表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ
『新たなるひかり』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/85

君からの贈り物

 ひかりが宿泊研修へと旅立った日の夜。私がキッチンでひまりの好物を作り始めていると、玄関の鍵が開く音と共に、聞き慣れた声が響いた。


「ただいま帰りましたー!」


 チャイムを鳴らすこともなく、当然のように我が家へと入り浸ってくるひまりは、仕事場からそのままの足で高速で帰還したようだった。

 キッチンに立つ私の姿と、台所から漂う匂いで、自分のために料理が作られていることに気がついたのか、彼女はぱっと顔を輝かせて感激の声を上げる。


「ハルさん! もしかして、本当に私のために……!?」


「もうすぐできるから、先にお風呂に入ってしまいなさい」


 浮き足立つひまりを冷静になだめると、彼女は「はーい!」と嬉しそうに脱衣所へと駆けていった。


 やがて、シャンプーの匂いと共に風呂から上がってきたひまりは、食卓に並んだ湯気の立つ料理を見るなり、再び嬉しそうに目を輝かせた。


「ハルさんが私の好物を作って……くぅっ!」


 子供のように無邪気に喜ぶ彼女を迎え、二人きりの、なんてことのない、だけ少しだけ違う夕食が始まった。


「では、いただこうか」


「はいっ! いっただっきまーす!」


 ひかりがいない今夜は、少しだけ特別だ。普段の食卓には並ばないアルコールの入ったグラスを傾けながら、私たちはゆっくりと時間を共有した。


「この時期は保健室に来る子が増えるんですよねぇ……やっぱり、環境が変わると心と体のバランスを崩しやすいみたいで……」


 仕事でのささいな悩み。生徒たちへの向き合い方。あるいは、スーパーの特売品の話といった、他愛のない日常の欠片。

 アルコールが回るにつれて、ひまりは年相応の等身大の女性としての顔を見せていた。


 やがて、すっかり酔いが回ったのだろう。ひまりは机に突っ伏し、静かな寝息を立て始めた。


「やれやれ……」


 私は立ち上がり、ソファにあったブランケットを彼女の肩にそっと掛ける。

 穏やかなひまりの寝顔を見つめていると、ふと、遠い昔の記憶が脳裏をよぎった。


 ――あれは、ひかりが生まれる少し前の夜だったか。



 ◇ ◇ ◇



 臨月を迎え、精神の不安定さが一層顕著になり、毎夜毎夜悪夢に魘されるひまり。加えて襲いかかるのは妊娠による高血圧症状だ。

 夜更け、ベッドの中で激しく呼吸を乱す彼女の背に触れ、私はその悪夢と不調を『身代わり』となって吸い取った。重苦しい泥のような痛みが私の中に流れ込み、代わりに彼女は、すやすやと穏やかな寝息を立て始めた。


 早朝。私の『身代わり』に気が付いていたらしいひまりは、お礼を口にした後、痛むような瞳でこう尋ねた。


「ハルさんは、苦しくないんですか……? 人の苦しみをずっと肩代わりしてきたんですよね……昨日だって私の代わりに……」


「そうだね……苦しみや悲しみを受け止めるのが楽だとは言わない。……だが、今はもう、そういうものなんだと受け入れているよ」


 私が淡々と答えると、彼女はひどく悲しそうな顔をした。


「……でも、ずっとそれじゃ、あまりにも……」


「……良いんだ。きっと、それが私の存在する『理由』なのだろうから……」


 私の感情の乗らない声に、ひまりは何故か顔をくしゃりと歪ませる。そして、口を開きかけては閉じるということを何度か繰り返した後、意を決したように小さく言葉を紡ぎ始める。


「…………今はまだ、ハルさんに助けられてばかりで、お腹の子の事も背負えない私が言えることじゃないのは、十分分かってます。でも……」


「……でも?」


 言い淀むひまりだったが、一拍の後、ハッキリと自分の思いを口にする。それは、私が彼女の苦しみを受け取った故の、一時の強がりだったのかもしれない。だが……。


「いつか……いつか私が……もし前を向いて歩けるようになったら……その時は、ハルさんに、楽しいとか、嬉しいとか、そういう明るい気持ちを『身代わり』して欲しいです」


「それは……」


 私は、思いもよらぬ言葉に二の句を継げなかった。

 数千年の悠久を生き、数え切れないほどの人間に出会ってきた。彼らが私に求めたのは、いつだって苦痛の押し付けか、理不尽な運命からの救済だけだ。

 私の『身代わり』を、私のために使いたい等と言い出した人間は、ただの一人もいなかった。

 そのあまりにも無謀で、眩しすぎる提案に、私の思考は完全に停止していた。


「……そんなことで恩返しになるなんて思わないですけど、今の私にはそれくらいしか思い浮かばなくて……」


 話しながら少しずつ俯いていくひまりの姿を見るうちに、私は自然とその背中にそっと手を伸ばし、優しく擦っていた。


「その気持ちだけで、十分だよ。……ありがとう、ひまり」


「ハルさん……だけど、私は……」


 ひまりがバッと顔を上げ、私の顔をじっと見つめる見つめる。言葉の裏にある優しい拒絶を敏感に感じ取ったのだろう。

 精一杯の勇気で差し出したその手を押し戻され、酷く悲しそうな顔をして、再び俯いてしまう。それはまるで、自分の無力さに打ちひしがれているようにも見えた。


 その健気で、あまりにも不器用な優しさに触れたためだろうか。私の中に……微かな感情の揺らぎが生まれていた。だからこそ、彼女の差し出す光をただ奪うのではなく、未来の約束として受け止めるために、私は言葉を紡ぎ直す。


「……だが、そうだね。……ひまりから温かい気持ちをもらうためにも、まずはその子を無事に産み落としてあげなくてはいけないね……」


「ハルさん……」


 私の言葉の意図を察したのか、ひまりが弾かれたように顔を上げる。

 そうして彼女の瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出していった。


 窓の外の暗闇が、少しずつ薄れていく。

 東の空から差し込み始めた柔らかな朝日が、静かに二人の部屋を満たして始め、夜の空気を塗り替えるような黄金色の光が、ひまりの涙と、私たちの小さな約束を優しく包み込んでいくのだった。



 ◇ ◇ ◇



 ――私は自ら席に座り直し、ワインの入ったグラスを傾けながら、改めてひまりの顔を見つめる。

 その穏やかな寝顔を見ていると、なんだか胸の奥が静かな優しさに包まれていくような気がした。


「……身代わりなどなくても、君は、それ以上の贈り物を私にくれたね……」


 静寂に包まれたリビングで、私の声は静かに、グラスの中に溶けるように消えていった。


この度は私の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。

本作をお読み頂いた上で少しでも面白い、続きが読みたいと思って頂けましたなら


・ブックマークへの追加

・画面下の「☆☆☆☆☆」からポイント評価等をして応援して頂けますと作者の励みになります。


何卒宜しくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です! 最新話においつきました。 娘の同級生から、ハルの超絶美人ながら天然認定される場面好きです。ひまりが毎回しっかり褒め称えるのが面白いですね。 その反応に、まんざらじゃないひかりがいて…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