プロローグ4:『身代わり』
語られる凄惨な内容。
「これで、全部。……言い出せなくて、ごめんなさい……」
彼女の口から魂を擦り減らす思いで打ち明けられた現実。それは当然、伝えたから終わりなどという生易しいものでは無い。
娘を絶望の淵へ追いやった教師に対する激しい怒りと、腹に宿った命をどうするのかという重い現実。
父親は怒りで我を忘れ、母親はただ泣き崩れるばかり。具体的な事は何も決まらないまま夜が更けていった。
「ここからは家族の問題だろう……失礼するよ」
告白を終えたひまりを見守った私は、部外者として静かに立ち去ろうとしたが……ひまりがすがるように私の服の裾を掴んで離さない。
「もう遅いし……泊まっていって下さい……」
その言葉に便乗するように、彼女の父親も口を開く。
「先程は大変な無礼を働いた。娘の言う通り、今日はもう遅いし、是非泊まっていって下さい」
彼女の父親による鶴の一声で、結局その後はなし崩しに彼女の家に留まることになった。
そこからは、連日繰り返される家族会議。
警察への相談や、ひまりを孕ませた教師に対する法的な対処が少しずつ進められていく一方で、彼女の母胎としての時も止まることはない。
私が彼女から『恐怖』や『パニック』を引き受けたことで、ひとまず彼女の精神は安定していたが……根本的な問題は何一つ解決していないのだ。
そうして、彼女の腹が少しずつ膨らみ始めると――再び、暗い絶望がひまりの顔に色濃く影を落とし始めた。
腹の中で育つ命が脈動する事で、生まれ始める『母性』。しかし、その命にはあの男の血が混じっているという逃れられない『憎悪』。
産みたくない。けれど、産んであげたい。
自己矛盾に引き裂かれ、日々大きくなる自分の腹を見つめては音もなく涙を流す彼女の精神は、再び崩壊の淵へと近づいていた。
悪夢にうなされ、リビングのソファーで毛布に包まるひまりから『恐怖』引き取る。
「うぅぅ……ふぐぅううう」
泣きながら、突発的に自らの腹を掻き毟るひまりから『憎悪』を抜き取る。
本人には敢えて声を掛けず、そんな事を何度も何度も繰り返した。
しかし、感情の根源が自らの腹に宿っている以上、それはどこまでいってもいたちごっこでしかない。
限界だった。
これ以上は、彼女の心が持たない。
そう感じた私は、ある夜、重苦しい空気が漂うリビングで、静かに提案したのだ。
「――私が、代わりに産もう」
突拍子もないその言葉に、両親は呆然とし、やがて困惑と苛立ちを滲ませた。
「ハルさん、いったい何を言ってるんですか……?」
私の言葉を咀嚼出来なかった父親が、そう問いただしてくる。
彼らは私の『力』を知らない。
理を捻じ曲げ、事象を自らに移し替える『身代わり』の能力。
物理法則を無視し、概念に干渉するこの『力』を使えば、出産を引き受ける事すら可能だ。
「言葉の通りさ。ひまりの精神はもう限界だ。このままでは出産まで辿り着くのは難しいだろう」
「だから、どうやって!?」
勢いよく立ち上がった父親の体が、意図せずテーブルにぶつかり……その衝撃により急須が倒れる。そうして中からこぼれた淹れたてのお茶が、飛沫となって母親の腕まで舞う。
「あっ……!」
悲鳴を上げてうずくまる母親と、慌てふためく父親。
私は母親に静かに歩み寄り、赤く爛れようとしている彼女の腕に、そっと自分の手を重ねた。
「何を……」
困惑する彼女に、私は小さく「そのまま……」とだけ答え、意識を集中させる。
次の瞬間。
母親の腕から火傷の痕が嘘のように消え去り、代わりに、私の腕の皮膚がジュッと音を立てて焼け焦げ、痛々しい水ぶくれを形成していく。
「っ……」
焼け付くような鋭い激痛に、私は思わず顔をしかめ、小さく呻き声を漏らした。
私の能力はあくまで『身代わり』、苦痛を消してくれる訳では無い。
「なっ……!?」
息を呑む父親と、痛みが完全に消え去った自分の腕を、信じられない面持ちで見つめる母親。
私は火傷の残る手をだらりと下げ、静かに告げた。
「私の『身代わり』は、物理的なものではなく、概念の譲渡。他者の事象を引き受け、自らに移すことが出来る。これと同じように、彼女の『出産』という事象そのものを、私が丸ごと引き受ける」
しかし、目の前で奇跡を見せつけられてなお、両親がすぐに頷くことはなかった。
