11:禁書『クリムゾン』
今回は軽く流血表現があります。
かなりソフトにしたつもりですが苦手な方はご注意ください。
「……へえ、まだ立ってられるなんて思ったよりやるね」
女装姿のままのカナタさんが男と向き合うヒナの隣に立ち、ヒナはカナタさんを一瞥だけするとすぐに視線を目の前の男へと戻した。
満身創痍の男は口の中の血を吐き捨て恐ろしい形相でヒナとカナタさんを睨みつけている。
先ほどの衝撃で辺りを照らしていた照明が破壊され、月明かりに照らされ浮かび上がる男の顔は不気味さを増しているようだった。
「一体何なんだ、お前ら」
「んー、旅の美人神官?」
「俺は誘拐事件の依頼を受けた冒険者の未来の旦那様」
二人のふざけたような返答に男がハトが豆鉄砲食らったような表情となる。
カナタさんは確かに女装してるから美人さんだが、声も口調も素に戻っててすごく違和感がある。……きっとわざとだろうけど。
ヒナは以下省略。そもそも依頼は一緒に受けているはずである。
「……とにかく、俺に勝ち目が無い事はそのにーさんを見て嫌って程わかった。
――降参だ」
突然の男に言葉に首を捻る。
確かに目の前にいたのに満身創痍の自分と全くの無傷のヒナを見れば嫌でもその実力の違いに気づくだろう。
けれどあの『クリムゾン』を開放しようとしていた男がそんなぐらいで諦めるとは到底考えられない。
「――それで?」
抑揚の無いヒナの声が男に言葉の続きを促す。
男はくっと口角を上げ、
「負けは間違いないが、悪役ってのは悪あがきするもんだよなぁ?」
そう言うと、男は徐に手にした剣で自分の腕を切りつけざっくりと大きな傷を作る。
傷からはぼたぼたと血が流れ落ち、それに比例して男の顔からはどんどんと血の気が引いていく。
冒険者という職業柄、血を見て貧血を起こすほどか弱い精神は持ち合わせてはいないが、見ていて気分がいいものではない。
「本当はそっちのガキ共を使う予定だったのによぉ……ホントついてねぇな」
傷つきだらりと下げられた腕には『クリムゾン』が握られていて、男の腕を伝って流れ落ちた血は握られたその真紅の本をさらに赤く染め上げる。
しかし血はとめどなく流れ出ているというのに地面にはその血は一滴も落ちてはいない。
――男の血はすべて『クリムゾン』に吸収されているから。
「俺だけの血じゃ足りねぇが……それでも一矢を報いる事ぐらなら出来る……だろぅ?」
それが男が発した最後の言葉。
流れてくる血を吸収していた『クリムゾン』は足りないとばかりに赤黒いぬめっとした感じの何かを吐き出し男を包み込む。
――カチリ、と乾いた音がした。
こういった輩は勝てない相手と対峙した時は逃げ出すことが多い。
だからまさかこの男が自分を贄にするとは思わなかった。
エリックさんが掛けた鍵は解除されてしまったようだ。
力の源となる血をたっぷりと吸い込んだ『クリムゾン』のその力を抑えきることが出来なかったのだろう。
――禁書『クリムゾン』
人の血を力の源とし、生み出された紅蓮の炎は灰すら残さずすべてを焼き尽くす力を秘めた書物の形をした魔道具。
過去には戦争に使われた記録もあり、その際には多くの罪なき人々の命が奪われた。
血さえあれば魔力のない人間でも制御出来なくとも発動はできるという迷惑極まりないものだ。
今回は男の血と魔力で制御する人間がいないままその力を発動しようとしている。
あまりにも有名すぎる『クリムゾン』を知らないはずがないのにヒナもカナタさんも涼しい顔で、焦りを隠せない私とはあまりにも対照的だ。
すでに外から掛けられていた封印という鍵が破られた今、男という支えを失って地面へと落ちた『クリムゾン』からは赤黒い瘴気のような魔力が溢れ漏れ出し始めている。
子供たちは怯えながらも身を寄せ合って周りの様子を見ないように顔を伏せ、女性が子供たちを包み込むように腕を伸ばしている。
防御魔法が苦手な私は攻撃が最大の防御だと、自身が扱える一番威力の高い呪文を唱え始めた。
――その時だった。緊迫した場面に似つかわしくない気だるそうに呪文を唱える声がした。
「ホーリー・バインド」
