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「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ
『新たなるひかり』

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PTA総会……?

 授業参観が終了し、教諭のアナウンスに従い、一年生の教室を後にして体育館へと向かったハルは、入り口を前にしてふと足を止め、小さく息を吐いた。


(先程は『本気』でと言われたのに、ひかりの顔を見たらつい気が緩んでしまった。……改めて、総会という場で失礼の無いように、『本気』で臨まねばなるまい)


 ハルは静かに目を閉じ、己を律しながらピシャリと気合を入れ直す。

 先ほど教室でうっかり解けてしまった、保護者としての礼儀と品位を、改めて纏い直した。


 その研ぎ澄まされた覇気を纏ったまま、体育館へと足を踏み入れる。


 体育館には既に何百脚ものパイプ椅子が等間隔に並べられ、大勢の保護者たちが集まって特有のざわめきを生み出していた。

 だが――ハルが入り口から足を踏み入れた瞬間、さざ波が引くように人々の声が途絶え、身動ぎもせずにその動きを止める。


 突き刺さるような数百の視線。だが、当のハルは特に気にすることもなく、空いていた席へと静かに腰を下ろした。


(ふむ……良い教育を受けて育ったであろう保護者もまた、この会合の場においてきちんと沈黙という礼節を弁えていると見える。素晴らしいね)


 異様な沈黙の中、やがて始まったPTA総会。

 校長や現PTA役員の挨拶がつつがなく終わると、いよいよ本日の主たる議題――新年度の役員選出へと移った。


 進行役の教頭が「どなたか、立候補される方は……」と切り出した、その瞬間だった。


(いよいよ、今日の本題か……)


 体育館を包む『圧』が、より一層強くなる。

 総会という場に敬意を表すべく、ハルが今一度気合を入れ直したのだ。


 ……元より、数千年の悠久を生きる正しく超常の存在たるハルである。ひまりと出会った時はその精神の摩耗により、存在感すら希薄になっていたが……己が意志を確たるものとしていれば、生物としての存在感そのものが徒人とは違う。


 加えて、今はその容姿においても他者とは隔絶した美貌を誇っているのだ。その『美しさ』と『存在感』により、周囲の者は最早直視する事すら出来ずにいた。


 視線を上げる事すら出来ず、文字通り頭を垂れることしかできない周囲の保護者達。


(ふむ……。やはり、どこの時代、どこの集落でも、長や役回りを決める場というのは空気が重くなるものだな)


 それを見たハルは静かに周囲を見渡し、見当違いの感心を抱いていた。

 誰もが「どうか自分に当たりませんように」と下を向いているのだと。顔を上げられないほどに、現代社会を生きる親たちは仕事や家事で疲弊し、これ以上の負担を背負う余裕がないのだろう、と。


 教頭が助けを求めるように視線を彷徨わせるが、当然、誰一人として顔を上げる者はいない。体育館には、張り詰めた糸のような緊張感だけが満ちている。


(……仕方がないね)


 ハルは小さく息を吐いた。

 人間社会に溶け込む以上、郷に入っては郷に従うのが筋である。ひかりが世話になっているこの学校のためならば、多少の労は惜しまないつもりだった。


 ハルはゆっくりと立ち上がり、凜とした声で静寂を破った。


「――皆がそこまで負担に感じているのであれば、私が役員を引き受けよう。……娘が世話になっている恩もある。何事も、つつがなく平定してみせよう」


 マイクを通したわけでもないのに、彼女の声は静まり返った体育館の隅々にまで、澄んだ音色として響き渡った。


 直後。


「おおおぉぉ……っ!」

「……なんという慈愛……」

「女神だ……我々を救う女神が降臨なさった……っ!」

「一生ついていきます……っ!」


 なぜか体育館のあちこちから、感極まったような深いため息と、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。

 ハルが名乗りを上げたことで、彼らを縛り付けていた絶対的な重圧がフッと解けたからなのだが、彼女はそれを「厄介事を引き受けてくれたことへの純粋な感謝」だと受け取った。


