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悪徳サブスクリプションと天然令嬢〜月額10万円の架空コンシェルジュ、過労死寸前〜  作者: My Pace News
第1章「月額10万円のカモと架空コンシェルジュ」

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8/11

第8話「猛獣たちの晩餐会と、無自覚なカウンター」

分厚く重厚なマホガニーの扉が、黒服のホテルマンたちの手によってゆっくりと左右に開かれた瞬間。

黒瀬巧の視界と嗅覚を暴力的なまでに埋め尽くしたのは、圧倒的な「金」と「権力」、そして果てしない欲望が入り混じった特有の熱気であった。


天井からは、中世ヨーロッパの宮殿からそのまま移設されたかのような、数百のクリスタルが煌めく巨大なバカラ製のシャンデリアが眩い光を放ち、広大なフロアを真昼のように照らし出している。

壁際にずらりと並ぶのは、超一流ホテルの総料理長が腕を振るった、もはや芸術品と呼ぶべき豪奢な料理の数々。大ぶりのキャビア、黒トリュフ、美しくカッティングされた極上のローストビーフ。そしてフロアの中央に設けられた特設ステージでは、燕尾服をビシッと着こなしたプロのオーケストラが、優雅で流麗なウィンナ・ワルツを生演奏していた。


だが、黒瀬の冷え切った意識は、その豪奢な設えや美食には一ミリも向けられていない。彼の神経はすべて、フロアを埋め尽くす「人間」たちへと研ぎ澄まされていた。


『……おい巧、マジでヤバいぞ。冗談抜きでここは「日本の裏の心臓部」だ』


インカムの向こうで、赤木がひきつけを起こしたように息を呑む音が聞こえた。雑居ビルの薄暗い部屋で、彼がキーボードを叩く指が微かに震えているのが伝わってくる。


『俺が先月組み上げた、警視庁の公開手配データと官報、さらに裏社会のブラックリストを統合したディープ・スキャン用顔認証スクリプトが、さっきからエラー音みたいなアラートを鳴らしっぱなしだ。いいか、二時の方向で葉巻を持ってる初老の男……大手メガバンクの現役頭取だ。九時の方向で談笑している眼鏡の男は、警視庁の現役警視監。さらにその奥のVIPテーブルでドンペリを開けてる連中……政権与党の幹事長と、閣僚クラスの重鎮たちだ。それに、表のデータベースには絶対に顔が出ないような「裏社会のフィクサー」らしき奴らの顔もチラホラ混ざってる。どいつもこいつ、お前がやってる末端の架空サブスク詐欺なんざ、指先一つで潰して東京湾に沈められる本物の怪物ばかりだぜ』


「……ああ、わかっている。ここは人間の皮を被った猛獣たちのサファリパークだ」


黒瀬は極小マイクに向かって、唇の動きを周囲に悟られないよう最小限の腹話術で囁き返した。そして、表情筋を完全に固定し、極上の『一流コンシェルジュ』の完璧な仮面を顔に貼り付ける。

テーラー結城が仕立て上げた三百万の特注タキシードの襟が、首元にひんやりとした適度な緊張感を与えてくれる。本来、詐欺師にとってこういう富裕層の集まる夜会やパーティは、新たなカモを見つけるための「最高の狩場」であるはずだった。だが、今日ばかりは事情が全く違う。己の顔を知る過去の被害者や、本物の警察関係者の視界に一秒でも長く入らないよう、完全に気配を消し去る「ステルス行動」が絶対の至上命題なのだ。


「白鳥様。まずはあちらの壁際へ参りましょう。素晴らしいアンティークのタペストリーが飾られていますよ」

「はい! わぁ、本当にすごい熱気ですね。皆さん、とても立派な方ばかりに見えます!」


黒瀬は花澄を巧みに誘導し、フロアの中央を避けて、照明がわずかに暗い壁際や巨大な大理石の柱の死角を縫うように歩を進めた。

相手の視線の交差点を瞬時に計算して死角に入り込む歩調。グラスを持つタイミングを周囲の呼吸とずらすことで存在感を希薄にする技術。詐欺師として長年培ってきた『群衆に紛れるスキル』を限界まで引き出し、黒瀬は完璧な壁の花になりきろうとしていた。


だが――その黒瀬の完璧な計算は、たった一つの、しかし世界最大のイレギュラーによって粉々に打ち砕かれた。

白鳥花澄という存在そのものである。


「あちらの方、とっても綺麗な深紅のドレスですね! 黒瀬さん、あとでどこでお仕立てになったか聞いてみてもいいでしょうか?」

「い、いえ、初対面の方にいきなりドレスのブランドを尋ねるのはマナー違反になりかねませんので、お控えください……」


淡いシャンパンゴールドのドレスに身を包み、一切の打算や悪意を持たない純度百パーセントの笑みを浮かべる花澄。

この腹黒い権力者たちが水面下で激しい腹の探り合いをしている淀んだ空気の中で、彼女の放つ純真無垢なオーラは、あまりにも場違いであり、そして残酷なまでに人目を惹きつけてしまっていた。

ステルス行動など全くの無意味だった。フロアにいる「猛獣」たちの視線が、次々と花澄へと向けられ、ざわめきが波紋のように広がっていくのを、黒瀬は背筋が凍るような思いで感じ取っていた。


(マズい。目立ちすぎている。このままでは、誰かに声をかけられるのは時間の問題だ……!)