カナタさんの翳した手から光が伸び、『クリムゾン』に絡みつきその力を押さえ込む。
その瞬間、示し合わせたかのようにヒナが剣を振り下ろした。
ヒナの一振りで歴史にも名高い禁書は真っ二つに両断され、僅かに黒い瘴気を吐き出すだけ。
先ほどまでの痛いほどに感じていた魔力も霧散している。
「うん、さすがヒナタ。本当に腕だけは超一流だよな」
「……壊れた?」
「核が真っ二つだからそういうことになるな。ただ残留魔力が高いから教会に持ち戻りだ、面倒臭い」
『クリムゾン』だったものを拾い上げてカナタさんはその表情を歪める。
こういった禁書は危険だが保管されているのは研究材料といったその価値や、何より火をつけても燃える事もなく、ページ一枚を破り捨てる事すらできない強固さで処分が難しいという点もあるからだ。下手に破壊しようとすれば力が暴走することだってありうる。
勿論本を真っ二つに切るなどということはほぼ不可能なはずなのだが……ヒナにはそういった常識は通用しないらしい。
呆然とその様子を見つめていると、隣から「ごめん」とぽそりと小さく呟く声が聞こえた。
「納得がいかないわ」
私の心の声が漏れ出したかのようなその言葉を発したのは、ずっと子供たちを庇っていたあの女性のものだ。
確かにそれはあまりにもあっさりとした幕切れだった。
そもそも禁書の対処や処分は、国家や教会が協力して……
――まさか。
いやでもそう考えれば納得がいく。
何故こんなところに四人しかいない司教がいるのかという理由も。そしてコハクさんがごめんと言ったその理由も。
「――図られたっ!」
虫の声さえ聞こえない恐ろしく静かな森の中に、私の絶叫が響き渡った。
『クリムゾン』の脅威はなくなったということで、一旦洞窟へと戻った私たちは夜が明けるまでの間そこで過ごす事となった。
さすがに子供が多いので夜中の森の中を抜けることは避けようということで意見が一致したからだ。
今は子供たちを男たちが使っていたのであろう寝床に休ませ、私たちと囚われていた中で唯一の大人であった女性との五人でテーブルを囲んでいる。
女性には子供と一緒に休んでいてもらおうとしたのだが、断られてしまったのだ。
「確かにエリックさんから依頼は受けたけど……カナタさんはその前に教会から何か言われてたんじゃない?」
ぶーっとふてくされて机に突っ伏し顔だけ上げて恨めしそうな視線を向ける私に、カナタさんは少しだけ考えるそぶりを見せる。
「んー、確かにいい加減にして嫁でももらって落ち着いてくれって泣きつかれたけど。
ハル、俺の嫁になってくれる?」
「カナタ、そろそろ神の下に召されたほうがいいんじゃないか?手伝ってあげる」
カナタさんの言葉に、ヒナはその肩をぽんと叩きすばらしい笑顔を向ける。
「――そうじゃなくて、禁書の対処もしくは処分をしろって言われたんじゃないかってこと!」
「……まぁ、似たような事は……」
「詳しく話す気は?」
「悪い、それはできない」
カナタさんのその言葉に、私はぐったりと再び机に顔を伏せた。
結局、今回私は利用されたのだ。
教会から誘拐事件が『クリムゾン』絡みだと何らかの理由で知り、対処できるであろう人間を派遣した。……それがカナタさんとコハクさんだったのだろう。
そこでちょうど新しく起きた誘拐事件の依頼を受けた私たちに便乗した。ヒナと知り合いであったカナタさんは、私はともかくヒナの利用価値が高いことがわかっていたはずで丁度よいと思ったのだろう。
結果、いともあっさりと『クリムゾン』は処分されて、カナタさんの目論見は当たったわけだ。
私としては自分の意思で依頼を受けたのだし、子供たちを助けられたので問題ないはずなのだが、それでも何となく釈然としない。
「そういえば、お姉さんはどうしてここに?」
「……私? 私は図書館の裏手で子供が攫われそうになっているのを見つけてそれを阻止しようとしたのだけれど、所詮勝てるわけもなく一緒に捕まってしまったの」
「それってエリックさんの娘のアエラが攫われた時のことよね? アエラってあの中にいる?」
私の言葉に女性は眉を寄せ、首を振る。
……背中をひやりと冷たいものが伝った気がした。




