48:不幸の副産物
こちらを振り返る彼女の動きに合わせて艶のある黒髪が揺れる。長い睫毛に縁どられた菫色の瞳が不機嫌そうに細められ、透き通るほどに白いのに不健康には見えない華奢な腕が壁に突き刺さったままになっていた剣を引き抜いた。
ふっくらとした薔薇色の唇が微かに動き――
「……チッ!」
――吐き捨てるように舌打された。
しかし表情を歪ませても、舌打ちしても美少女は美少女のまま。自分とは次元の違うその可愛らしさに敗北感や劣等感を感じることもない。すでに芸術品の域に達している少女は素晴らしい目の保養だという感想でしかない。
「えーっと、今から聞くことは形式的な質問だから気を悪くしないで欲しいの」
「アリバイならない」
「いやいやいや。イオリとよく似た魔力だけど、あなたはイオリの妹さん?」
「違う」
私の問いに少女はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。鈴を転がすような少女の声はイオリとは似ても似つかない。
本当は聞くまでもなくわかっていた。この少女がイオリの妹ではないことは。ただ、目の前で起こったこととはいえ信じ難かっただけ。
「ハル、残念だけどその子イオリと同じ匂いがする」
「やっぱり同一人物よね。まさかイオリが女の子だったなんて、全く気づかなかったわ。だからやけにヒナの事を気にしてたのね……」
「は?」
「え、イオリって本当は女の子だったの!? 俺てっきり……」
猫とはいえ人間よりずっと鼻の効くコハクは鼻をひくつかせながら、怪訝そうに眉を寄せる。
この少女はイオリに間違いない。匂いが同じということが何よりの証拠だ。魔力の微妙な違いは男から女へと変化したことによる魔法的な要因によるものだろう。
冗談っぽく頬に手を添えて息をつけば、イオリとコハクが揃って目を丸くしていた。
「お、俺は男っ……! そもそもお前視えるだろう!?」
「うん。でもここは瘴気が充満してて視づらいから今は視ないようにしてる。まぁ前イオリを視た時に不幸以外の魔力を纏っている様子はなかったけど、一応念のため?」
「え、うん、そうだねっ! イオリは男だよねっ」
「念のためって何だよ……」
女の子扱いが相当気に入らなかったらしいイオリは、その場の床に剣を突き立てると私に詰め寄り私の服を掴む。噛みつくような勢いだが今のイオリの姿は美少女。目じりに涙を滲せて凄んでみても、ただただ可愛らしいだけである。
「……っ、ニマニマするな!」
「だって可愛いんだもの」
「か、かわっ……」
私の言葉にイオリは顔を真っ赤にして口をパクパクさせるが、それ以上の言葉が出てこないらしい。
それよりも、美少女が真っ赤になって恥じらう様のなんと愛らしいこと。
私にそういう趣味はないが、そういう趣味の人の気持ちがわからなくもない。重ねて言うが、私にそういった趣味はない。
「で、どうしてそんなに可愛くなってるの?」
「かわっ――まぁいい。あの祝福の副作用らしい。魔法を使うと何故かこうなる。だから使いたくなかったんだ……」
「俺のために……ありがとう、イオリ!」
「は? 別にお前のためというわけじゃ……」
「はいはい。それで、どうしたら元に戻るの?」
「残留魔力が霧散すれば。つまり時間が経てば自然に戻る」
「ナルホド」
その原理は後で考えるとして、今はさっさと元に戻ってもらう方がいいだろう。恐らく今の姿ではイオリはその力の半分も発揮できないに違いないからだ。
体の違いによる力や体の大きさの違い。魔力の流れも変わっているので普段と魔力の発現具合も違うはず。この様子では少女の姿で戦ったことはあまりないのだと思われ、上位の悪魔を相手にするには不利な条件となるだろう。
「ほいっと」
