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45:瘴気の渦巻く屋敷

「そんなっ……!」


 それじゃあ問題の屋敷に向かおうか、というところでヒナが驚愕の声を上げた。

 ヒナの非難めいた視線は私に向けられているのだが、その理由が思い当たらず私は眉をひそめる。


「どうした?」

「ハルがっ……ハルが上着を…………神はいないのか!」

「いないんじゃないか?」


 ヒナは震えを抑えるようにして心配そうに顔を覗き込むイオリの肩を掴んだ。そして突然天を仰いで叫ぶ。カナタは興味なさそうにその問いに答えると、そのまま歩き出した。

 実際ヒナの主張はどうでもいいのだが、神に仕える立場のカナタがその存在を認めないのはまずいんじゃないだろうか。聖職者、しかも神に愛された子なのだし。


「今日は雨とはいってもここは雪の街。こんな薄着なのに上着もなしで歩くなんてできるわけないでしょ。ほら、行くわよ」


 ヒナにもらったこのワンピースは雪深いこの町で着るようなデザインではない。もっと暖かい地方で着るデザインだ。上着も着ずに外を歩けばあっという間に風邪をひいてしまう。


「そこそこ露出もあって可愛いのに」

「ヒナタ、屋敷に着くまでにその露出した部分を不特定多数に見られるんだぞ? 軟らかそうな二の腕や、程よい肉付きの太腿がな」

「それは困る」

「だろう? ならさっさと行くぞ」


 それでも残念そうなヒナだが、イオリの言葉で考えを改めたらしい。顔を上げ、きりりと表情を引き締めるとイオリと共にカナタの後に続いた。


「――イオリってさ」

「言い方がイヤラシイわよね」

「イオリがそんな目でハルを見ているとは思わなかった」


 遠ざかる三つの傘を眺めながら、その場に取り残されるような形となった私とコハクは何ともいえない微妙な表情で顔を見合わせた。

 表情も変えずにさらりとあんなことを言うイオリはムッツリ勇者に違いない。




 ある場所でカナタが足を止め振り返る。

 そこには目を凝らさないと視えないほどの結界が張られていた。


「ここから先はいつあの悪魔が出てきてもおかしくはない。結界を強化してから入るぞ」

「了解」


 すう、とカナタが息を吸い込むと辺りの空気が変化した。

 結界に手を添えたカナタから力が溢れだし、溢れた力がその足元に光の輪を描き出す。


「おぉぉ、魔法陣!」

「神聖魔法でも大きな力を使うと出るんだよ。本人は嫌がってるから滅多にやらないけど」

「へえ、興味深い……」


 食い入るように光を放つ魔法陣を見つめる私にコハクがこっそりと教えてくれた。

 強大な魔法を使う際に現れるこの現象の存在は知っていたが実際目にするのは初めてだ。

 神聖魔法でもその魔法陣が出現するといった話は聞いたことがなく、何より魔法陣を初めて目にしたこともあって私は酷く興奮していた。


 一瞬結界の向こうの景色が揺らぐ。結界が完成したようだ。

 気休め程度に存在していた結界は綻びもなく美しく強固な結界へと変化している。

 さすが司教、いやこれが神に愛された子の力なのだろう。恐ろしく高度な結界をこんな短時間で作り上げ、そして本人に疲れの色は見えない。


「何だ、穴でもあったか?」

「ない」

「そうか。なら行くぞ」


 じっと見ていた私にカナタが眉を寄せた。

 穴どころか綻びすらもない完璧といっていい結界がそこにはある。ただそれを汗ひとつかかずにあっさりとやってのけるその力をすこし羨やむ。けれどすぐにその感情を振り払った。膨大ともいえる魔力なら私にもある。


 血の封印が解除され、自身でエルフの力を封じてはいるが封印を解除すれば本来のエルフとしての魔力となり魔力量だけならば大抵の人を凌駕している。詠唱破棄に続き魔法陣をも出現させることができるかもしれない。

 しかし問題はそこまで大きな魔力を操ったことがないということだ。魔力があっても制御できなければ意味がない。

 エリックさんにもらった護符があるのである程度はどうにかなるかもしれないが、そもそもこれは人としての私のためにエリックさんが作ってくれたものであってエルフの強大な魔力を制御するためのものではないので過信はできない。


 この先いざという時にちゃんと力を使うためにも練習は必要なはず。決して好奇心だけではない。もちろん好奇心が無いとも言わないが。

 今回はカナタとコハクの目があるので無理だとしても、早めに試してみるべきだろう。

 そう結論付けて、私はカナタたちに続いて強化された結界をくぐった。



 ――暗い。

 結界の内側は外とは完全に遮断されているようで雨は降っていなかったが、黒い霧が充満しているかのように視界が悪かった。思わず足を止めた私をヒナたちがどうしたのかといった様子で振り返る。

 黒い霧は屋敷に近づくにつれ濃くなっているようだった。


「どうしたの、ハル」

「魔力が充満してる。この結界は悪魔を逃がさないためじゃなくてこの魔力を町に充満させないためのものなのね」

「魔力というよりは瘴気だ。今は悪魔を逃がさないためのものでもある」


 暗いと感じたのは結界を視ていたままの状態で結界の中に入ったのが原因だ。視ることをやめればすぐに結界の外と変わらぬ薄暗い程度になる。

 結界に入ってすぐの場所でこれでは、悪魔がいるであろう屋敷の中で視ようとすると真っ黒で何も見えないかもしれない。不用意に視ようとしないよう気を付けた方がよさそうだ。


