09:女は度胸
沈みゆく夕日に照らされて浮かび上がる三つの影。
逆光に照らされる影は、どれも筋肉隆々のいかにも野党といったシルエットだ。
そこにアエラらしい人質らしい影はなく、ここからは見えない場所にいるかもしくは全く別の場所にいるのかだろう。
ずいとその影の一つが一歩前にでる。
私たちとの距離は二十メートルといったところか。
他の影が動かないところを見ると、これが恐らくこの中ではリーダーとなっている男なのだろう。
「本は持ってきたか?」
「ええ。でもこういう場合、人質の無事を確認してから渡すというのが定番よね?」
「ふん、気の強い女は嫌いじゃないが、自分の立場ってもんを考えたほうがいいんじゃないか?」
「ご忠告どうも。けれどアエラの姿を見なくちゃこの本は渡せないわ」
事前の打ち合わせで交渉役はカナタさんと決められていたので、私は禁書を抱え二人のやり取りの様子をカナタさんの一歩後ろで伺っている。……できるだけ怯えた表情を作って。
「まぁいいだろう。おい!」
男が声をかけると、丘の外れに大小二つの影が現れた。小さい影が恐らくアエラなのだろう。
自分で歩いている様子から無事だったと一つの憂いが解消されたが、まだ助けられたわけではない。
本を抱きしめる腕にぎゅっと力を込め、リーダーらしき男へと視線を向ける。
「しかし女だけで来るとは度胸があるというよりは無謀だな。自分たちの身の心配もしたほうがいいんじゃないか?」
「あら、それは問題ないわ。これでも私、冒険者だもの」
「お前さんはよくても後ろのお譲ちゃんはどうだ? 冒険者にはみえねぇな」
その言葉と共にごろつきの視線が私に向けられるのがわかる。
私はよりいっそう身を硬くしてカナタさんの背に隠れた。
できるだけ油断を誘うように、服装もいつものものではなくどこからかヒナが取り出したワンピース。
まさか何もない空中から出てくるとは思わなかったので盛大に驚いたが、それよりワンピース自体に驚かされた。
ピラピラのワンピースなのだが、これが失われし遺品だった。
受ける魔法の威力を軽減させる効果があり、さらに柔らかい生地だというのに刃物でも簡単には切り裂けないほどの耐久があるのだという。
そんな高度な技術を何故ピラピラワンピなどに注ぎ込んだのか。古代人は高度の技術を持っていたが馬鹿だったのか。
それでも防御力の面で私が普段着用している旅服とは比べものにならないほど優れていた。
私はそのピラピラワンピに身を包み、カナタさんは神官服ではなく普通の冒険者のような旅服を着用している。
「彼女はこの本の扱いに慣れているから同行してもらっただけよ。あれは色々と危ない本ですもの」
「ちげぇねぇな」
カナタさんの言葉に男は疑うことなく同意する。
――この男、禁書の危険さを理解している。
『クリムゾン』という名のこの真紅の本は、その本の色の特徴だけでつけられた名ではない。
本当の名前の由来は別にあり、この男はその理由も知っている、そう直感した。
カナタさんを見上げれば、眉根を寄せて男を睨みつけている。
男は禁書を売る目的ではなく使う目的で狙っているのならば、一刻の猶予もない。
私はカナタさんの服の裾を引っ張り、ヒナとコハクさんには内緒でカナタさんと決めていた事を実行する意思を伝え、カナタさんは眉根を寄せたまま小さく頷いた。
……エリックさんを置いてきて正解だった。
この本について詳しい彼がもしこの場にいたら、間違いなく大騒ぎしただろうから。まぁ知っているからこそこの場に来たいと騒いだのだろうけれど。
気づかれないように小さく呪文を唱えてその時を待つ。
私の呪文が完成したのを確認してから、カナタさんは一歩前に踏み出した。
「さて、この本のことを多少なりとも知っていると言う事は、アエラを返す気なんてないわね?」
「さぁどうだろうな? 抵抗するようなら手加減はしないが」
その言葉でやはりアエラを返す気はないのだと確信する。そしてこの場に本を持ってきた私たちをも利用しようとしているのだと。
