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「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ


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16/21

大空を舞う

 窓の向こうには、どこまでも続く真っ白な雲海が広がっていた。

 微かなエンジン音を響かせながら空を飛ぶ機内で、ひかりは窓に額を擦りつけるようにして外の景色を見下ろしている。


「すっごいねぇ、私、飛行機なんて初めて! しかも、北海道! ……お母さんは、行ったことある?」


 興奮気味に振り返った娘の問いに、私は記憶の糸を少しだけ手繰り寄せた。


「昔、行ったことがあるよ。……あれはいつの頃だったかな、まだ蝦夷と呼ばれていたと思うが……幕末……?」


「話の規模デッカ!?」


 私の小さな独り言を耳ざとく拾ったひまりが、隣の座席から素早いツッコミを入れてくる。


「まぁでも、北海道なんて、いつ以来かしらね。楽しみだわぁ」


 通路を挟んだ向こう側の席から、早苗がひょっこりと顔を覗かせて嬉しそうに笑った。


「うん! おじいちゃんのおかげだね!」


 無邪気に笑うひかりの言葉に、早苗の隣で機内誌を広げていた誠が、まんざらでもない様子で小さく咳払いをする。


「……そうだね」


 私は静かに頷き、手元のシートベルトに視線を落とす。


 常盤家の五人が揃って、空の上。

 何故飛行機で北海道に向かっているのか。


 ――時間は、少しだけ遡る。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼



 ひかりが家を出てから、約一時間が経過したハルの家。そこには、二つの人影があった。


「……遅い。遅すぎる。そうは思いませんか、ハルさん! 掲示板を見に行くだけなのに……はっ、なにか事故にでも巻き込まれたんじゃ……!」


 リビングを檻の中の熊のように歩き回っていたひまりが、ついに頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「五分前にも同じ事を言ったが……少し落ち着きなさい、ひまり。発表は十時からだ。人がごった返している中で番号を探し、それから帰ってくるなら、このくらいはかかる」


 私は淡々と返し、すっかり冷めきった紅茶に口をつける。


 最近はWEBでも合否の確認ができる。だが、ひかりは今朝、「自分の目で、一人で確かめてきたい」と言って、一人で高校へと向かった。


 それは彼女なりの、自立への小さな決意だったのだろう。


 命の危機であれば、私が代わってやれる。

 降りかかる火の粉であれば、私が払ってやれる。

 だが、自分の未来への扉をこじ開け、その結果を一人で受け止めることだけは、いくら悠久の時を生きていようと代わってやることはできない。


 彼女は今、私の手の届かない場所で、一人で結果と向き合っているのだ。


「あの娘なら、大丈夫だよ」


 そう私が零した瞬間、カチャリ、と玄関のドアが開く音が、静まり返った家の中に響いた。


 ひまりが弾かれたように立ち上がる。私もまた、音を立てずにティーカップをソーサーに置いた。


 パタパタと小走りの足音が近づき、リビングの扉が開く。

 そこに立っていたのは、少し息を切らしたひかりだった。


 静寂。

 ひまりが息を呑む音が聞こえる。

 ひかりはゆっくりと顔を上げ、私とひまりを交互に見つめた。

 その瞳は少し赤く潤んでいて、表情からは感情が読み取れない。


「……ひかり」


 私が静かに名を呼ぶと。


「……あったよ」


 ひかりは、ふにゃりと、今にも泣き出しそうな笑顔を作った。


「あった。……私、受かってた!」


「ひかりちゃぁぁぁぁぁぁん!!」


 ひまりが奇声を上げ、突進するようにひかりに抱きついた。

 リビングの入り口で二人がもつれ合い、大きな泣き声と安堵の笑い声が混ざり合う。


 私は静かに立ち上がり、二人の方へ歩み寄った。


「……お疲れ様」


「うん。……お母さん、私、やったよ」


 ひまりの腕の中で揉みくちゃにされながら、ひかりが嬉しそうに頷く。

 私は手を伸ばし、少し乱れた彼女の髪をそっと撫でた。


 私の庇護から離れ、自分の足で立ち、一人で結果を受け止めて帰ってきた。

 私の手をすり抜けていく、ほんの少しの寂しさと。

 それを遥かに上回る、愛しい娘への静かな敬意。


 温かい髪の感触を掌に感じながら、私は目を細め、ただ静かに娘の健闘を讃えた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼



