベクトルの熱狂へと振り切れることになった。


「あ、ああ……! ハ、ハル、さん……っ!」


 落ち着いた色合いの、肌の露出を極力抑えた淑やかな水着姿のハルがそこにいた。


 無駄な肉のない、しなやかで凛とした肢体でありながら、女性らしい豊かな曲線は少しも隠しきれていない。普段の静謐な雰囲気はそのままに、透き通るような白磁の肌が、暴力的なまでの真夏の太陽の下でより一層の輝きを放っている。


 そのあまりに完成された、神々しいという表現さえ陳腐に思える姿を前に、ひまりはその場に膝から崩れ落ち、両手を胸の前で硬く組み合わせた。


「凄いです……! おっふ……っ、なんという奇跡! なんという美の暴力……! おっふ……っ、美の女神アフロディーテすら、ハルさんの御姿を前にしては己を恥じて言葉を失うことでしょう! あぁ、圧倒的な存在感……ッ!」


 久々に限界を超えた感情の奔流に当てられ、ひまりは荒い息を吐きながら奇妙なうめき声を漏らす。


「……大袈裟すぎるよ。周りの目があるから、少し落ち着きなさい」


 ハルは少しだけ困ったように苦笑し、手元の日焼け止めを手に取る。


 だが、その何気ない仕草の一つひとつ、風に揺れる髪の軌跡すらもが、ひまりにとっては宗教画のような神聖さを伴って脳髄を焼いていた。すでにひまりの瞳孔は完全に開ききっている。


「ひまりちゃん、いつもの三倍拝んでる……。でも、たしかに今日のお母さんはすっごく綺麗!」


 ひかりもまた、目を丸くして感嘆の声を上げる。しかし、ひまりの熱狂はそんな健やかな親子の会話レベルにとどまらなかった。


「綺麗なんて言葉で片付けてはいけません、ひかりちゃん! 見てください、あの太陽の光すらハルさんを引き立てるためのただの照明に過ぎない事実を! この砂浜すら、ハルさんの足裏に触れられることを悦びに震えているはずです……ああ、今すぐここを祭壇にして貢物を捧げなければ……ッ! あ、ヤバ、鼻血が……」


 ツーッと一筋の鼻血を流し始めたひまりに、ハルは手元のティッシュを差し出しながら、静かにため息をついた。

 二人の熱っぽい視線をどこか遠い場所を見つめるように受け流し、ふっと優しく微笑む。


「やれやれ……。君のその熱量だけで、海水が干上がってしまいそうだね。せっかくの海だ。拝んでないで、二人とも早く楽しんでおいで。あまり遅くなると、潮の満ち引きも変わるからね」


 ハルはそう言って、キラキラと輝く海原へと小さくあごをしゃくる。


 その言葉に促されるように、ひかりがひまりの腕を引っ張りながら、海辺に向かっていく。


「ほら、ひまりちゃん! 早く海入ろ!」


「ああっ、ちょ、待ってひかりちゃん! 私はまだハルさんの御姿を網膜に焼き付ける作業が……!」


 ひまりは名残惜しそうにハルへ手を伸ばしながらも、容赦のないひかりに腕を引かれ、波打ち際へと引きずられていった。


 ――そうして、無邪気に水を掛け合う二人。だがそんな姿を、遠くから見つめる下世話な視線があることに、彼女たちはまだ気が付いていなかった。



 ◇ ◇ ◇



「ねえねえ、そこの可愛いお二人さん。学生? 俺らと一緒にバナナボート乗らない?」


 日焼けした若い男が二人、水遊びをしていたひかりとひまりの前に立ち塞がった。


「えっ……あ、あの……」


 突然のナンパに、ひかりが怯えたようにひまりの背中に隠れる。


 一方のひまりはといえば、ハルへの未練を断ち切り、ひかりと全力で海を満喫していたところを邪魔されたことで、露骨に不機嫌な顔を作っていた。


「間に合ってます。私たち、二人で遊ぶのに忙しいので。視界の邪魔です、退いてください」


「えー、冷たいなあ。いいじゃん、ちょっとくらいさ」


 ヘラヘラと笑いながら、男の一人が気安くひまりの肩へ手を伸ばした。


 ――その直後だった。


「痛ぇッ!?」


 男の間の抜けた悲鳴が、波打ち際に響き渡る。


 触れようとした男の腕を、ひまりが瞬時に絡め取り、一切の躊躇なく関節を極めて捻り上げていたのだ。


 過去の経験から、自分の身を守るために修めていた護身術。それは決して素人の真似事などではなく、実戦で培われた確かな技術だ。


「痛い痛い痛い! 折れる、折れるって!」


「気安く触らないでください。二度目はありませんよ」


 冷たく言い放ち、氷のような視線を向けながらひまりが男を砂浜へと突き飛ばす。


 尻餅をついて呻く相棒の姿に、もう一人の男がカッと血を上らせた。


「このアマァ……ッ!」


 男は顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げ、ひまりへと掴みかかろうと大きく腕を振り上げる。


