44:黙って立っていれば
――不吉だ。
朝、窓の外から聞こえる激しい音に起こされ首だけ捻って外を見てみれば滝のように雨が降っていた。ここは雪の町で滅多に雨が降ることなんてないはずなのに。
念のために外の様子を見てこようと起き上がろうとして……上体を起こせない程度に体が重いことに気が付く。お腹の辺りに目を向ければ青い毛玉からすぴすぴという音が聞こえた。
通常睡眠を必要としない精霊が何故寝ているのか。そして頼んであった監視はどうしたのか。
「起きろ」
「っは! 起きたんだな、マスター」
ぺしっと毛玉を叩き低い声で短く告げれば、毛玉セイランは恐らくがばっと身を起こし、多分こちらに顔を向けて尻尾らしい毛を揺らした。
長い毛をむんずと掴んでお腹の上から引きずり下ろし、自分の体を起こして自分の状態を確認する。寝ていたので多少の着くずれはあるけれど、寝ている間は特に何事もなかったようだ。
「どうしてセイランが私の上で寝てたのかしら?」
「それは俺がマスターなしでは生きていけない体になってしまったからだ」
「えっ? ええっ!?」
私の問いにセイランは瞬時に少年の姿をとると、憂うように目を伏せふっと息をついて答える。
驚きの声を上げたのはちょうど扉をあけて部屋に入ってきたコハクだ。前髪は僅かに濡れ、手にしていたタオルがぱさりと落ちたところから、恐らく顔を洗って戻ってきたところなのだろう。
「誤解を招くような言い方しないでくれる? 契約したから私の魔力がないと生きていけないっていうだけでしょうが。それだって契約を破棄するか契約者である私が死ねばその限りではないんだし」
「ハ、ハルっ!?」
「破棄はともかく俺がマスターを死なせるわけがないだろう」
「私も死ぬつもりなんてないけどね」
「!!」
恐らくセイランは私のお腹の上で私の魔力を堪能していたのだろう。魔力を吸収するのは精霊にとって心地よいことのようなので、その心地よさに誘われるように眠ってしまったというところか。
ジト目でセイランに睨むような視線を向けた私をコハクが焦りを滲ませた声で呼ぶ。
セイランはそんなコハクを一瞥するとふっと笑みを浮かべ、次の瞬間にはその姿を青年へと変化させていた。
私の真横に手をつき体を乗り出す様にして、反対の空いた手で私の顎をくいと持ち上げると青藍の目を細めて間近で囁く。するとコハクが声にならない叫びをあげて、何故か素早く窓を開けた。
その直後。窓から風を切って飛び込んできた何かが私とセイランの顔の間を通り抜け入り口近くの壁に突き刺さる。
「悪い悪い、手が滑っちゃって――」
悪びれた様子もなく窓から顔を覗かせたのはヒナ。
壁に突き刺さっているのはヒナの愛用の剣でセイランが少し顔を引かなければセイランの顔に突き刺さっていただろう。避けた際に剣が僅かに切り落としていったセイラン髪がベッドの上に落ち、そして空気に溶けるように消えた。
「手が滑るようなら危ないから剣を持つのをやめた方がいいんじゃないか? マスターに当たったらどうするんだ」
「馬鹿だな、俺の剣がハルに向かう事なんてありえない」
「ほう、つまり今のは俺を……」
「手が滑って剣が害虫に向かうことはあるかもしれないけれど」
ひょいと窓枠を飛び越えて部屋に入ってきたヒナにセイランがトゲのある言葉を投げかけたが、ヒナはにっこりと微笑む。ヒナの言葉に余裕を装っていたセイランの笑みが引き攣っていた。
そしてその時のコハクはというと。
「うん、これなら少し埋めれば問題ないな。よかった、ガラスより修理費は安い……」
壁からヒナの剣を引き抜き、壁の傷に手を添えながら安堵の溜息をもらしている。彼の日常の苦労が垣間見えた瞬間だった。
