プロローグ3:告白
帰路につく途中、彼女はポツポツと事情を話し始めた。
震える声で紡がれたのは、教師の執拗な悪意と、誰にも言えぬまま今日まで独りで抱え込んできた、絶望の記録。腹の底に根付いた呪いのような命のことも、彼女は途切れ途切れに打ち明けてくれた。
「なぜ、それを私に……?」
行きずりの私に話すには躊躇われるであろう内容。故に浮かんだ疑問。だが、口にした後で思い至る。
或いは、繋がりのない私にだから話せたのかもしれない、と。
「……初対面だから、話せたのかも。それに、ハルさんは……」
「それに?」
答え合わせをするように紡がれた彼女の言葉に納得を見るが、次いで出た言葉の答えを貰うことは出来なかった。
「ううん、何でもないです。――あ、お家はここです……」
住宅街の一角。ごくありふれた一軒家の前で、彼女は足を止めた。
振り返ったその顔には、隠しきれない憂いが影を落としている。
「ありがとうございました。……もう、大丈夫です」
絞り出すような声。どう見ても、これから一人で絶望に立ち向かえるようには見えなかった。
だが、本人がここで良いと言うなら、それ以上に踏み込む理由を私は持たない。私は『依代』であり、望まれぬ以上、他者の領域を侵す事は出来ない。
「……名前、ありがとう。それじゃあ」
短く告げ、私は歩き出した。
門から数歩離れたところで……ふっと何かに導かれるように、後ろを振り返る。
すると、ひまりは、未だ玄関の前にいた。
鍵を握る手が震え、家の灯りを目前にして、まるで底なし沼に引きずり込まれたかのように、身動きを取れずにいる。
不意に、彼女がこちらを見た。
視線が、闇の中で重なる。
物理的に見える距離ではない。だが、それでも彼女の瞳は、私に救いを求めているように視えたのだ。
私は無意識に足を戻し、再び彼女のそばへと歩み寄っていた。
「……これは単なるおせっかいだ。君が本当に『大丈夫』と言うなら、私はここで失礼しよう」
淡々と、けれど彼女の瞳の奥を射抜くように言葉を置く。
「……だが、もし、君の大丈夫が心からのものでないなら。私は幾ばくかでも、君に力を貸そう」
ひまりの顔が、一瞬でくしゃりと歪んだ。
そうして、一拍の間をおいて、彼女は振り絞るような声で呟く。
「助けて、ください……っ」
それは、願いの言葉だった。
私は静かに頷き、彼女に促されるまま、その家の玄関をくぐった。
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「お前か! ひまりをこんな目に遭わせたのは!」
中に入るなり、彼女の父親の怒声が飛んで来る。
連絡もなしに夜遅くまで帰らなかった挙句、ひどく憔悴しきった娘を、見知らぬ男が連れて帰ってきたのだ。彼からすれば、私が娘を連れ回し、こんな状態にした張本人に見えたのだろう。
「あなた、落ち着いて! ひまりが怯えているじゃない!」
母親が必死に父親をなだめるが、怒りの矛先は完全に私へ向いている。
胸ぐらを掴まれそうになるのを、私はただ静かに見つめていた。
弁解する言葉はいくらでもあったが、それを語るべきは私ではない。
私が何者かなど、彼女が抱える絶望の前では些末な問題だ。
「お父さん、違うの……っ、その人は、関係ない……!」
ひまりが声を絞り出す。しかし、そこから先が続かない。
事情を説明するということは、思い出したくもない記憶を呼び起こすということ。故に、二の句を告げられず、次第に過呼吸を起こしていく様が見て取れた。
「ちょっと、ひまり、大丈夫!?」
異変を察した彼女の母親が、ひまりに駆け寄る。その様子を見た父親も、怒りよりも心配が勝り少し冷静さを取り戻したようだ。
私は隣でしゃがみ込む彼女の震える背中に、そっと手を置いた。
(――少しだけ、受け取ろう)
彼女を苛む『恐怖』と『パニック』の概念を、指先から掬い取るように私の中へ流し込む。
どろりと、冷たい泥を全身に注ぎ込まれる様な不快感が、『身代わり』となった私の内側を撫でる。だが、私はそれを一切表情に出すことなく飲み込んでみせた。
「……あっ」
憑き物が落ちたように、ひまりの呼吸が落ち着く。
彼女は不思議そうに私の顔を眺めるが、私は何も語らず小さく頷く。するとひまりは、ゆっくりと、しかしはっきりとした声で、両親にすべてを打ち明け始めた。
「……お父さん、お母さん、あのね……」
――告白が、始まった。