 ひまりは冷静に身構え、次の迎撃態勢に入ろうとした。


 瞬間。


 ――ピタリ、と。


 振り下ろされようとした男の腕が、空中で不自然に止まった。


 呼び止められた訳ではない。勿論、腕を掴まれた訳でもない。


 ただ、男の全身が、本能的な恐怖によって完全に硬直したのだ。


 いつの間にか、男の背後には音もなくハルが立っていた。


「……ずいぶんと、騒がしいね」


 波の音すらもかき消すような、どこまでも深く、静かな声。


 男は反射的に振り返ろうとしたが、背後から放たれる絶対的な『圧』に当てられ、首を動かすことすらできない。

 まるで、振り返ったが最後。巨大な深淵にそのまま飲み込まれてしまうかのような錯覚。


(あ、お母さん、めっちゃ怒ってる)


 声色に変化はない。その落ち着き払った表情も、いつもと何も変わらないように見える。

 だが、産まれたときから常にハルと共にあるひかりには、ハルの内側に膨れ上がるマグマのような熱量と、絶対零度すら凍てつかせる、激しい怒りがはっきりと感じられた。


 真夏の熱気が一瞬で消滅したかのような、圧倒的な冷気が、男たちの全身を粟立たせる。


「君たちは元気が有り余っているようだね。――少し、減らしたほうがいい」


 ハルの静かな言葉が落ちた瞬間。


 男たちの身体から、生きるための元気、生命の活力がごっそりと、文字通り『半分』ほど抜け落ちた。

 ハルがそれを、静かに『引き受けた』のだ。


「あ……、あ、ぁ……っ」


 物理的な接触は一切ない。しかし、男たちは急激な脱力感と喪失感に襲われ、その場に崩れ落ちた。

 先程まで、彼らを取り巻いていた暴力的な熱は完全に霧散し、焦点の合わない虚ろな目で、ただガクガクと震えている。


「ひっ、ひっ、ひぃいいいい」


 彼らは這いずるようにして、砂まみれになりながら、逃げるようにその場から遠ざかっていった。


 嵐が去った後の波打ち際。

 ひまりは目をキラキラと輝かせ、すぐ隣に立つハルを見上げる。


「素晴らしいですハルさん……! 一切の物理的接触を行わず、ただそこに立つだけで愚民どもの活力を根こそぎ奪い去るその覇気! まさに絶対不可侵の守護女神アテナ……!」


「ひまりちゃんも、カッコよかったよ!……だけど、やっぱり拝むんだね」


 呆れ半分、感心半分といった様子で呟いた後、ひかりは逃げていった男たちの後ろ姿へと視線を向けた。

 ゾンビのようにフラフラと遠ざかっていく彼らを思い出し、少しだけ不安そうに眉を下げる。


「でも……あの人たち、大丈夫かな? なんだかすっごく顔色悪かったけど……」


 自分たちに危害を加えようとした相手であっても、つい心配してしまう。それは、ひかりの持つ生来の優しさだった。


「……何、活力を半分引き受けただけさ」


 心配するひかりに、ハルはさらりと言ってのける。


「よく寝て、よく食べ、よく動く。そういう健康的な生活をすれば、じきに元に戻るよ」


 その言葉は、彼らへ身の程を知らしめる痛烈な罰でありながら、同時にその先の日常や精神までは破壊し尽くす気はないという、ハルなりの静かな線引きでもあった。


「ともあれ、怪我がなくてよかった。……さあ、遊んでおいで」


 そう言って、いつものように安心感に満ちた微笑みを二人に向けると、ハルは踵を返してパラソルに戻ろうとする。


 しかし、その両手が、左右からきゅっと握られた。


「お母さんも、一緒に行こ?」


 振り返ると、ひかりがハルの右手を両手で包み込むようにして引き留めていた。

 反対側では、ひまりがハルの左手をそっと――まるで国宝か割れ物にでも触れるかのような手付きで握っている。


「そうですよ、ハルさん! こんなに素晴らしい海なのですから、ハルさんも水に入らないと勿体ないです! それに、私がハルさんのお小姓として全力でお守りいたしますので!」


「いや、私はここで見ているだけで十分――」


「だーめ! 今日は三人で遊ぶの!」


 珍しく強引に腕を引っ張るひかりの言葉に、ハルは小さく目を丸くした。


 ひかりの無邪気な笑顔と、期待に満ちたひまりの熱い眼差し。

 その二つの引力に挟まれてしまっては、もはや「見守る」という選択肢など残されてはいなかった。


「分かったよ。……行こうか」


「わーい! ほら、早く早く!」


「ああっ、ひかりちゃん引っ張りすぎです! ハルさんの玉の肌に傷がついたらどうするんですか! ハルさん、足元お気をつけて……!」


 抜けるような青空と、どこまでも広がる真っ白な砂浜。

 太陽の光を反射してキラキラと輝く海原へと、二人に両手を引かれたハルがゆっくりと歩みを進めていく。


「……やれやれ」


 呆れたような、けれどひどく愛おしそうな呟きが、波の音と夏の風にさらりと溶けていった。


この度は私の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。

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