当然だろう。火傷の移動と、命の誕生。引き受ける事象の重さが全く違うのだから。
「そんな……バカな話があるか。君は男だろうが! それにもし失敗して、ひまりの身に何かあったらどうするんだ! なにより、何故君がそんな事をする必要がある!」
父親が声を荒らげ、母親も「ひまり……」と涙を流して娘を抱きしめようとする。
常識と、娘を案じる親としての当然の葛藤。
「肉体の問題は解決の手段がある。……が、確かに貴方に言う通りだ。これは君たち家族の問題。否と言われれば、無理強いするものではない」
これ以上踏み込むべきではないか……そう思い、私が静かに身を引こうとした、その時だった。
「お父さん、お母さん。……聞いて」
それまで俯いていたひまりが、母親の手を退けて立ち上がる。そうして震える声で、けれどはっきりとした意志を持って両親を真っ直ぐに見つめた。
「私ね……あの公園で、あのまま死んでもいいと思ってたの……」
「何を……っ」
口を開きかけた父親だったが、ひまりのその必死な目を見た事で、押し黙る。
「……ありがとう。それでね、あの夜、ハルさんが私に声を掛けてくれて……」
ひまりの言葉に耳を傾ける姿勢を見せた両親に感謝を述べながら、ひまりはゆっくり、ゆっくりと言葉を紡ぎ続ける。
「隣に座ったハルさんが、余りに人間っぽくなくて……それで思ったの、『この人は、もしかして神様なんじゃないか』って。……そんな訳ないのにね」
そう言いながら、ひまりの視線が両親からこちらに移る。私はその眼差しを、正面から受け止めた。
「でも、家に来て、ハルさんが私の背中をさすってくれた時、アレだけ苦しかったものが全部消えていって……『あぁ、この人は本当に神様なんだ』って」
「……私の力はそんな大層なものじゃないよ。手品みたいなものさ」
「ううん、ハルさんはその後も何度も助けてくれた。私知ってるよ、夜に眠れなくてソファーで丸まってる時も、気持ちが抑えきれなくてお腹を掻きむしった時も、その力で助けてくれてたこと……だから、今日まで我慢できた」
そうして、ひまりは両手で自らの大きくなり始めた腹を抱きしめながら、ポロポロと涙をこぼす。
「……でも、もう限界なの……っ。お腹の子は愛おしいけど、どうしてもあの男の顔が浮かんで、頭がおかしくなりそうになる……! このままじゃ、私、壊れちゃう……っ。だから……この人を、ハルさんを信じたいの。お父さん、お母さん、お願い……!」
「ひまり……っ」
狂おしいほどの自己矛盾に引き裂かれ、それでも必死に生きようとする娘の悲痛な叫び。
それに抗える親など、いるはずがなかった。
こちらに向き直り、畳に額を擦りつけんばかりにして頭を下げる両親。
「どうか、どうか娘を助けてやってください……!」
その傍らで、涙を流しながら、祈るように私を見つめるひまり。
私は一言だけ
「それを、望むのなら」
そう、答えた。
話し合いが終わり、両親が先にリビングを後にする。それに次ぐように私とひまりも立ち上がるが、ひまりが不意に声を掛けてくる。
「ねぇ、ハルさん。一つだけ聞かせて……どうして、そこまでしてくれるの……?」
ひまりの真剣な眼差し。だが……私はその答えを持ち合わせていない。
「さぁ……何故だろうね」
その一言に、思わず感情を高ぶらせるひまり。
「なぜって……理由もなく助けてくれるなんて、そんなこと……!」
「……気を悪くしたのならすまない。だが、自分でももう分からないのさ」
私は静かに目を伏せ、遠い過去――いや、過去と呼べるかどうかも怪しい、途方もない時の連続に思いを馳せた。
「……長い長い時の中で、余りに多くのことを忘れてしまった。自分が何なのかも、生きる目的も、本当の名前も……何もかも」
あらゆる悲しみを背負う中で『器』から零れ落ちた自分という存在。その空っぽの器が、運命のように彼女の絶望を引き入れたのかもしれない。
だが、もしも、それ以外に理由があるとすれば……
「強いて言うなら……あの夜、君が名をくれた事かな……」
「えっ……それ、だけ……?」
私の言葉に、困惑の色を隠さないひまり。
「何もない私には殊の外、大きな贈り物だった……。そんなところさ」
それは嘘偽りのない、空っぽな私の、本心だった。
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