アエラに視線を向ければ、ちょうど大きな影に引きずられるように連れて行かれているところだった。
だが下手に動くわけにも行かず、ただそれを見送る。この本が男たちの手に入るまではアエラの無事は保証されたも同じだからだ。
「やっぱり返す気なんてないじゃない。……ベネディクション・クルス!」
アエラの姿が見えなくなると、カナタさんは大げさに溜息をついてすばやく呪文を唱え巨大な十字架を出現させる。
それが開始の合図となった。
「ナップ・フォグ!」
「ディーコンタミネイション!」
ムキムキとした外見に似合わずリーダーらしき男は魔法を扱えるようで、呪文を唱え眠りへと誘う霧を発生させ私たちの視界を奪う。
瞬時にカナタさんはそれを打ち消す呪文を使っていたので眠りに落ちる事はないだろうが、それは本人の周りのみの浄化であり少し離れた場所にいる私まではその浄化の力は届いていない。
「ハルっ!」
霧の向こうからヒナの声が聞こえ、私は唱えていた呪文を解き放つ。
ふわりとゆるやかなそよ風が霧の向こうに生まれ、こちらに飛び込もうとしていたヒナの動きが止まる。
意図を理解してくれたことにほっとして、私はその眠りの霧に包まれ目を閉じた。
「コハク! ヒナタ!」
鋭い声がその場に響く。
その言葉に返事をすることなく気配を消して様子を伺っていた二人は、その場を後にする。
しばらくして霧が消えたその場に一人残される形となって立つカナタは小さく溜息を漏らした。
「参ったな、ヒナタと争うのは面倒だから遠慮しておきたかったんだけど」
そう呟くと、カナタは二人が走り抜けていった方角に向かって駆け出した。
――体が痛い。
ごつごつした肩に荷物よろしく担がれて、しかも担いでいる男が走っているものだから色々と体が痛かった。
眠りの霧に包まれはしたが、失われし遺品のおかげで眠りに落ちることもなかった。しかし都合がよかったので寝たフリをしてこうして攫われている。
ちらりと薄目を開けて確認したところ、どうやら街の近くに広がっていた森の中を移動しているらしい。この森のどこかに犯人たちのアジトがあるのだろう。
しばらくして到着したのは岩場にある洞窟で、その中の地形を利用して作られた牢に放り込まれた。
文字通り投げ込まれ、体を岩で叩きつけられる。
その痛みに呻き声を上げて視線を向ければ、私を投げ込んだであろう男がにたりと笑みを浮かべこちらを見ていた。その手には禁書が握られている。
私が自身を抱きしめ後ずさるのを見ると、男はくるりと向きを変えその場を後にした。
男が去ったのを確認してから周りを確認する。
簡素だが地形を利用しているこの牢に窓なんてものがあるわけもなく、冷たい岩肌がむき出しになっていて触れるとひんやりと冷たい。
私以外にこの牢に入れられているのは小さな少女が一人。
少し離れた場所には似たような造りだがここよりずっと大きな牢があり、その中には子供から大人まで何人もの女性が入れられているようだった。
「アエラちゃん?」
私の呼びかけにビクリと体を震わせた少女だったが、ふるふるとその首を横に振った。
先ほど逆光でだが見かけた影のシルエットと似ていると思ったのだが、気のせいだったか。もしくは最初からアエラと偽りこの少女をあの場に連れてきていたのか。
「名前教えてくれる?」
「……ルカ」
「ルカちゃん、さっきティーンの丘にいなかった?」
ルカちゃんは私の問いに今度は首を縦に振った。
どうやら後者の考えで合っていたらしく、恐らくアエラはあちらの牢か別の場所にいるのだろう。
あの場であの男たちを取り押さえなくて本当に良かったと思う。そんなことをしていたらアエラもここに囚われているほかの人々もどうなっていたかわからない。
何とかしてここに囚われている人々を解放し、そして禁書を取り戻さなくては。
禁書にはエリックさんが施した鍵が掛けられているからすぐに解かれるようなことはないと思うが、だからといって安心してもいられない。
ヒナやカナタさんが暴走するまえにこの場に多くの人質がいることを知らせるべきかとその方法を思案していると、ふいに私の上に影がかかった。