オトナの会話
サクッと書こうと思ってたら文字数が倍になってる現象の正式名称、誰かご存知無いですか?
「「「お誕生日、おめでとう!」」」
リビングの扉が開かれた瞬間、パーンという軽快なクラッカーの音と共に、色とりどりの紙テープが宙を舞った。
何も知らずに隣の家から招かれていた本日の主役――早苗は、驚きに目を丸くして立ち尽くしている。
「えっ……? どうしたの、あなたたち。これって……」
「大成功だな。いやぁ、俺も今日まで黙っているのが本当に大変だったよ」
早苗の隣で、仕掛け人の一人である誠が、してやったりという顔で豪快に笑った。
どうやら、妻へのサプライズを隠し通せたことに心底安堵しているらしい。
「おばあちゃん、お誕生日おめでとう! 今年はね、みんなで内緒で準備したんだよ!」
「お母さん、おめでとう! はい、これ……私からのプレゼント」
ひかりが満面の笑みで飛びつき、ひまりが綺麗に包装された箱を手渡す。
受け取った箱を開け、中から上品な色合いのシルクのスカーフが現れると、早苗は「わあっ」と小さな歓声を上げた。
「これ、私が前から欲しかったやつ……! ひまり、よく分かったわね」
「ふふっ、もちろん。お母さんのひとり言、ちゃんと聞いてるんだから」
「ほら、俺からもだ。これからもよろしく頼むよ」
照れくさそうに鼻を擦りながら、誠が両手いっぱいの花束を手渡す。
「まあ、お父さんまで……ありがとう」と嬉しそうに目元を拭う早苗を見つめながら、ハルは静かに微笑み、ダイニングテーブルの方へと視線を促した。
「さあ、立ち話もなんだ。……主賓をご案内しよう」
ハルの言葉に導かれ、早苗がテーブルへと視線を移す。
そこには、彩り豊かなカルパッチョや、じっくりと煮込まれたビーフシチューなど、ハルが腕によりをかけたご馳走が所狭しと並んでいた。
「まぁ、ハルさんの手作りかしら……相変わらず凄いわねぇ」
「なに、先生の教え方が良かったのさ」
かつてハルが彼女から教わったのは、お菓子作りに関してのみである。だが、ここでそれに言及する野暮な者はいない。
「えへへ、ご飯はお母さんだけどね、後で食べるケーキは私が焼いたんだよ! ……お母さんに、すっごく手伝ってもらったけど!」
得意げにえっへんと胸を張るひかりの姿に、リビングは温かな笑い声に包まれた。
早苗はスカーフと花束をそっと胸に抱きしめ、本当に幸せそうに目を細める。
「ありがとう、みんな。……こんなに素敵な誕生日を迎えられるなんて思ってなかったわ」
少しだけ潤んだその瞳や微笑みは、とても齢五十とは思えぬ若さと美しさを保っており、ともすれば隣に並ぶ誠とは夫婦というより親子のようにも見えるが――そこに触れるのもまた、野暮だろう。
「さあ、せっかくの料理が冷めてしまう。……今日は早苗の記念すべき誕生日に、乾杯だ!」
「「「乾杯!」」」
誠の陽気で、けれど確かな喜びを滲ませた音頭と共に、グラスが打ち鳴らされる。
賑やかな宴の始まりを告げるその澄んだ音を、全員が心地よい余韻と共に静かに聞き届けていた。
◇ ◇ ◇
ハルが腕によりをかけた料理に舌鼓を打ち、宴もたけなわとなった頃。
グラスのワインを上機嫌で空けた早苗が、ふと隣に座るひかりへと優しい視線を向けた。
「本当に嬉しいサプライズだったわ。……でも、私の誕生日って事は、次はひかりちゃんの番ね」
「うんっ! 六月三日だから、もうすぐだよ!」
ひかりがリンゴの刺さったフォークを握りしめたまま、えへへと嬉しそうに笑う。
その言葉に、すっかり出来上がっている誠が「おおっ!」と身を乗り出してきた。
「そうだ、ひかりも誕生日だったね。よし、次は俺たちに任せておけ! 今日のお返しに、おじいちゃんが特大のケーキとお寿司を用意してやるからな!」
「わぁい! おじいちゃん太っ腹ー!」
無邪気に喜ぶひかりと、相好を崩す誠。
その微笑ましいやり取りを見守りながら、ハルが隣に座るひまりへと静かに声をかけた。
「早いものだね。ひかりももう、十六歳か」
「ええ。……私にとっても、あの子にとっても、本当に大切な日ですから」
ひまりはそっと自らの胸元を押さえ、ひかりを、そしてハルを慈しむように……愛情と、ほんの少しの切なさが入り混じるような、ひどく優しい瞳で微笑んだ。
六月三日。
ひかりがまた一つ、齢を重ねる日がやってくる。
それは同時に、ハルが文字通り身を削り、理を捻じ曲げてひかりを産み落とした日。ひまりの中で、ハルという存在が決定的なまでの畏敬と親愛の対象になった日でもあった。
彼女が健やかに過ごすその一年一年には、形容出来ない程の確かな重みと、眩い輝きが詰まっているのだ。
「私も、お母さんのご飯リクエストしていい!?」
ふいに、ひかりが目を輝かせてこちらを振り返った。
「ああ、構わないよ。何が食べたいのか、今のうちに考えておくといい」
「やったー! じゃあね、ハンバーグと、グラタンと、あと……」
指折り数え始めるひかりの姿に、リビングは再び温かな笑い声に包まれた。
五十路を迎えた祖母と、もうすぐまた一つ大人への階段を登る孫娘。
