10:囚われの身の上
突然できた影に視線を上げると、そこにはコハクさんが泣きそうな顔で立っていた。
「コハクさん?」
どうかしたのかと尋ねてみても返事は返ってこず、代わりにコハクさんの手にぐっと力が込められる。
「ハル、怪我してる。……痛い、よね」
怪我といっても擦り傷とちょっとした打ち身程度で大した事はない。
私は首を振って私とコハクさんとの間にある鉄格子の前まで行くと、私たちの間を隔てている鉄格子を握り締めコハクさんを見上げた。
「これぐらい舐めておけば治るから。それよりコハクさんお願い、ヒナたちにここに多くの人質がいることを伝えて、二人が暴走しないように見張ってて」
「……あの二人を止められる自信なんてないけどね」
私のお願いにコハクさんは苦笑を浮かべたが、無理だとは言わずに頷く。
そして視線を通路の奥へむけると、ちっと小さく舌打ちした。
「誰か近くにいる。俺は一旦外に戻るけど、ハルはくれぐれも無理しないで。」
「え? ――努力します」
私の返事を確認すると、コハクさんはその場にふわりと風を残してその姿を消す。
魔法を使った様子もなく、恐ろしいほどの身体能力を発揮してこの場を離れたのだろうがその動きが全く見えなかった。
獣人であるコハクさんの身体能力は恐ろしいほどに優れている。犯人たちに見つかることなくあの二人に伝言を伝えてくれるだろう。
再びあの男が現れるのは恐らく真夜中。
現在の正確な時刻はわからないが、時間にして四・五時間後といったところだろう。
それまでにこの囚われている人々を解放するか、男が再び現れた時に囚われている人々を守りながら犯人の一味を倒すべきか。
――どちらがよりリスクが低いか。
私が選んだのは後者、夜中まで待つという選択肢だった。
前者では洞窟内の決して広いとはいえない通路を大人数でぞろぞろと移動することになる。間違いなく犯人たちに気づかれるだろう。
その場合この狭い洞窟の中で戦闘をするのは動きが制限される為守る人間が多いこちらが明らかに不利となる。
後者の場合、禁書の都合上私を含め囚われている人々はどこか広い場所に連れて行かれるはず。
広い場所のほうが魔術師である私には戦いやすく、同時に守りやすい。
ヒナたちも外のほうが動きやすいだろうし、もし何かの都合で私一人で犯人たちを相手にするにしても、間違いなく後者のほうがリスクが低いと思われた。
少し離れた対角線上にある広い牢の様子はよくわからないけれど、子供のすすり泣く声が途切れることなく聞こえてくる。
「大丈夫、絶対に大丈夫だから。もう少しの辛抱だよ」
そう言った私の声は決して大きくはなかったけれど、あちらの牢にいる人々にも聞こえたようだ。
すすり泣く声が止み、ぼそぼそと何かを相談するかのような声が聞こえる。
「さっきそこにいた人が助けてくれるの?」
「うん、彼とその仲間が助けに来てくれる。
だからそのときは落ち着いてこちらの指示に従って」
「わかったわ。どうせ私たちにはどうすることもできないんだから、あなたの言葉を信じてみる」
そう告げる声は凛としていて、その人物がその場にいるほかの人々に安心感を与えているようだった。
「そっちには何人いるの?」
「私以外には子供が六人」
「了解。きっと動きがあるのは夜中だから、それまでは少しでも休んでおいて」
「ええ、わかったわ」
そこで会話を切り上げると私は冷たい岩壁に背を預け、怯えるルカちゃんを抱き寄せ目を閉じる。
囚われていたのはほとんどが子供だという事実に、改めて犯人に対してふつふつと怒りがこみ上げてくる。
けれど抱き寄せたルカちゃんの温もりが、そんな私の心を落ち着かせてくれるようだった。
――草木も眠る丑三つ時。
いかにもな時間、いかにもな場所に私たちは連れてこられていた。
ぽっかりと森の中の開けた場所の中心に、あのリーダー格らしい男が真紅の本を携え立っている。
その男の隣には私、そして後方には私以外の唯一の大人である女性が子供たちを庇う様にして立っていた。
地面に引かれたラインは逆五芒星。その星の図形の頂点の部分に女性と子供たちは立たされている。
私が何故リーダー格の男の隣に立たされているのか。
それは男が私に本に施されているエリックさんの鍵を解除するようにと命じられているからだ。