しかし土砂降りの外にいたため、ヒナはずぶ濡れで床にも滴り落ちた水がその足元に小さな水たまりを作っている。何をしていたんだと窓の外を見れば、やはりヒナと同じようにずぶ濡れでこちらを見ていたイオリと目が合った。
「…………」
イオリは無言のまま、一瞬睨むように目を細めるとフイと顔を逸らす。
私に対するあきらかな敵意は無くなったようだが、だからといって好かれるわけもなくどちらかといえば嫌われている。その理由も分かっているのでどうにかしようという気もない。
もちろん嫌われるより好かれた方がいいのだろうが、すべての人に好かれるなんて無理な話だ。ただ、いつ現れてもおかしくない魔王という存在を考えれば勇者であるイオリの戦力は捨てがたい。
今回のイオリの依頼を受けた理由は冒険者として依頼を受けたというだけでなく、勇者であるイオリの力を知るにはいい機会だったからだ。強いということはわかっていたが、直接その身のこなしを見てみたいという思いもあった。
私が嫌われていても、魔王が現れた時はヒナに言ってもらえばイオリの力は借りられるだろう。――結局のところ私は打算的で、イオリの私がヒナを利用しようとしているという言葉もあながち間違いではない。
「……何してんだ」
呆れたようなその声に振り向けば、カナタが腕を組み入り口にもたれかかるようにして立っていた。
「カナタ、朝のお勤めは終わったのか?」
「ああ。話は通しておいたから、朝食を済ませたら例の屋敷に行くぞ」
「わかった。――ハル、どうかした?」
コハクがヒナの剣を抱えたままカナタに駆け寄り、カナタは気だるそうに前髪をかきあげる。
ここへ来る途中、いつもつけているブロンドのカツラはなくしてしまったのでそれから女装はしていない。女装姿であるほうが多かったこともあるが、それ以上に違和感があるのはその服装だ。
今のカナタは普段の神官の着る男女兼用の旅服ではなく、白と青を基調としたローブに銀糸の刺繍が施されたもの。思わず凝視していた私に、コハクが不思議そうに首を傾げた。
「黙って立っていれば司教みたい……!」
「あー、うん。カナタは司教だよ、一応。これはカナタの司教としての正装なんだ」
「本当に司教なのね。疑っていたわけじゃないけれど、いまいち信用しきれてなかったの」
「まてこら。それは疑っていたってことだろ」
「そのハルの意見に関しては俺も同意だ」
驚きを隠せない私にコハクは苦笑しつつ教えてくれた。
確かに威厳が感じられるデザインでその言葉にも納得がいく。思わずもれた私の本音にカナタが眉を寄せ、私に同意する言葉にその眉間にはくっきりと皺がきざまれる。
私に同意したのはいつの間にか隣にきてがしがしとタオルで髪をふいていたイオリ。振り返ればヒナは濡れた上着を脱ぎ捨て鞄から着替えを取り出しているところだった。程よく筋肉がついて引き締まった体は羨ましい限りだ。
私が特に何の反応も見せずに視線を戻したからか、ヒナががっくりと肩を落とす。
「ハル、そこは可愛らしく悲鳴を上げてもいいところだと思うんだ」
「……だって男の上半身裸なんてギルドいけばごろごろいたし。下まで脱いだらさすがに叫ぶかもしれないけど」
「え、期待されてるなら脱ぐしかないね」
「やめろ。それはただの変態だ」
ヒナは手を止め、ちらりと自分の体を見下ろして残念そうに溜息をつく。
いい体つきだとは思うが、悲鳴を上げるほど乙女ではないのでそんな期待をされても困る。私の返答にヒナは一瞬目を見開くと、徐にズボンに手をかけた。
それを止めたのはあっという間にヒナの隣へと移動していたイオリだ。ヒナは自分の腕を掴んでいるイオリに鬱陶しそうな視線を向けるとその腕を振り払った。
「でも濡れてるんだからちゃんと着替えてね。私は他の部屋を借りて着替えてくるから」
「後ろ向いてるからここで着替えてくれればいいのに」
