ぱすた・ある・りもーね……?
由紀子さんとの穏やかなお茶の時間を終えた私は、帰宅して直ぐ、昼食の準備に取り掛かる。
サラダを先に作り終え、メインのパスタに工程を移してほどなく、玄関の扉が開く音と共に、賑やかな声が響いて来た。
「お母さん、ただいまー! みんな連れてきたよー!」
「お邪魔しまーす!」
「お邪魔します……っ」
午前中でテスト初日を終えたひかりが、朝の宣言通り、みゆきたち友人グループを連れて我が家へと帰ってきたのだ。
「おかえり、ひかり。皆もいらっしゃい。……手洗いうがいを済ませておいで。ちょうど昼食が出来上がるところだ」
「やったー! お腹ぺこぺこ!」
私の言葉に、少女たちは歓声を上げて洗面所へと向かっていく。
それを見届けた私はキッチンに戻り、手際良く調理の仕上げに取り掛かった。
「皆、レモンは平気かい?」
ふと彼女達の嗜好に思い至り、キッチン越しに尋ねると、「平気です!」「大好きー!」と元気な声が返ってきた。
ほどなく、手を洗い終えた少女達がリビングのテーブルに着くのに合わせ、出来立てのパスタとサラダを運ぶ。
「わぁ……っ! すっご、お店みたい!」
みゆきが目を輝かせ、結衣も「ヤバ、超いい匂いするんだけど!」と身を乗り出してきた。
歓声の中心にあるのは、削りたてのレモンの皮とチーズが香るクリームパスタだ。
「これ、なんていう名前なんですか……?」
静音が興味深そうにパスタを覗き込みながら尋ねてくる。
「南イタリアの郷土料理でね。『パスタ・アル・リモーネ』と言うんだよ。今日は生ハムと、旬のアスパラガスを添えてある」
「ぱすた・ある・りもーね……。名前までお洒落ですね。でも、こんなの作るの大変だったんじゃないですか……?」
恐縮したように静音が言葉を続けるが、私は静かに首を振った。
「いや……。ソース自体はレモンとチーズを茹で汁で乳化させるだけだからね。パスタを茹でている間に完成する。さして時間はかかっていないよ」
私が淡々と説明すると、ひかりは得意げに胸を張った。
「お母さんのご飯は、どれも絶品だからね! みんな、冷めないうちに食べよ!」
「いただきます!」と手を合わせ、一口食べた少女たちから次々と「美味しい!」と感嘆の声が上がる。
その賑やかな様子を見届けながら、私は少しだけ微笑み、静かに席を離れた。
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでした! それじゃあ、明日の勉強始めよっか」
昼食を終え、ひかりの号令で少女たちが鞄から教科書やノートを取り出し始める。
私は空になった皿を下げ、食後の片付けをするためにキッチンへと戻った。
シンクで皿を洗い、水を止めてパスタ鍋に手を伸ばそうとした、その時だった。
リビングと一続きになったキッチンへ、遮るものもなく少女たちの声が流れてくる。
「てかさ、ひかりのパパってどんな人なん?」
ふと、結衣が何気ない様子でそんな疑問を口にしたのが聞こえた。
勉強道具を広げながらの、悪気など一切ない、純粋な好奇心からの問いかけだろう。
「え、いないよ?」
対するひかりの返答は、ひどくあっさりとしたものだった。
声のトーンに陰りはなく、まるで『今日の天気』でも答えるかのように、彼女は事もなげに言い切った。
しかし、その軽やかさとは裏腹に、リビングには何とも言えない気まずい沈黙が降りてしまった。
結衣は『失敗した』とでも言いたげに顔を引きつらせて固まり、みゆきや静音も、どうフォローすべきか迷って視線を彷徨わせている。
当のひかり本人は、友人たちの態度がなぜ硬化したのかわかっていない様子で、きょとんとしていた。
そもそも物心ついた頃から『いない』のが当たり前であった彼女にとって、父親がいないというのは単なる『事実』でしかないのだろう。
手を拭き、私は急須に湯を注いでお盆に乗せる。