魔力を練り上げイオリに向かって指をふるう。
軽い動作だが、放った魔力はイオリの残留魔力をかき消す。恐らくイオリの魔力でなければ影響が出ないだろうと試してみたのだが、その考えは間違っていなかったらしい。
一瞬イオリの姿がぶれたかと思うと、次の瞬間には見慣れた姿のイオリがそこに立っていた。
イオリが私より小さな少女からずっと背の高いの青年へと戻ったことによって、服を掴んでいる腕の位置も高くなっている。ちょっぴり足が浮いているような気がしないでもない。
「あー、手を離してもらえるとありがたいんだけど」
「今何をした?」
「私の魔力でイオリの残留魔力を打ち消したの。早く戻った方がいいだろうし。で、手を離してもらえる? いつもの服なら問題ないんだけど、ちょっとこの服だと私の体が貧相なこともあって見える恐れが……」
「何、が……」
いまいち私のお願いが耳に届いていないイオリだったが、イオリの疑問を一言で片づけ問題の場所を指し示すと途端に顔色を変えた。
それなりに胸元の開いたデザインのワンピース。その肩の下あたりを掴まれているので引っ張られると色々とマズイ。残念ながら私は胸元がふくよかではないので簡単に見えるんじゃないかという恐れがあるのだ。豊かではないというだけで無いわけではない。
重ね着するタイプのワンピースなので現時点では見えていないが興奮したイオリがゆさぶりでもしたら間違いなく見える。やっとそのことに気づいたイオリは耳まで真っ赤にして狼狽し、イオリより先に気づいていたコハクは目を隠して顔を逸らしていた。
とりあえず、緊張感が無さすぎる。今ここで取り逃がした悪魔が戻ってくるかもしれないのに。
「こんのエロ勇者がぁぁっ!!」
突然背後から叫び声が聞こえたかと思うとイオリが吹っ飛んだ。
正しくは突然現れた某司教が勇者を殴りつけた。幸いイオリとカナタは階段の踊り場で踏みとどまったので大事には至っていない。
イオリは私の服を掴んでいたはずなのだがもちろんその手は離されている。代わりに私の腰に回された手に支えられ、少しだけ浮いていた私は無事に下ろされた。
「大丈夫?」
回された腕の主を見上げると、そこには心配そうにこちらを覗き込むヒナ。
大丈夫だと頷くとヒナは柔らかい笑顔を浮かべてイオリたちに向き直った。
「釈明は後で聞く。さっさと悪魔を倒して戻ろう。お仕置きはゆっくりじっくり、ね」
「お仕置き決定か……」
「当然」
ヒナはイオリに歩み寄ると、イオリの襟首をむんずと掴んで引きずるようにして先に進み、大きな溜息をつきつつもイオリは剣を戻してそのままヒナに引きずられていく。
そんな二人を見ていたカナタが、ぽつり、と呟いた。
「死刑宣告だな」
私の知らぬ間に事態は大変な方向に進んでいたらしい。
「大したことないのに。大げさなのよね」
「でも詰め寄られて怖くなかった?」
「え。だってイオリって確かナイスバディ―なおねーさんに迫られるのが日常だったから貧相な私に興味はないようなことを言っていたような……?」
「うん、それはヒナタには言わないほうがいいかな」
「く、ははっ。あいつ本当に馬鹿だな」
やはり心配そうにこちらを見つめるコハクに以前イオリが言っていたことを要約して伝えたところ、コハクは苦笑して遠ざかる二人に酷く残念そうな視線を向けた。それでいてカナタは何故だかひどくご機嫌だ。
「ほら、追いかけるぞ」
「いこう、ハル」
ひいひいと笑いながらもカナタが結界を張り直す。
そんなカナタを窘めながら、コハクが私を呼ぶ。
この先には厄介な敵である悪魔がいるというのに、この緊張感のなさはなんなのか。
けれど下手に緊張してガチガチになるよりずっといいだろうと思い直し、再び呪文を唱えて彼らの後に続いた。




