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「身代わりに産んだ娘が、今日も『私』に甘えてくる」 ~概念代行:私が彼女の《母親:父親》になった日~  作者: かおもじ


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14/27

卒業前夜

 シューッ、と。

 静まり返った夜のリビングに、アイロンが吐き出す熱い蒸気の音が響く。


 時計の針は、午後九時半を回ろうとしていた。

 私はダイニングテーブルにアイロン台を広げ、明日の朝にひかりが袖を通すセーラー服の皺を、ゆっくりと、丁寧に伸ばしていた。


 あの穏やかな休日から数日、卒業式の練習や大掃除のための登校日をいくつかこなしたひかりは、ついに中学校生活最後の夜を迎えた。


 入学したばかりの頃は、ひかりの小さな身体には少しばかり大きくて、生地が余っていたこの制服。

 だが今、私の手の中にあるそれは、彼女の成長を証明するように、随分と小さく感じられた。


 擦り切れた袖口。何度か縫い直したスカートのプリーツ。

 その一つひとつに、彼女がこの三年間で経験した笑い声や、涙や、駆け抜けた時間の重みが染み込んでいる。


「……お母さん」


 ふと、背後から声がした。

 振り返ると、風呂上がりで髪を少し濡らしたひかりが、タオルを首にかけたまま立ち尽くしていた。


「どうした。明日は卒業式だろう。早く休んだ方がいい」


 私が淡々と告げると、ひかりは少しだけ困ったように笑い、私のそばへ歩み寄ってきた。


「うん、分かってるんだけど……なんだか、眠れなくて」


 彼女の身体から、仄かに石鹸の香りが漂う。

 ひかりはアイロン台の上のセーラー服を見つめ、そっとその襟元に指先で触れた。


「今日ね、卒業式の予行練習があったんだけどさ」


「ああ。帰ってきた時、少し目が赤かったね」


「……バレてたか」


 ひかりは照れくさそうに笑い、私の肩にこつんと額を預けてきた。

 そこには、明日訪れる『別れ』と『変化』に対する、微かな不安と寂しさが感じられた気がした。


「私じゃなくて、優里ちゃんがね、証書受け取る練習の時にもう泣き出しちゃって。……それ見たら、なんだか私もつられてちょっと泣いちゃって……」


「そうか……。本番さながらの空気の中で、三年間を共にした友人が泣いていたら、絆されても仕方ないさ」


「優里ちゃん、『まだ卒業したくないよぉ』って、ずっと鼻すすってた。……私もね、少しだけ、そう思っちゃった」


「……そうか」


 私はアイロンを動かす手を止め、肩に寄りかかるひかりの少し湿った髪を、空いた手で優しく撫でた。


「時間は止まってはくれないからね。君が望むと望まざるとにかかわらず、明日は来る」


「うん……」


 ひかりは小さく頷き、ぽつりとこぼした。


「なんだか不思議。明日になったら、もう中学生も終わりなんて」


「ふっ……。小学校の卒業式の時も、全く同じ事を言っていたよ」


「……あれ、そうだっけ?」


「ああ。……だが」


 私は静かに息を吐き、アイロン台の上の制服へと視線を落とした。


「君が大人になっていくのは嬉しい。……その反面、ほんの少しだけ、このままでいてほしいとも思ってしまう。私も、ずいぶんと欲張りになったものだ」


 私の素直な言葉に、ひかりは「ふふっ」と小さく笑い声を漏らした。


「お母さんでも、そんなこと思うんだ」


「私をなんだと思っているんだい?」


「世界で一番、不器用で優しい私のお母さん」


 ひかりはそう言って、私の腕にぎゅっとしがみついた。


「……最後なんだね、これ着るの」


「ああ。三年間、よく保ってくれたよ。ひかりが大切に着ていた証拠だ」


「お母さんが、毎日綺麗にしてくれてたからだよ」


 私の肩に顔を埋めたまま、ひかりが静かに呟く。


「……ありがとう、お母さん。三年間、毎日アイロンかけてくれて」


「……ああ。君の晴れ姿を送り出すのは、私の役目だからね」


 静かな夜。

 明日という日が、私たちにとってどれほど特別なものになるのか。

 アイロンの微かな熱と、腕の中にいる娘の確かな体温を感じながら、私はただ静かに、その時が来るのを待っていた。


この度は私の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。

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