これ以上彼女たちを居心地の悪い空気の中に置いておくのも忍びなく、足音を少しだけ大きめに立てながら、リビングへと足を踏み入れた。
「……お茶が入ったよ」
私の姿を見た瞬間、みゆきが弾かれたように顔を上げ、必死に話題を切り替えてきた。
「あ、あの! お母さんは、お仕事なにしてるんですか!?」
すがるようなその様子に、私は心の中で微かに苦笑を漏らしつつ、テーブルにお盆を置きながら座り込んだ。
「仕事かい? 昔世界を回った経験があるからね……それを活かして翻訳家をしているよ」
私が淡々とそう告げると、静音は両手を胸の前で組み、うっとりとした熱っぽい瞳を向けてきた。
「翻訳家……格好良い……!」
「えっマジで!? もしかして海外の小説とか!? やば、超かっこいいんだけど!」
みゆきに便乗するように、結衣もこれ幸いと身を乗り出してきた。
先ほどの失言による気まずい空気を全力で上書きしようとしているらしく、やたらとテンションが高い。
「本の種類にこだわりはないよ。……量と報酬のバランス次第で、なんでもさ」
私がそれぞれの湯呑みにお茶を注ぎながら答えると、少女たちは「プロだ……」「現実的で素敵です……」と、それぞれに感嘆の息を漏らした。
「え、じゃあ、本屋さんとかに行けばママさんの翻訳した本が置いてあるって事?」
結衣が目を輝かせ、さらに身を乗り出してくる。
その横では、静音が何故か「今度探しに行かなくちゃ……」と小さな声で呟いているのが聞こえた。
「ああ。いくつか書店に並んでいるものもあるだろうね。……別段ペンネームなども使っていないから、探せば見つかるだろう」
「えー、そうなんだ! めっちゃ凄い!」
「料理も上手くて世界中の言葉も分かるとか、ひかりのママさん、シゴデキ過ぎん?」
結衣が興奮気味にそうまくし立てる。
無駄に長生きをしただけなのだが、彼女たちには料理の腕前も含めて、私が世界を知る『料理人兼翻訳家』に映ったのかもしれない。
「自分のお母さんが美人で家事も仕事も出来るとか、マジでひかりちゃんが羨ましいわー。……うちのお母さんとチェンジしてくんない?」
みゆきが冗談めかしてそうこぼすと、ひかりはむんっと得意げに胸を張って言い放った。
「駄目だよー、お母さんは私の!」
そんな微笑ましいやり取りを聞きながら、私は今日のお昼前、由紀子さんと過ごした穏やかな時間を思い返していた。
テストの出来を案じながら、いつでも娘の話ばかりする、そんな彼女の姿を。
「……みゆき」
私が静かに名を呼ぶと、彼女は「はい?」と不思議そうに首を傾げた。
「由紀子さんは会うといつも君の話ばかりする。いつでも君を案じ、思ってくれている。……素晴らしいお母さんだよ」
淡々と、けれど確かな実感を込めてそう告げると、みゆきは少し気恥ずかしそうに「……知ってます」とはにかんだ。
その様子をみた私は少しだけ微笑み、立ち上がる。
「さて。私の昔話はこれくらいにしておこう。……君たちの今の仕事は、明日のテストに備えることだろう?」
私がそう言って湯呑みを指し示すと、ひかりが「あ、そうだった!」とポンと手を叩いた。
「みんな、お茶飲んだら続きやろっか! 次は数学のプリントの残りからだよ!」
「うげー、マジか。……でも、美味しいご飯食べたし頑張るしか……!」
結衣がわざとらしく項垂れながらもシャープペンシルを手に取り、みゆきと静音も苦笑しながらそれに続いてノートに向き直る。
気まずかった空気はすっかり霧散し、いつもの和気あいあいとした彼女たちのペースに戻っていた。
賑やかさを取り戻したリビングから、やがてカリカリと小気味良い音が響き始める。
そんな少女達を見届けた私は、洗濯物を取り込みに庭へと向かうのだった。
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