その鍵は時間をかければ解けない事はないだろうがかなり難解なもので、エリックさんがその能力を買われて館長をしているのだと知らしめるものだった。
このリーダーは簡単な魔法を扱えるので下手な呪文を唱えればその意味に気づかれる恐れがある。
しかし逆を言えば、知らないようなマニアックな呪文ならば気づかれる恐れは低いということ。
私はとっておきのマニアックな呪文をそれらしく詠唱し、その力を解放した。
「ポア・ブルーム!」
上空にキラキラと光が生まれ、辺りに色とりどりの花が降り注ぐ。
しばし呆然とした様子のリーダーの男がはっと我に返り腕を伸ばすが、すでに私は次の呪文を完成させ子供たちの元に駆け出している。
子供たちの横にいた男が剣を振り上げるがそれは予想の範囲で、私はその剣めがけて魔法を放つ。
魔力で生み出された突風が男の剣を弾き飛ばし、そこに女性が体当たりをし男はバランスを崩し膝をついた。
男が体勢を立て直す前に追撃しようとしたのだが、見知った影がその場に舞い降り男を蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされた男は少し離れた場所にある木に当って止まり、動かなくなった。
一方私の後ろからは正気に戻ったリーダーの男の剣が迫っていた。
呪文を唱えている時間もなく、その攻撃を避けようと体を捻るとふわりと抱きとめられ大きな背中が庇うように私の視界を埋める。そして金属のぶつかり合う音が辺りに響いた。
「ヒナ?」
「おまたせ、ハル」
ヒナはリーダーの男の剣を片手で受けたまま、にっこりと微笑んで私を包む腕を開放した。
「子供たちのことは任せるから」
「うん」
「なんかカナタが色々溜まってるみたいだから気をつけてね」
「うん……え?」
激しく嫌な予感がする言葉を残してヒナはリーダーの男へと向き直り、私は今その意味を問いただすわけにもいかずそのまま子供たちの元へと駆け寄った。
そこにはすでに先ほど男を蹴り飛ばしたコハクさんがいて、私と目が合うとほっとした表情を浮かべる。
「ハル、風の結界を張れる?」
「得意ではないけれど一応」
「じゃあお願い。カナタが来る」
リーダーの男に視線を向けて告げるコハクさんの手には魔力が集まっている。
私も慌てて呪文を唱え、あまり得意ではない風の結界を私たちの周りに張り巡らせた。
コハクさんは未だ魔力を集めたままの状態で、前を見据えている。
「ぐっ!」
「レトリビューションッ!!」
男の呻き声と共にどこからか知った声が聞こえ、それと同時にコハクさんが集めていた魔力を開放させた。
風の結界がドーム状なのに対してコハクさんが展開させた魔法は私も始めてみる平面状の壁のようなもの。呪文の詠唱もないその魔法はとても興味深い。
そしてコハクさんの生み出した壁が完成すると同時に、辺りにすさまじい衝撃と共に光が溢れた。
間違いなくカナタさんが何かしたのだろうが、その衝撃はすさまじくコハクさんの生み出した壁にピシピシとヒビが入っていく。
「――……くっ!」
耐え切れなくなった壁が砕け、その反動を受けたコハクさんが弾かれる。
私はコハクさんのすぐ後ろにいたので、弾き飛ばされたコハクさんを支えなんとか踏みとどまった。
コハクさんの生み出した壁は消えてしまったが、衝撃の威力がかなり緩和されていたので私の風の結界でも残りの衝撃を耐え切る事ができたようだ。
「ありがとう」
「ううん、それより今のって……」
「カナタの無差別広域攻撃魔法。俺は慣れてるけど――」
慣れている、というところにコハクさんの苦労が垣間見える。
光と土埃が治まったその場には大きなクレーターと満身創痍のリーダーの男、全くの無傷のヒナ、そして元凶であるカナタさんだけが立っていた。
他の犯人一味の男たちは今の衝撃で吹き飛ばされたようで、あちらこちらと散り散りに倒れている。
その数は四人といつの間にか増えているが、カナタさんの声が聞こえる直前の呻き声の主なのだろう。
警戒を怠るつもりはないが、犯人一味はこれで全員のようだった。
私はあの衝撃を受けてもまだ立っているリーダーの男を少々侮っていたようだ。
これだけの力があれば、本当に『クリムゾン』の力を解放することができるかもしれない。
――血塗られた禁書であるあの本を。