黒瀬の極めて正確な嫌な予感は、五分と経たずに的中することとなった。


「やあ。こんなに美しいお嬢さんが、壁際で退屈そうにしているなんて。日本の紳士の恥だと思いませんか?」


甘ったるい、しかしどこか見下すような、安っぽい香水の匂いを漂わせた声とともに近づいてきたのは、派手なワインレッドのベルベットスーツを着崩した、三十代前半の男だった。

胸元は無駄にはだけており、ギラギラと光るダイヤモンドのネックレスをこれ見よがしに見せつけている。腕には数千万は下らないであろう、複雑な機構トゥールビヨンを搭載した超高級腕時計。典型的な、中身のない「成金」のスタイルであった。


「初めまして、美しいお嬢さん。僕は『サイバー・エッジ』というIT企業でCEOをしている、西園寺と申します。白鳥グループのご令嬢とお見受けしましたが?」

「あっ、はい。初めまして、白鳥花澄と申します」


花澄が礼儀正しく、絵画のように美しい所作でお辞儀をすると、西園寺は満足げに口角を歪め、そして花澄の隣に立つ黒瀬を、虫ケラでも見るかのような冷笑的な目で一瞥した。


「そちらの方は? お兄様……にしては、少し雰囲気が違いますね。随分と素晴らしいタキシードをお召しですが、お顔立ちは存じ上げない」

「私は白鳥様のエスコートを務めております、黒瀬と申します」


黒瀬が極めて丁寧に、しかし絶対零度の冷ややかな声で名乗ると、西園寺は「ああ、ただの付き人か」とあからさまに鼻で笑い飛ばした。


「ご苦労様。君はあっちのビュッフェでオレンジジュースでも飲んで休んでいていいよ。これからは僕が、白鳥お嬢様を政財界の重鎮たちに直接紹介して回るから」

「わぁ、お気遣いありがとうございます! でも、黒瀬さんは私の大切な専属コンシェルジュなので、ずっと隣にいていただかないと困るんです」


花澄の真っ直ぐで一切の迷いがない拒絶に、西園寺の眉間がわずかにピクリと動いた。

「……お嬢様。世の中には、付き人を連れて行っていい場所と、そうでない場所があるんですよ。僕の会社は来期にはアメリカのナスダック市場で上場を果たす予定でしてね。これから紹介する方々も、億単位のビジネスを息をするように動かす本物のVIPばかりだ。ただの付き人がいては、話のレベルについてこれないでしょう?」


西園寺は自身のステータスを誇示するように、腕の高級時計をわざとらしく触りながら、ペラペラと薄っぺらい自慢話を展開し始めた。


その瞬間、インカムの向こうで赤木の凄まじい速度のタイピング音が鳴り響いた。


『巧! 対象の顔と企業情報を裏データベースで照合した。確かに「サイバー・エッジ」の西園寺だ。だが、こいつの会社、実態はただの火の車……完全な自転車操業だぞ! 来期に上場どころか、先週メインバンクである帝都銀行から追加融資を完全に打ち切られて、現在数億円の不渡りを出す寸前だ。どうやら、白鳥の親父さんの莫大な資産目当てで、花澄お嬢様にパトロンになってもらおうと目論んでるハイエナだ!』


(……なるほどな。沈みゆく泥舟から逃げ出すための、都合のいい金蔓探しか)

黒瀬の三白眼に、深海の底のように暗く、氷のように冷たい怒りが宿った。

自分を「ただの付き人」とコケにされたことなど、どうでもいい。自分が月額三十万円という(詐欺としては)正当な報酬を受け取って、身と神経を削って護衛している『上客』に、こんな三流のハイエナが手を出そうとしていることが、悪徳詐欺師としての奇妙なプロ意識とプライドを激しく逆撫でしたのだ。


黒瀬が、西園寺を社会的に抹殺するための鋭利な言葉の刃を脳内で組み立てようと、静かに口を開きかけた、その時だった。


「アメリカで上場ですか! すごいですね!」

花澄が、目をキラキラと輝かせて両手を合わせた。西園寺は「わかってもらえますか」と得意げに胸を張り、見下すような視線を黒瀬に向けた。

しかし、花澄の次の言葉は、誰の予測もつかない、あまりにも残酷な角度から飛んできた。


「じゃあ、今は会社にとって一番苦しくて、毎月のやり繰りに必死な『自転車操業』の時期なんですね!」


「………………え?」


「銀行さんからお金を借りるのも大変だと、昔、父が言っていました。私、知っています。見栄を張ってこんなに高い時計や派手なスーツを買わなくても、私は西園寺さんの泥臭い頑張りを、心から応援しますよ! だから、不渡りなんて出さずに、一緒に頑張りましょうね!」