 すると、壇上の現PTA会長が、目頭を押さえて男泣きしながらマイクを握りしめた。


「へ、平定……! おおお、なんという王者の風格……! 役員などとケチな事は申しません! どうか、どうか我々を導く今年度のPTA『会長』を引き受けてはいただけないでしょうか!!」


「ま、満場一致で、常盤様を今年度のPTA会長に推挙いたします!! 異議のある方はいらっしゃいますか!?」


 進行役の教頭が上擦った声で叫ぶと、誰一人として異論を唱えるどころか、さらに熱狂的な拍手と歓声が地鳴りのように響き渡った。


(ふむ……? まぁ、役員も長も、労力としては大して変わらないか。よほど誰もトップに立ちたくなかったのだな。現代の親のストレスたるや、想像を絶するものなのだろう)


 ハルは心の中で深く同情しつつ、彼らの労をねぎらうように静かに、深く頷いた。


「……皆が望むのであれば、引き受けよう」


 ハルが静かにそう告げると、体育館は再び歓喜の渦に包まれた。

 だが、長たるもの、初めからすべてを一人で背負い込むのは傲慢というものだ。ハルはひれ伏すような視線を向ける周囲の役員たちを見渡し、出来るだけ謙虚に、かつ相手を敬うように言葉を紡いだ。


「とはいえ……会長としては若輩の身だ。先任の方々の方が実務には一日の長があるだろう。私が仕事を覚えるまでは、仔細恙無く行ってほしい」


 ハルとしては、『新参者で仕事が分からないから、先輩方、当面はフォローをお願いするよ』という至極真っ当で謙虚な挨拶のつもりだった。

 しかし、理外の存在としての圧倒的な覇気と、王者のごとき威厳を纏った彼女の口から放たれたその言葉は、周囲の役員たちの耳には全く違う意味となって響いていた。


(((――私を煩わせるな。雑務は貴様ら木っ端で完璧に回せ)))


「わ、分かりました!! 会長の御手を煩わせる事など決して致しません!!」

「我ら一同、粉骨砕身の覚悟でPTA運営に尽力いたします!!」


 ハルが気遣いの言葉を口にした瞬間、役員たちはなぜか戦国武将の家臣のように平伏し、血走った目で死ぬ気で実務をこなす覚悟を決めていた。


(……うん。長という責任ある立場は敬遠したとしても、助け合いの精神性は持ち合わせている。素晴らしいね)


 ハルは見当違いの感心を抱きながら、周囲の熱意に胸を打たれ、満足げに頷き、微笑みを浮かべる。


 瞬間――その場にいた誰もが、慈母の神がこの世に顕現したのだと錯覚した。


 先程まで空間を支配していた、絶対的な威圧感。それが嘘のように霧散し、後に残ったのは、ただひたすらに深い慈愛と包容力だった。

 冷徹なる支配者が垣間見せた、あまりにも優しく、柔らかい笑顔。

 それは正しく、先ほど一年生の教室で引き起こされた悲劇の再来である。


 究極のギャップを前に、体育館を揺らしていた熱狂すらもが一瞬にして凪いだ。

 居並ぶ数百人の大人たちは、心臓を射抜かれたように硬直する。感嘆の息を漏らすことすら出来ず、老若男女の別なく、誰も彼もが抗う術を持たずに、ただ静かに陥落していった。


 こうして、ただ厄介事を引き受けようとしただけの彼女であったが……気が付けば、圧倒的なオーラによってPTAの絶対的な権力を掌握していた。


 ハル自身は謙虚に教えを乞うたつもりが、結果的に実務をすべて任せる形となり、ただ頂点で優雅に微笑んでいるだけで、すべて事が終わっている。そんな形が完全に出来上がっていた。故に……。


「PTA会長とは意外と仕事が少ないものなのだね。……何故みんな敬遠するのだろうか?」


 そんな独り言を零すことになるのだが、それはもう少し先の話である。


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