 屋敷は町はずれの高台にある。

 長らく手入れされていないのだろう。美しい雪景色が広がっていたのであろう庭も、今は雪の重みで木々の枝や幹は折れ、屋敷の屋根の一部も崩落してしまっている。

 音もなく降り積もるどこまでも白い雪の中、誰もが無言で屋敷へと足を進めた。


「うぅ、嫌な空気が充満してる」

「俺はわからないけれど嫌な感じはするかな」


 屋敷を前にして、コハクが辛そうに眉を寄せ口と鼻を手で覆った。その顔からは血の気が引いていて今にも倒れるんじゃないかという様子だ。

 のんびりとした口調のヒナだが、その視線は真っ直ぐ屋敷のある一点を睨むように見つめている。

 ヒナは魔力を感じ取ることはできないが、セイランに会った時のように私にはわかりえない何かを感じ取っているのだろう。


「どうせあいつも町の結界を強化した時点で俺たちの存在には気づいているだろうからな。力を押さえる必要はない、全力でいけ。そして俺の仕事を減らせ」

「カナタ、最後が本音なのはわかるけど少しは隠せ。――っと」


 にやり、と口の端を持ち上げるカナタにコハクは大きな溜息をつく。

 すぐに顔を上げたコハクの頬には赤みが差し、先ほどの倒れるんじゃないかと心配になるような様子は消え去っていた。その頭にはぴんと大きく黒い耳が生え、足元では毛並みの良い尻尾がゆらゆらと揺れている。

 無意識のうちに手を伸ばしかけ、慌てて手を引っ込めたのだが……何故かべしゃりと音を立てて毛玉が落ちた。


「うえぇ、なんだよコレ」


 すぐに人の姿を取ったセイランは、口に雪が入ったのかぺっぺと吐き出そうとする仕草をしている。呼んでもいないのに出てきたセイランは、私に受け止めてもらうつもりだったようだがそのまま雪の上に落ちたらしい。慌てて手を引っ込めなければ腕の中に現れていたのだろう。


「呼んでない」

「確かに呼ばれてはいないな」

「どうして出てきたの。精霊はこういう瘴気、嫌いでしょ?」

「嫌いだがマスターが危険なところに行こうとしてるからだろ」


 私の言葉にセイランはむっとした様子だが、私を心配しての事らしい。しかしセイランの顔色は悪く無理をしていることは明白で、精霊にとってこの瘴気は毒に等しいのだろうと推測できる。


「じゃあ私が危ないと思ったら出てきていいから、それまでは大人しく石の中で待ってて」

「だが……」

「無理しないの。それにそのほうがいざという時に助けてもらえるでしょ?」

「……そうだな、ヒーローは危ない時に助けに来るものだからな。わかった、マスターが危ないと思ったら遠慮なく出る」

「――うん」


 何故か妙な方向で納得したセイランは、絶対だからな、と言い残してふわりとその姿を消す。

 下手にごねられても面倒なので、その認識は間違っているとは言わないでおいた。

 セイランの様子をみればわかることだが、この瘴気が濃いこの場所は精霊は存在できない。そのためこの結界の中に精霊の力を感じることができない。つまり、それは精霊魔法と呼ばれる魔法が効果を発揮できないことを意味している。精霊魔法は使いやすいが対悪魔に関しては分が悪いといえるのだ。

 ちなみに私は神聖魔法こそ少ししか使えないが、黒魔法と精霊魔法のどちらも人並み以上に使うことができる。魔術師なのだから当然と言えば当然か。


「この中に精霊魔法使う人、いる?」

「使えるかどうかといえば使えるが、精霊魔法に限らず魔法を使う気はないし使う必要もない」


 魔力のないヒナは除外して、神聖魔法を使うカナタが首を左右に振る。イオリに目を向けるとイオリは答えてはくれたが、顔を背けぎりりと歯をかみ締めた。

 イオリの態度は相変わらずだがとりあえず問題はないようだ、と思ったところで隣に立つコハクがそろそろと手を上げた。


「ごめん、俺が使う魔法は人の使う精霊魔法とは違うけれど精霊と関わりが深いんだ。動くことに問題はないけれど魔法は無理かも」

「じゃあコハクは私かカナタと常に一緒に行動した方がいいわね。――で、今度獣人の魔法について教えてくれる?」

「もちろん!」


 申し訳なさそうにいうコハクだが、それは獣人全般にいえることでしかたのないことだろう。それに魔法は無理かもしれないが戦うことができないとは言っていない。

 私の教えてほしいというお願いに、コハクは下がっていた耳をピンと立て、やはり足元で揺れていた尻尾を今は背中あたりでゆらゆらと揺らしている。口よりも目よりも、耳と尻尾が感情わかりやすく物語っていた。


「まぁコハクは大丈夫として、悪魔がいる本があるのはあの辺りなんだが……」


 カナタが指し示したのは屋敷二階部分のある一角。出窓があり、そのガラスの一部は割れて破れたカーテンがはためいていた。


「面倒だから俺とハルの魔法でここから吹っ飛ばすか?」


 振り返ったカナタは、やたら真面目な顔でそう提案した。

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