「………………は?」


西園寺の顔から、一瞬にしてすべての血の気が引いた。赤黒かった顔が青ざめ、やがて純白へと変わっていく。

見事なまでの、純度百パーセントの善意による「無自覚な図星カウンター」であった。

花澄に悪意は一切、微塵も存在しない。彼女はただ、父親の過去の苦労話と照らし合わせて、目の前で強がる男に心からのエールを送っただけなのだ。しかし、誰にも知られていないはずの極秘の経営危機という「一番痛いところ」を、笑顔で完璧に抉られた西園寺にとっては、最高級の皮肉と煽り、そして死の宣告にしか聞こえなかった。


「なっ……き、君ねぇ! 白鳥グループの令嬢だからって、言っていいことと悪いことが……!」


顔を真っ赤に引き攣らせ、激昂して花澄に詰め寄ろうとした西園寺の前に、スッと黒瀬が立ちはだかった。

三百万の特注タキシードに包まれたその背中は、見上げるほど大きく、そして周囲の空気を一瞬で凍らせるほどの絶対的な威圧感を放っていた。


「西園寺様。お嬢様の純粋な励ましに対し、そのような声を荒げるのは紳士の振る舞いとは言えませんね」

「う、うるさい! たかが付き人の分際で……!」


黒瀬は西園寺の耳元にゆっくりと顔を寄せ、周囲の誰にも聞こえない、しかし西園寺の鼓膜を確実に破壊するような凍りつく低音で囁いた。


「……あなたのその見事なトゥールビヨン。文字盤の細工は素晴らしいですが、秒針の動きがわずかに不自然ですね。本物の毎時二万八千八百振動ではなく、おそらく二万一千六百振動の廉価版機構でしょう。恐らく中国製のスーパーコピー品ですね。それに、先週『帝都銀行』から融資を断られた焦りと絶望が、その安っぽいベルベットのスーツのチョイスに如実に表れていますよ」


「なっ……な、なぜ、お前がそれを……!」


「……これ以上白鳥様に近づくなら、今すぐこの場で、あなたの会社の『本当の財務状況』と『不渡りの危機』を、マイクを使って大声でアナウンスしますが? ここにいる全員が、あなたの会社から手を引くことになりますよ」


「ヒッ……!」


圧倒的な情報量と、同業者(詐欺師)だからこそわかる心理の隙を突いた、完璧で容赦のない脅迫。

西園寺は幽鬼でも見るかのような目で黒瀬を見上げ、そして「ひ、失礼する……!」と捨て台詞を吐く余裕すらなく、足をもつれさせながら、逃げるようにその場から足早に立ち去っていった。


「黒瀬さん? 今の方、どうされたんですか? 顔が真っ青でしたけど……」

事態が全く飲み込めていない花澄が、きょとんとして小首を傾げる。


「急なお腹の痛みを訴えられたので、トイレの場所をお教えしただけですよ。さあ、あちらに素晴らしいオードブルが並んでいます。お食事にいたしましょう」

「わぁ! お腹すいてたんです! ありがとうございます、黒瀬さん!」


(……よし。完璧だ。これでハイエナを一匹駆除した。あとは目立たないように時間を潰して、このサファリパークから帰るだけだ)

黒瀬が内心で深く安堵の息を吐き、花澄をビュッフェコーナーへエスコートしようとした、まさにその時だった。


「――見事な身のこなしと、鮮やかな害虫駆除だ。君、ただの付き人ではないね?」


背後から、重厚なコントラバスのように低く、周囲のワルツの旋律すらも掻き消すような、圧倒的な威圧感を伴う声が響いた。

黒瀬が振り返ると、そこには白髪をオールバックに撫で付け、黒檀の杖をついた鋭い眼光の老紳士が立っていた。周囲の空気が、その老人の存在だけでピリッと張り詰め、周囲のVIPたちすらも、まるでモーゼの十戒のように息を止めて道を空けている。


インカムの向こうで、赤木が絶望的な、泣きそうな声を上げた。


『お、おい巧……ウソだろ。そのジジイ……』

「……赤木、どうした。誰だ、こいつは」

『日本の政財界の黒幕……いや、現在の日本経済を裏で牛耳ってる本物の怪物、東条重工の『東条会長』だ……! なんでそんなトップ・オブ・トップがお前に直接話しかけてきてるんだよ!? 逃げろ巧、そいつは詐欺師が一番関わっちゃいけないバケモノだ!!』


黒瀬の全身の毛穴から、一気に冷たい汗が吹き出した。

三流のハイエナを鮮やかに撃退した手際が、最悪なことに、この夜会で最も目をつけられてはいけない『本物の怪物』の興味を、真正面から惹きつけてしまったのである。

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