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「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ
『雪の降るハル』

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地続きの今

 誠が手慣れた様子でハンドルを握り、アクセルを踏み込む。

 その運転に導かれるまま、私達は北の大地最大の都市へと向けて、北上を開始した。


 密閉された車内は、先ほどまでの凍えるような外気が嘘のように温かい。

 助手席には妻である早苗が座り、その後ろの座席では、私を中央にしてひかりとひまりの三人が肩を並べている。


 隣でストールを巻き直すひかりの様子を微笑ましく見守っていると、不意にひまりが素頓狂な声を上げた。


「ええっ、ちょっと待って! 空港から市内まで、車で一時間も掛かるの!? 地図だとこんなに近いのに……!」


 スマホのナビアプリと睨めっこしていたひまりが、信じられないというように画面を指差している。


「……完璧なプランニングをしたと、豪語していなかったかい?」


 私が呆れたように尋ねると、助手席から早苗が「ふふっ」と上品な笑い声をこぼした。

 五十歳手前でありながら、十歳以上若く見える彼女の所作は、いつ見ても洗練されている。


「もう、ひまりったら相変わらずツメが甘いんだから」


「えへへ……。今回の旅行に合わせて分厚い旅行ガイドを買ったから、ずっとそっちの紙の地図ばっかり見てて……アプリで実際の所要時間を確認するのをすっかり忘れちゃった……!」


 頭を掻きながら白状するひまりの甘さに、私は「まったく……」と小さくため息をついた。


「とはいえ、この大地がそれだけ雄大だということだね。寧ろ……一時間で着くことに私は感動すら覚えるよ」


 私が静かに答えると、ひかりが不思議そうに小首を傾げた。


「……お母さん、どういうこと?」


「昔はこの距離を自らの足で踏破しようとすれば、丸一日掛かり……いや、複数日に跨る、文字通りの決死行だったんだよ」


「歩いて、丸一日以上……? 車で一時間だから遠いのは分かるけど、そんなに時間が掛かるの?」


「ああ……。なにせ開拓前だ、街道なんてものは存在しない。そもそも、原生林と湿地帯ばかりだからね、真っ直ぐ進むということがそもそも出来ないのさ。……進める道はかろうじて存在する獣道や、先人の踏み固めた道とも言えぬ轍くらいだが……まぁ、当然、羆や狼が出る」


「狼……。そっか、昔は狼が普通にいたんだもんね……」


「後は、直接時間には影響しないが、虫を媒介にした感染症のリスクも高くてね……例え夏でも危険が多かったのさ」


「うわぁ……怖いねぇ。……ん? 夏『でも』ってことは、冬はもっと危ないってこと……?」


「冬は、正しく全てが命懸けさ。……寒さと雪で体力を消耗しながら道なき道を行き、吹雪が来れば向かうべき方向すら見失う。山の中ですらない平地で、自分が今何処にいるのかも分からず彷徨う絶望は、中々味わえない経験だよ」


 あまりに生々しく、重みのある私の言葉に、車内は一瞬だけしんと静まり返った。

 想像を絶する歴史の過酷さに、ひかりが息を呑んで瞬きをしている。


 その隣で、ひまりが『流石ハルさん、最早歩く開拓史……重みが違います……! 過去に思いを馳せる、憂いを帯びた横顔も尊い……っ!』と、熱っぽい羨望のまなざしをこちらに向けてきているが、今は気付かないふりをしておこう。


「……お母さんの話を聞いてると、無事に目的地に着けるだけで奇跡みたいに思えてくるね」


「うんうん、暖かい車でたった一時間移動できるんだから感謝しないと……だれ!? 一時間『も』掛かるなんて文句を言う人は!」


「……正しく、五分前の君だろうに」


 私のツッコミに、ひかりと早苗が声を上げて笑う。

 私は小さく息を吐き、窓の外の雪景色へと視線を戻した。


「そうやって先人たちが切り開いた道の上に、今の私達はいるのさ。あぁ、でも、そうか……この大地で行く手を阻んだ彼らの一部は既に姿を消したのだったね。……当時は思いもしなかったが、少し、寂しくもあるか」


 私がぽつりと呟くと、運転席の誠が苦笑しながら頷いた。


「そうだな。……さて、北海道の洗礼を受けたところで、そろそろ身体を温めようか。この先、美味いラーメン屋があるんだ」


「ラーメン! 最高です!」


「あら、いいわね。北海道のラーメン、楽しみだわ」


 ひまりが歓声を上げ、早苗も嬉しそうに微笑む。車内は一気に活気づいた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼



 誠の案内で辿り着いたのは、市内の人気ラーメン屋だった。

 車を降りるや否や、「寒い、寒い」と身を寄せ合い、凍える指先をこすり合わせているひかりとひまりの姿を微笑ましく見守ること数分。

 ようやく暖簾をくぐると、店内の熱気と、香ばしい味噌とニンニクの匂いが冷えた身体を優しく包み込んだ。


 小上がりの席に腰を下ろし、運ばれてきた湯気を立てるどんぶりを前に、ひまりとひかりが揃って声を上げる。


「わぁぁ……っ! 表面が油でコーティングされてて、全然湯気が逃げてないよ、ひかりちゃん!」


「ほんとだ! あつっ、はふっ……でも、すっごく美味しい! お腹の底からぽかぽかしてくるね!」


 火傷しないように小さな唇を尖らせて麺を啜るひかりに、私は「ゆっくり食べなさい」と微笑みかけ、自らもレンゲを手にする。

 濃厚な動物系のスープが、北国の冷気で強張っていた胃の腑をじんわりと解きほぐしていく。


 かつての厳しい時代にはなかった、豊かで優しい味わい。

 ただ生きるためだけの食事とは違う、純粋に「美味しい」と笑い合うための温かな一杯だ。


 ふーふーと熱気を散らして口へと運べば、もちもちとした食感と共に、力強い旨味が弾けた。


「ズズッ、ズズズッ!」


 隣ではひまりが豪快な音を立てて麺を啜り、向かいの席の早苗も「本当に美味しいわね」と上品に微笑みながら、確かなペースで箸を進めていた。


 やがて、じんわりと身体が温まり、それぞれのどんぶりの底が見え始める頃。


「ふぁ〜っ、美味しかったぁ……! 濃厚なのに最後までペロリといけちゃいました!」


「ごちそうさまでした! お腹いっぱい、幸せ〜!」


 大きく息を吐いてお腹をさするひまりと、満面の笑みで手を合わせるひかり。

 二人の満足げな様子に、額にうっすらと汗をにじませた誠も「いやぁ、美味かったな」と目を細めて箸を置いた。


「ねぇ、ひまりちゃん! 次は何処行くの?」


 ひかりが期待に満ちた目で尋ねると、ひまりは待ってましたと言わんばかりに胸を張った。


「ふふふ……よくぞ聞いてくれました! ひかりちゃんのリクエスト通り、このまま市内の動物園へ向かいますよ! 雪の中の動物たち、見てみたいと言っていたでしょう?」


「えっ、ほんとに!? やったぁ!」


「今回の旅行の主役はなんたってひかりちゃんだからね! それに、夜もごちそうが待ってるから、動物園でいっぱい歩いてお腹空かせておかないと!」


「うん!」


 賑やかな家族の姿を見つめながら、私は最後に残ったスープをゆっくりと飲み干す。


 すっかり温まった身体で立ち上がり、私たちは再び、外の冷たい空気の中へと足を踏み出した。


この度は私の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。

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