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「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ
『ひまわりの笑顔』

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吹く風の中で

 期末テストを翌週に控えた週末の夜。


 常盤家のリビングには、いつものような賑やかな声が響いていなかった。

 理由は単純。この家の愛娘であるひかりが、友人宅での泊まり込みの勉強会に出かけているからだ。


『いつもお母さんに場所を借りてばかりじゃ悪いから』という、ひかりらしい気遣いの結果である。


 故に、現在この静かで広い空間にいるのは、ハルとひまりの二人だけだった。


 カリカリ、と。

 サァッ、と。


 静寂に包まれた室内に、紙とペン先が擦れる心地よい音だけが響き渡る。


 ハルはリビングのテーブルに原稿用紙と原書を広げ、静かに翻訳の仕事を進めていた。使い込まれた細身の万年筆が滑らかに動き、彼女の涼やかな美しさのままに、計算し尽くされたような文字が次々と紡がれていく。


「……ひかりちゃんがいないと、淋しいですね〜」


 ソファの上でクッションを抱きしめながら、ひまりが間延びした声でぽつりと零す。


「そうだね。だが、あの子が一生懸命頑張っている証拠だからね」


 万年筆を走らせる手は止めず、ハルは穏やかな声で返した。

 手元から漂う仄かなインクの香りと、淹れたてのハーブティーの香りが、夜の空気を優しく満たしている。


「でもでも、高校生がお泊まり会ってなったら、勉強どころじゃないのでは?」


 ひまりが身を乗り出し、いかにもな心配……という名の好奇心を口にする。


「いつものグループだと言っていたし、ひかりも静音も真面目に勉強するタイプだ。みゆきも結衣も、勉強自体は得意じゃなくても良い子だし、平気だよ」


 原書から原稿用紙へと静かに視線を移しながら、ハルはさらりと答えた。

 ひかりの交友関係を完全に把握し、友人たちの性格まで理解しているからこその、揺るぎない信頼である。


「ええー。ハルさん、わかってないですね。お年頃の女子が集まって夜を明かすんですよ? 勉強なんて早々に切り上げて、絶対恋バナとかで盛り上がっちゃうに決まってるじゃないですか!」


「恋の話、か」


 ここで、心地よく響いていたペン先の音がふっと止まった。

 ハルは顔を上げ、涼やかな瞳をほんの少しだけ細める。


「ふふ。……だとしたら、それはそれで良いことじゃないか」


「えっ?」


「ひかりが誰かを慕い、友人とそういう他愛のない話で夜を明かす。それは、青春というかけがえのない時間を、彼女が真っ直ぐに生きている何よりの証だ」


 静かに語られる言葉には、親としての深い愛情と、娘の健やかな成長を喜ぶ確かな温もりが宿っていた。

 数千年の時を生きるハルにとって、ひかりが刻む一瞬一瞬の変化は、どれも尊く輝かしいものなのだ。


「それに……もし本当にひかりに思い人ができたのなら、いつか私にも教えてくれるだろうしね」


「うぅ、私はハルさんみたいに素直に祝福出来るか分かりません……」


 眉を八の字にするひまりに苦笑した後、ハル自身もまたなんとも形容し辛い、少しだけ困ったような顔をする。


「もっとも、親としての『愛』は分かっても、誰かに惹かれる『恋』というものを、私は知らないからね。いざ相談された時に、上手く答えてやれるかは分からないのだけれど」


「……ハルさんの愛は、惚れた腫れたではなく女神の如き深い慈愛ですからねぇ……」


「ふふっ、大袈裟だよ」


 クスクスと静かに笑い、ハルは万年筆のキャップを閉じた。

 今夜の分の仕事は、どうやらキリの良いところまで終わったらしい。


 原稿を綺麗に整えて端に寄せると、ハルは静かに立ち上がり、キッチンへと向かった。

 程なくして、温かいお茶を淹れ直して戻ってきた彼女は、そのままひまりのいるリビングのソファへと腰を下ろす。


 その瞬間だった。


「むぎゅっ」


 ソファで横になっていたひまりが、滑るような動きでハルの膝の上に頭を乗せ、見事な『膝枕』の体勢へと持ち込んだのだ。


 そこは普段、ひかりが占領しているため決して空くことのない、絶対的な指定席である。今日ばかりはその主が不在であるため、ひまりはまんまとそのプラチナチケットを手に入れたというわけだ。


「……何をしているんだい、ひまり。君はもういい大人だろう」


 突然の膝枕にほんの少しだけ目を丸くしつつ、ハルは呆れたような声で尋ねる。

 しかし、ひまりはハルの膝にすりすりと頬を寄せながら、極めて真面目なトーンで答えた。


「生来ハルさんとひかりちゃんの両方の成分を吸収しないといけない私ですが、今日はひかりちゃんがいないので、その分ハルさんの成分を多めに吸おうかと……」


「私からそんな変なエキスは出ていないよ……」


 呆れ果てたような、やれやれというハルの溜め息が頭上から降ってくる。

 だが、その声色はひどく優しく、拒絶の色を示さない。


 口では窘めながらも、ハルは膝の上のひまりを避けようとも、退かそうともしない。それどころか、空いた片手でひまりの頭を、まるでひかりにするのと同じように、優しく、慈しむように撫で始めたのだ。


「……えへへ」


「……全く、私は娘を二人も持った覚えはないのだがね」


 血の繋がりはない。年齢も、重ねてきた時間も、全く違う。

 娘のような、或いは姉妹のような、ともすれば気を許し合える親友のような。ひと言では形容出来ない不思議な関係。


 ――ただ一つ確かなことは、互いが互いを大切に想い合う、家族だということだ。


 温かいお茶の香りと、少しだけひんやりとしたハルの心地よい体温。

 極上の指定席で目を細めるひまりの頭を、ハルの静かな手が一定のリズムで撫で続ける。


 窓の外から吹き込む夏の夜風が、リビングのカーテンを静かに揺らす。


 愛娘の不在を少しだけ寂しく思いながらも、身を寄せ合う二人の夜は、ひどく穏やかに更けていくのだった。


この度は私の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。

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