その二人の笑顔を照らすリビングの灯りは、初夏の穏やかな夜の空気に溶け込むように、ただひたすらに温かかった。
◇ ◇ ◇
そうして、誕生日パーティーの喧騒が嘘のように静まり返った、深夜のキッチン。
騒ぎ疲れたひかりとひまりが寄り添うようにリビングにある大きめのソファーで、そしてすっかり酒に飲まれた誠が客間で、それぞれ眠りについた後。
照明を落とした静かな部屋では、ハルと早苗だけが二人、テーブルで向かい合いながらグラスを傾けていた。
「ハルさんと二人で話をするのも久々ね」
氷の溶ける微かな音と共に、早苗がポツリとこぼす。
「そうだね。……ひかりが小さい頃は、珍しくもなかったが」
「そのひかりちゃんも、もう十六だものね。……私も歳を取るわけだわ」
早苗は少しだけ自嘲するように目を細め、手元のワイングラスを見つめた。
その視線は、どこか遠い過去――ひかりがこの世に生を受ける少し前の記憶へと向けられているようだった。
「ねぇ、ハルさん、覚えている? ひかりちゃんが産まれる少し前のこと……」
◇ ◆ ◇
十六年前。ひかりの出産を目前に控えた頃のことだ。
妊娠による高血圧は悪化の一途を辿り、それを定期的に『身代わり』しなければならない状態が、連日続いていた。
異常なまでに跳ね上がった血圧。視界を奪うほどの激しい目眩と、割れるような頭痛。全身は酷く浮腫み、ベッドの上で浅い呼吸を繰り返しながら眠る彼女の症状を、全て己の身に引き受ける日々。
『身代わり』のお陰で母子の容体は安定していたが、それに比例してハルの体調は、悪化の一途を辿っていた。
――そうして、その日もまた、いつものようにひまりの不調を引き受けたハルだったが……受け止めるべきハルの肉体が、遂に限界を迎える。
「グ……ッ!」
ハルは唐突に膝から崩れ落ち、胸を掻きむしりながら激しく咳き込んだ。
不老であるハルの肉体だが、その構造は、人間と何ら変わらない。引き受けた病魔は容赦なくハルの肉体を蝕み、犯していく。
身を焼くような苦痛に、脂汗を浮かべて顔を歪めるハル。それを近くで見ていた早苗が、寄り添いながら震える声でこう問いかけたのだ。
「どうして、娘のためにそこまで……?」
それは奇しくも、娘であるひまりと、全く同じ問い。
「……君たちは、親子で同じ事を聞くのだね……」
苦痛に顔を歪め、荒い息を吐きながらも、ハルは苦笑しながらそう答える。
「だってハルさんの『身代わり』は、本当に言葉の通りじゃない。私の火傷を引き受けた時も辛そうにして、今だってそんなに苦しんでるのに、どうして……!」
「……彼女には……名を、貰ったからね。……それに、どれ程の苦痛でも、苦しみでも、私の身体はいずれ元の状態に戻る……一時のものだよ」
「それが、理由……? それだけで、こんな事を毎日……? ううん、例えひまりはそうだとしても、それだけじゃない。だってハルさんは、色々な人を助けてきたのでしょう……?」
「……助けた、なんてだいそれたものじゃないさ……」
「いいえ……! 私たち親子は、間違いなく貴方に助けられたわ。それはきっと、今まで貴方に救われた人も、きっとそう思ってる。……でも、だけど。……それじゃあ、貴方を助けてくれる人はどこにいるの? 本当に苦しくないの……?」
ひたすらに他者のために身を削るハルを、心の底から案じ、慮る声。
その言葉に込められた深い慈しみと痛切な響きに、ハルは思わず静かに目を伏せた。
「君達親子は……本当にそっくりだね……」
「……ごめんなさい、こんな事を言ったって、ハルさんに何も返してあげられないのに……」
「……いいや。私は既にもう君たちから十分なものを貰っているよ」
「……えっ?」
不意に告げられた思いがけない言葉の真意が掴めず、早苗はただ困惑したように目を瞬かせた。
「死にばかり触れて来た自分が、今はこれから産まれてくる『生』に寄り添っている。……君たちのおかげさ」
「だって、それは……」
「いいや……私はそれを少しだけ、快と感じている。ならばそれは、十分なお返しさ……」
◇ ◆ ◇
「……そんな事もあったね」
過去の記憶をなぞるように、ハルは手元のグラスを静かに揺らしながら呟いた。
人の理から外れたハルを、人と同じように扱い、慮る親子の優しさ。その思い出が、少しだけ彼女の胸を温かくする。
そんなハルの横顔を見つめながら、早苗は懐かしむように目を細め、静かに微笑んだ。
「とても感謝したけど、それと同時に思ったわ。変な人ねって」
くすくすと、可笑しそうに笑いながら話す早苗。
その声には、深い親愛と、長年の歳月が培った確かな信頼が滲んでいた。
そんな彼女の屈託のない笑顔につられるように、ハルもまた、口元に小さな弧を描く。
「ふっ、私もそう思うよ……」
早苗が自身のグラスをハルのグラスへとそっと当てる。
カチン、と。
澄んだガラスの音が、静寂に包まれた夜のリビングに、心地よい余韻だけを響かせていった。
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