「他の部屋の方がいいだろ。ハル、隣の部屋を使うといい。俺の荷物があるが気にするな。ハルの着替えが終わったら俺も着替えるから声をかけてくれ」
「わかった。それじゃすぐ準備してくるから、セイランはちゃんとここで待っててね」
瞬時に毛玉の姿になったセイランを振り返り、おすわり、と言って荷物を手に部屋を出る。部屋を出る際にべしゃりと床に潰れたような姿が見えたが、もしや本気で着替えについてくる気だったのだろうか。
隣の部屋に入ると壁に掛けられた二着の服が目についた。
片方は見慣れたカナタの旅服で、もう一着は聖職者では珍しい黒を基調とした服だ。先ほどのカナタの正装だという服とはデザインが違うがそれにも銀の装飾が施されており、これもカナタのものだろうと想像がつく。
薄く紫がかった銀髪であるカナタによく似合いそうだ。黙って立っていれば見目麗しい神官様の出来上がりだろう、黙って立っていれば。
手早く着替えを終え、部屋を出る。
まだヒナたちが着替えを終えていないかもしれないので扉をコンコンと叩いてみると、すぐに扉が開かれた。出迎えてくれたのはもちろんコハクだ。
コハクの服装は普段と一緒だが、手首につけられた見覚えのない装飾品がしゃらんと音を立てる。どうやら魔法に対する抵抗を高める効果があるもののようだ。
顔を上げて部屋の中をみると、着替え終わったヒナとイオリがセイランをベッドに押し付けている。私に気づいたヒナは笑顔でひらひらと手をふり、イオリは慌てて視線を逸らした。
「カナタ、ありがとう。準備できたわ」
「わかった。俺もすぐ着替えてるから教会の入り口で待っていてくれ」
「あ、ハル俺のあげた服来てくれたんだ。嬉しい」
「――どう見ても魔術師には見えないけど、性能はいいから」
カナタが部屋を出て、私の服装が見えたヒナがぱっと顔を輝かせる。
今マントの下に着ているのはいつぞやヒナがくれたピラピラのワンピース。今回はイオリに祝福をかけられるほどの悪魔が相手なので、念のためにとこのワンピースに着替えたのだ。
「やっぱりよく似合ってる」
「……ありがと」
「そうだ、せっかく教会にいるんだから愛を誓っていこうか」
蕩けそうな笑顔を浮かべ、ヒナが両手でがっしりと掴むように私の手を包み込む。そして何かを思いついたらしく、ぐいと私の手を引た。
「まて。どこへ行く気だ?」
「礼拝堂」
「残念だがこれから行くのは例の屋敷だ。そもそもそんなもの俺が認めん」
「お前に認めてもらう必要はない」
「ふっ。司式者とは聖職者、つまり俺!」
ヒナを制して足を止めさせたのは着替えて戻ってきたカナタ。先ほどみた黒い服に身を包み、扉の頭の高さあたりに肘をつくようにして軽く体重をかけるようにして怪訝そうにこちらを見ている。
司式者、それはこの国の一般的な結婚式で結婚の宣言を行う人でその人の宣言により結婚が正式に認められる。宣言は形式上のものなので司式者が認めないという話は聞いたことがない。
「それより、相変わらずその姿だと邪教徒にしかみえないな」
「白だと返り血とか目立つからな。それに正装は動きづらいからこっちのほうが断然いい」
ヒナも本気ではなかったのだろう。あっさりと私の手を離して腕を組むとまじまじとカナタを見る。
銀の装飾が映えるように黒を基調としているのかと思ったのだが、まさか本当にカナタの言葉通り返り血が目立たないからだけの理由なのだろうか。
「よく似合ってていいと思う」
「――……そうか?」
「うん。髪色とも合ってるし」
「そうか」
実際黒い神官服はカナタによく似合っていた。
私の言葉にカナタの目が見開かれたがそれは一瞬で、すぐに手を口元に当てて視線を逸らした。……珍しい反応だ。
続けた私の言葉にカナタは少し照れたように、けれど嬉しそうに柔らかく微笑む。
その姿に格好いいなぁ、と素直に思う。――もちろん黙っていれば、だ。




