試される大地
ポーン、と。
機内にシートベルトの着用サインが点灯する軽快な音が響き、私はふっと過去の記憶から意識を引き戻された。
「ひまりちゃん、見て! 陸が見えてきたよ! まだあんなに雪が残ってる!」
窓の外を見下ろしていたひかりが、弾んだ声でひまりを呼ぶ。
その声で、ひまりも身を乗り出して小さな窓の外を覗き込んでいた。
「ほんとだ! でも、山の方は真っ白だけど、平野のあたりはもうけっこう土が見えてるね」
二人の弾む声に促され、私も窓の外へと視線を向ける。
厚い雲の切れ間から覗くのは、白と茶色が入り混じるパッチワークのような大地だった。
遠くの山嶺はまだ深く雪に覆われているものの、海岸線や広がる平野部には、黒々とした土やアスファルトがはっきりと顔を出している。
三月の半ば。長く厳しい冬がようやく終わりを告げ、ゆっくりと、だが確実に春の準備を始めている景色だ。
溶け残った雪の白と、泥を被った大地の黒。
ただ綺麗なだけの白銀の世界ではない。季節が切り替わろうとする、泥臭くも生命力に溢れた景色。
「……変わらないな」
ぽつりと、私の口からそんな独り言が零れ落ちた。
幕末の頃、南端の港から内陸に踏み進めば、先に広がっているのは、果てしない自然ばかりだった。
それから百五十年余りの時が過ぎ、無数の街並みが広がり、大きな道路が大地を切り裂くように伸びて、目に見える景色は様変わりを見せている。
けれど、この空を飛ぶ鉄の塊から見下ろすこの大地の雄大さは、かつて泥に塗れながら自らの足で歩んだあの頃と、何一つ変わっていなかった。
長く厳しい冬を耐え抜き、春を迎えようとする力強さが、そこには確かに息づいている。
「お母さん、なんか言った?」
「いや。……勇壮な景色だな、と思っただけだよ」
私が静かに首を横に振ると、ひかりは「そうだね」と微笑み、再び窓の外へと視線を戻した。
やがて飛行機が少しずつ降下し、わずかな揺れと共に、車輪が北の大地へと触れる。
微かな衝撃と共に、私たちの家族旅行が幕を開けた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
到着ロビーを抜け、空港の自動ドアが開いた瞬間だった。
外から吹き込んできた北国の空気に、ひまりとひかりが同時に身をすくめた。
「ひよぇっ……さ、寒い! 何これ、空気が冷たいよぉ……っ!」
「うわぁ……っ! ほんとだ、息も白いねぇ……!」
初めての北海道に目を輝かせていたひかりも、はしゃいでいたひまりも、たまらず肩を抱いて震え上がる。
とはいえ、見上げれば、空は突き抜けるような青空で、日差しもたっぷりと降り注いでいる。天候には間違いなく恵まれていた。
そんな私たちのすぐ横を、前を開けたジャンパー姿の地元民らしき初老の夫婦が通り過ぎていった。
「いやぁ、今日は日差しがあってあったかいねぇ」
「ほんとだな。これなら雪も解けるべさ」
そんなのんびりとした会話が耳に届く。
「あったかい!? 嘘でしょ、こんなに寒いのに!」
ガチガチと歯を鳴らしながら、ひまりが信じられないという顔で夫婦の後ろ姿を見送った。
「日差しがある分、これでも現地の人たちにとっては十分に『暖かい』日なんだよ。……君が薄着すぎるだけだ」
「だって、飛行機に乗る前は気温二十度近かったから……こんなに気温差があるとは……うぅぅ」
情けない声を上げるひまりに、私はふっと目を細めた。
「寧ろ、この辺は暖かいほうだろう。真冬でもせいぜい氷点下十度くらいだ」
「ひょ、氷点下十度で、暖かい……?」
「東にいけばもっと寒いし、山や森ならマイナス三十度以下になる。……昔、明治に移り変わる頃かな。東部の開拓に付き合った時は、さしもの私も凍死するかと思ったよ」
私の実感のこもった独り言に、ひまりが寒さとは別の理由で顔を引きつらせた。
「スケール……ハルさん、思い出のスケールが相変わらず……っ」
震えるひまりを横目に、私は身につけていたストールを、隣で身をすくめているひかりの首元へそっと巻いてやった。
「首筋を冷やすと血管を通って全身が冷えるからね。……それと、上着のチャックもしっかり閉めるんだよ」
「うん、分かった! ありがとうお母さん。温かいよ!」
「あぁ、ハルさんの使用済みストール……」
震えながらもそんなことを呟いているひまりには、荷物から厚手のジャケットを取り出し、スッと差し出す。
「……ひまりはこれを着なさい。君が浮かれて薄着で来るなど、目に見えていたからね」
「あっ……! 私のためにわざわざ……!? 美しいだけじゃなく、慈愛にも溢れて……やっぱりハルさんは、この世に顕現した究極の女神……!」
「……早く袖を通しなさい。旅行先で風邪を引かれては皆が困るだろう」
大袈裟に喜ぶひまりを淡々と促すと、横からひかりのクスクスという笑い声が聞こえた。
すでにしっかりとダウンジャケットを着込んでいた早苗も、そんな賑やかなやり取りを微笑ましく眺めている。
「さぁ、早く車に乗ろう。寒いしお腹も空いたろう」
そう誠に促され、手配していたレンタカーに全員で乗り込む。
密閉された車内の暖かさに、ようやくひまりとひかりの肩から力が抜けたようだ。
誠が手慣れた様子でハンドルを握り、アクセルを踏み込む。その運転に導かれるまま、私達は北の大地最大の都市へと向けて、北上を始めるのだった。
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