それぞれ
なんか気がついたら三日で十話書いてた。
うそやん。
「「いっただっきまーす!」」
湯気とともに立ち上る甘辛い匂いに包まれた食卓で、朝と同じように、ひかりとひまりの声が元気よく重なった。
テーブルの中央には、大皿にたっぷりと盛られた豚の角煮。飴色に輝く照りと、箸を入れただけで崩れてしまいそうな肉の柔らかさは、まさに十五年の歳月が育んだハルの『本気』である。
その傍らには、ひまりが白身に傷一つつけず完璧に剥き上げたゆで卵が、見事な茶色に染まって並んでいた。
風呂上がりで頬を火照らせたひかりが、待ちきれない様子で角煮を箸でつまみ、大きな口を開けて頬張った。
「ん〜〜っ! 美味しい……! お肉トロトロで、一瞬で溶けちゃった!」
「本当です……! あむっ、一度冷まして味を含ませたハルさんの完璧な采配……むしゃっ、隠し味はハルさんの愛情……っ。幸せ……」
髪からシャンプーの微かな匂いを漂わせたひまりもまた、角煮を頬張りながら限界を迎えたように天を仰ぎ、両手で頬を押さえていた。
有言実行、彼女は自身の宣言通り、角煮が最高の状態に仕上がるタイミングを見計らい、隣の実家から帰還を果たしていた。
「……ひまり。喋るか食べるか、どちらかにしなさい」
ハルは淡々と窘めながら、自身の茶碗を手にとる。
「お母さんの料理が美味し過ぎるから、ひまりちゃんもそうなっちゃうんだよ」
「……二人とも、大袈裟だよ。急いで食べて喉に詰まらせないように」
そうして箸を進めながら言葉を交わすうち、話題は自然と、ひかりの面接練習のことへと移っていく。
「それでね、志望動機を聞かれた時に、少し言葉に詰まっちゃって……」
「大丈夫だよ、ひかりちゃん。本番じゃないんだから、今のうちにたくさん失敗しておけばいいの。ひかりちゃんの一生懸命さは、絶対面接官にも伝わるよ!」
「うぅ……ありがとう、ひまりちゃん。明日の練習も頑張る!」
ひまりの励ましに、ひかりの顔にパァッと明るい笑顔が戻る。
目には見えない、不可思議な境界線。
けれど、こうして一つの食卓を囲み、美味しいものを美味しいと笑い合うこの時間は、疑いようのない『家族』の風景であった。
「……ひまり。熱弁するのは良いが、さり気なくひかりの分のゆで卵まで食べようとしてはいけないよ。君の分はちゃんとそこにあるだろう」
「ああっ、すみません! つい、ハルさんのエキスが染み込んだ卵を一つでも多く摂取しようと本能が……!」
「えっ、あっー、ひまりちゃんったらヒドい! 私の卵……お母さん、卵とご飯おかわり!!」
「ハイハイ……」
「あ、お母さん、ハイは一回だよ!」
「では、やれやれにしておこうか……」
「それだとニュアンスは一緒でしょ〜!」
賑やかな声が、夜の食卓に響く。
ハルは静かに息をつき、手元の湯呑みに口をつける。
少しだけ冷めたお茶の渋みが、心地よく喉の奥へと落ちていく。
箸を動かす二人の顔を眺めながら、ハルはまた一つ、小さく口元を綻ばせた。
賑やかな夕食の時間はあっという間に過ぎ去り、やがて「ごちそうさまでした」の元気な声とともに、ひかりは自身の部屋へと戻っていった。
目前に迫った高校受験。ラストスパートをかけるため、今日の分のノルマをこなすのだという。
食器を片付けようとすると、ひまりが「後片付けくらいは私がやるので、ハルさんもお風呂入ってきてください!」と勧めてきたため、その言葉に甘え、一人風呂場へと向かうことにした。
身に纏っていた衣服を脱ぎ捨てたハルの姿は、最早この世に比肩するものなど無いと断言出来る程の美しさを誇っているが、それを声高に宣言するひまりはこの場にはいない。
浴室に入ったハルは、まず初めに頭を、次いで身体を洗い終えると、浴槽にその白百合のように白く透き通った美しい脚を跨がせる。
「ふぅ……」
時間の経過とひかりの体温で少し温くなった湯に身を沈め、静かに目を閉じる。
時の流れから外れ、一切の劣化を拒絶する彼女の身体だが、疲労は徒人と同じように蓄積する。こうして全身を湯船に包まれれば、一日の僅かな疲労がふわりと解れていくのを身をもって実感する。
