おばあちゃんの謎
数日間に及んだ定期テストという名の嵐が、ついに過ぎ去った。
学生たちを縛り付けていた重圧から解放された、テスト最終日の夜。
常盤家のリビングには、すべての力を出し切って見事な抜け殻と化した、二人の人間の姿があった。
「終わったぁ……。お母さん、私もう頭の中身がすっからかんだよ……」
「私の霊力も……底を突きました……」
「ひかり、よく頑張ったね。……ひまり、何故君まで疲れているんだい?」
ハルが呆れ混じりにツッコミを入れつつ、淹れたてのほうじ茶と和菓子をテーブルに並べる。
「何故って、そりゃもうひかりちゃんがテストで良い点を取れるように全力の祈祷を……」
「……君には霊力もそんな能力もないだろうに」
「あぁ、ハルさんのその呆れ混じりの眼差しも、私にはご褒美です……疲れ切った五臓六腑に染みてきます……!」
「……そんなものを染み込ませてなくて良いから、甘い物でもお腹に入れなさい」
そんな他愛のないやり取りを経て、ひとしきり夜のお茶の時間を楽しんだ後……ハルが空になった茶器をキッチンへ運び、洗い物をしていた時のことだった。
ふとリビングの壁に掛かったカレンダーに目を向けたひかりが、弾かれたように声を上げた。
「あーっ!」
「……どうしたんだい?」
「テストのせいで完全に忘れてた! もうすぐ、おばあちゃんの誕生日だよ!」
その声に、ソファで寝転がっていたひまりも「あっ」と声を漏らす。
「本当だわ。お母さんの誕生日、お祝いしないと」
「あ、じゃあさ、今年は内緒でサプライズパーティーにしようよ! テストも終わったし、私、気合い入れてケーキ焼くよ! ……お母さんと一緒に!」
普段は料理など滅多にしないひかりが、ちゃっかりとサポートを要求してくる。
ハルが苦笑しながら頷くと、ひまりもパッと顔を輝かせて同意した。
「賛成! じゃあ、私はプレゼントの調達係ですね。確か、お母さんが前から欲しがっていたスカーフがあったはず……!」
「……では、私はいつものように料理を作るとしようか」
ハルがキッチンから声をかけると、ひかりは「やったー! 絶対喜んでくれるよ!」と両手を挙げて歓声を上げた。
主役には内緒で進める、秘密の誕生日パーティー。
それぞれの担当を決め、ワクワクするような計画をひとしきり練り終えた後――。
「……そういえば、早苗さんは今年で五十になるんだったね」
ハルがキッチンから静かにそう告げると、ひかりは「そっかぁ、五十歳かぁ」と呟きながら、リビングの棚から古いアルバムを引っ張り出してきた。
夜の静けさの中。ソファでぱらぱらとページをめくっていたひかりが、ふと不思議そうな顔を上げた。
「ね〜お母さん。おばあちゃんって、なんであんなに老けないの?」
唐突な疑問に、ハルはピタリと皿を洗う手を止めた。
ひかりの指の先にあるのは、十数年前の写真。そこに写るのは、幼いひかりを抱きながら笑顔を向ける早苗の姿だ。だが……その写真に写る早苗の姿は、もうすぐ五十を迎える今と、恐ろしいほどに変わっていない。
「……何故だろうね」
(考えた事は無かったが、確かに……。人類には、まだ私の知り得ない未知の力があるのだろうか……)
高価な美容液を塗りたくっているわけでも、エステに通い詰めているわけでもない。完全に『天然』でありながら時が止まっているかのような彼女の若さは、何千年も生きるハルから見ても、純粋な謎であった。
「本当、不思議……」
ひまりが同意するように深く頷いた。
「お母さんってば、四十九歳なのにシワ一つないんだもの。昔から全然変わらないし。遺伝とかだと嬉しいんだけど」
首を傾げ、心の底から不思議そうに呟くひまり。
その言葉に、ハルは洗い終えた皿を水切りカゴに置き、タオルで手を拭いながら彼女をじっと見つめた。
今年で三十二歳になった、ひまり。
しかし、その白く透き通るような肌やあどけなさの残る立ち振る舞いは、どう贔屓目に見ても二十歳そこそこの女子大生にしか見えない。
恐るべき早苗の謎の遺伝子は、間違いなく目の前の娘へと完璧に受け継がれている。しかし、ひまり自身は「自分は年相応の三十代だ」と信じて疑わず、周囲からどう見られているかに驚くほど無頓着なのだ。
「……ひかり。人間の『未知』というものは、まだ完全には解明されていないのだよ……」
ひかりにそう告げたあと、ハルはなんとも言えない表情をしながら、未だに「今度お母さんに若さの秘訣を問い詰めてみよう」と真剣に悩んでいるひまりへと再度視線を向けた。
やれやれ、とハルは小さく肩をすくめる。
この親子の天然の恐ろしさに気が付いているのは、どうやらこの世界で自分だけのようだ、と。
――しかし。
「母親です」と名乗るたびに周囲を大混乱に陥れ、自分の放つ永遠の美しさに対する自覚が致命的に欠如しているハル。
彼女こそが、周囲の『老い』に対する感覚をバグらせている元凶だということを、彼女自身が自覚する日は……いつまで経っても来ないのであった。
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