「さて。いつまでも玄関で泣き叫んでいるわけにもいかないだろう。……おじいちゃんとおばあちゃんにも、早く吉報を届けてやりなさい。朝から気が気じゃなかったはずだ」


「あ、そうだ! ちょっと言ってくる!」


 私の言葉でハッとしたひまりが、言うが早いか、靴もろくに履かずに玄関を飛び出していった。


「お母さぁぁぁん! お父さぁぁぁん! ひかりちゃん受かったよぉぉぉ!」


 徒歩十秒のお隣さん。そこへ向かって、ご近所中に響き渡るようなひまりの大声が庭先から聞こえてくる。


「あ、ひまりちゃん、待ってよぉ〜」


 一拍遅れて、ひかりが後ろを付いてひまりの家に向かっていく。

 やがて、隣の家からドタバタという派手な足音と、誠と早苗の歓喜の声が聞こえてきた。


「……やれやれ、そういうことは本人が伝えるものだろうに」


 数分後。

 興奮して顔を上気させた二人を連れて、ひかりとひまりが我が家のリビングへ戻ってきた。


「ひかりちゃん、本当におめでとう。頑張ったねえ」


 早苗が涙ぐみながらひかりの手を取り、何度も何度も頷く。


「ひかりなら大丈夫だとおじいちゃんは信じていたぞ」


「あらあら、結果が出るまで熊みたいに家の中ウロウロしてたのは誰だったかしら」


「ばっ、お前、ひかりの前で余計なことを言うんじゃない!」


 慌てて早苗をたしなめる誠を見て、ひかりが弾けるように笑い出す。それに釣られて、ひまりも大きな声で笑い始めた。


 その言葉に、つい先ほどまで、ひまりも全く同じように檻の中の熊と化していたことを思い出す。

 

 血の繋がりとは面白いものだと、私は内心で少しだけおかしさを感じていた。


「家中を徘徊していたのは君もだろう、ひまり」


「ちょっ、ハルさん!」


 私の淡々とした指摘に、ひまりが顔を真っ赤にする。

 その反応を見て、ひかりと早苗がさらに声を上げて笑った。


 やがて、ひとしきり笑い声が落ち着いた頃。

 気を取り直すように一つ咳払いをした誠が、私とひかりに向き直り、改めて口を開いた。


「ハルさん、ひかり。……実は、ひまりと一緒に前から話していたんだがね。卒業の節目には、みんなで旅行にでも行こうと思って準備していたんだ」


 誠はそう言いながら、厚みのある封筒をテーブルに置いた。

 

「みんなで……?」


「ああ。私たち夫婦と、ハルさんと、ひまり。そして主役のひかり。五人で、パーッとお祝いしようじゃないか」


 誠が封筒から取り出したのは、五枚の航空券だった。

 それを見たひまりが、待ってましたとばかりにビシッと指を突き出す。


「そう! 私が最高の宿とプランを選んだんだからね! 行き先は、北海道よ!」


「えっ、北海道!? みんなで北海道に行けるの!?」


 飛び上がって喜ぶひかり。そして、孫のその無邪気な笑顔を見て満足げに頷く誠と早苗。

 私とひかりに内緒で、彼らがこの日のために、家族全員分の計画を静かに整えてくれていたのだ。


「しかし、それではおじいちゃんに負担が……」


「ハルさん、これは『家族旅行』だよ。家族旅行を家長が負担するのは当然だろう」


 胸を張り、力強く言い切る誠の言葉。

 そこには、私をも当たり前に『家族』として内包してくれている温かな強さがあった。


「おじいちゃん、太っ腹!」


「よっ! 常盤家の大黒柱!」


「ばっ、お前たち、あまり持ち上げるんじゃない!」


 ひかりとひまりに両側からはやし立てられ、誠が照れくさそうにそっぽを向く。その様子を見て、早苗がまた楽しそうに笑い声を上げた。


 ……まったく、どこまでも騒がしい家族だ。

 だが、いつしか私も、この温かな輪の中で、たしかに『家族』の一員になっていた。


「やれやれ……。お二人とも、ありがとうございます」


 私が小さく口角を上げて頷くと、四人の明るい笑い声が再び弾け、陽だまりのようなリビングを満たしていった。


この度は私の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。

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