「……少し、温いかな……」
追い炊きをし、温まってきたお湯に肩までじっくり浸かる。そうしているうちに、徐々に体の芯が熱を蓄えて行くのを感じ……程よいところで、ザァッ、と湯音を立てて立ち上がり、手早く身を拭った。
そうして、着慣れたゆったりとした部屋着に袖を通し、濡れた漆黒の髪をタオルで拭きながら、ハルは静かにリビングの扉を開ける。
「ひかりは、ちゃんと机に向かっているか……」
「おっふ……っ!!」
言いかけたハルの言葉は、ソファから弾かれたように立ち上がったひまりの、奇妙なうめき声によって遮られた。
「……また変な声が出ているよ、ひまり」
ハルが淡々と指摘すると、ひまりは口元を両手で覆い、限界を迎えたオタク特有の荒い呼吸を漏らしながらブルブルと震えていた。
「だ、だって……っ! ハルさんの湯上がり姿……おっふ……っ! ほんのり桜色に染まった白いお肌に、黒髪から滴る水滴……っ、まさに至宝! いや、世界が保護すべき奇跡の美……っ!」
「……やれやれ。君のその語彙力は、いつになったら枯渇するんだろうね」
ハルは小さく首を横に振りながら、呆れ半分、諦め半分の様子でソファへと腰を下ろした。
「一生枯渇しません! むしろ日々アップデートされています!」と力強く宣言しながらも、少し落ち着きを取り戻したひまりが、冷たい麦茶の入ったグラスを二つ、テーブルへと運んでくる。
「ありがとう」
グラスを受け取り、一口含む。
冷たい麦茶が、火照った身体に心地よく染み渡っていく。
いつもは賑やかにしているひかりが自室で勉強しているため、今リビングに響いているのは、時計の秒針の音と、時折グラスの氷がカランと鳴る音だけだ。
先ほどまでの騒々しさとは打って変わった、静かで穏やかな二人の時間。
「……十五年、か」
グラスの表面に結んだ水滴を指先でなぞりながら、ハルがふと、独り言のように呟いた。
「え?」
「いや。あの子がもう、高校受験だなんてね。……少し前まで、私の後ろをよちよちと歩いていた気がするんだが。月日の流れとは、早いものだ」
悠久の時を超えてきた果てしない日々の中では決して感じることのなかった、誰かと共に『日々を積み重ねる』ということの、確かな重み。
静かなハルの声に、ひまりもまた、目を細めて優しく微笑んだ。
「そうですね……。ハルさんがひかりちゃんを産んでくれてから、もう十五年です」
その横顔は、先ほどまでの限界オタクのそれではない。
血を分けた我が子の成長を心から喜び、慈しむような、ひどく穏やかで温かな顔をしていた。
決して自分からは『母親』と名乗らない彼女の、不器用で、優しい横顔。
その静かな横顔を見つめながら、ハルはコトリとグラスをテーブルに置き、静かに問いかけた。
「……ひかりももう高校生だ、名乗り出てもいいんじゃないのかい……?」
それは、この十五年の中で幾度か繰り返されてきた、けれど決して踏み越えられなかった問題。
「いいんです。前にも言った通り、そのつもりはありません」
ひまりの返答は、迷いのない、静かなものだった。
手元のグラスの氷が、カラン、と小さく音を立てる。
「資格がない、っていうのも勿論ですけど……なにより、ひかりの『お母さん』は、ハルさん以外にいませんから」
ひまりは顔を上げ、真っ直ぐにハルを見つめた。
その瞳には、一切の淀みも後悔もない。
「この十五年、ずっと隣で見てきた私が、誰よりもそれを知っています」
揺るぎない、芯の通った声。
そこに込められた途方もなく深く、強い信念に触れ、ハルは小さく息を吐いた。
「……君は、本当に頑固だね」
「ハルさんとひかりへの愛の深さゆえ、と解釈していただければ!」
照れ隠しのようにいつもの調子に戻って笑うひまりを見て、ハルもまた、微かに口元を綻ばせた。
――再び静けさを取り戻した夜のリビングで、二人は今という優しく穏やかな時間を、それぞれに噛み締めるのだった。
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