42:黄昏のカロリーン
予想通り、カロリーンは大騒ぎとなった。
雪に閉ざされた町で訪れる人間はごく僅かで外の人間が来るということ自体が珍しく人目を引く。そこに突然勇者がお供を連れてやってきたと大騒ぎになったのだ。
イオリほどではないがそれなりに顔が知られているヒナは、目立ちはするがマントとフードで顔がわからないように隠し程よく気配を消しているからか気づかれてはいなかった。それに対して勇者は淡く光っていてさらに目立ち、事情を知らない人の目には勇者という補整が働いてとても神秘的に映ったらしい。
信仰深いご年配の方の一人が降り積もった冷たい雪など気にすることなく膝をつき、地面に頭を付けんばかりの勢いでイオリを拝み倒す。どこぞで見かけた気がする光景が再び目の前で繰り広げられていた。
「そんなことをしては体が冷えてしまいます。どうか立ち上がってくださいませんか?」
「おお……勇者様、なんとお優しいお言葉」
何だろう、この砂糖が下に溜まっている紅茶でも飲んだような甘ったるい感じは。
膝をついた人にならうように他の人々も膝を曲げようとしたところをイオリが制し、すでに膝をついて拝んでいる人に手を差し伸べる。その様子を目にしてやっとその違和感を理解した。
それはイオリの老若男女、誰に対しても変わることのない態度のせい。
「顔も言葉遣いも全部違う」
「ハル、違うのは顔じゃなくて表情だよ」
聞こえない程度にぽつりと漏らした言葉はコハクにはしっかりと聞こえていたらしい。
眉を下げて苦笑をしながらも微妙な訂正を入れてくる。もちろんその間違いはわざと。あの私へ向けられていた敵意や今向けられている謎の恐怖心を思えば少しぐらい嫌味を言いたいというものだ。それほどにイオリは恋人にでも向けているかのように甘く柔らかい笑顔で、今なら砂糖が吐ける気がする。
そんなイオリの笑顔など見慣れていないし営業用であることは一目瞭然で、私に他の若いお嬢さんのように素敵だとか格好いいだとかうっとりすることは無理。むしろ何やら背筋に冷たいものが走る。
「胡散臭いわー……」
「何がとは聞かないけれど、ちょっと気の毒だな」
「そう? 俺はいいと思うけれど」
この寒気の原因な何だろうかと考えると、今のイオリはヒナに向けていた笑顔と明らかに違っていて不自然で似合っていないからなのだという結論に達した。
コハクはイオリに憐みの目を向け、顔を隠すためにフードを目深にかぶったヒナだが覗く口元には笑みが浮かんでいて面白がっているようだ。そしてイオリの後ろではカナタが苛立ちを募らせていた。
「勇者様、時間ですのでそろそろ……」
「あ、そうだね。それではみなさん、俺は任務があるのでそろそろ失礼します」
声を抑えるようなそぶりで実際はよく通る周りに聞こえるような声でカナタが告げれば、イオリは助かったとばかりに集まる人々に再び笑顔を向ける。
勇者に任務と言われれば町の人々も勇者を引き留めることもできず、その場を去る勇者を名残惜しそうに見送った。彼らにはその後について歩く私たちの姿は目に入っていないようで、光り輝く勇者様の効果は想像以上に絶大のようだ。人間が光っているのだから勇者でなくても目立つのは当然だが。
悪魔が憑いている本は教会に保管されているのかと思いきや、本来あった場所であるこの町のとあるお屋敷に変わらずあるのだという。
今日は一旦教会に泊まり、そのお屋敷に行くのは明日という事になった。教会には結界の張替のために訪れる人間のために私たちが滞在するのに十分な広さの部屋がある。司教などの高位の人間のための部屋もあり、司教であるカナタと勇者であるイオリはそちらの部屋を勧められたのだがそれを断り私たちと一緒の大部屋を使う事になった。
まだ夕刻だが、早い夕食もお風呂も済ませあとは休むだけ。その前に明日の確認も含めて話をするべく部屋の真ん中で円を描くようにして集まっている。
無事に教会まで到着したのでイオリのピカピカ勇者様は終了し、いつも通りにむっすりとした様子でヒナの背中に隠れていた。
「で、何でその本を教会で保管していないの?」
「その本の悪魔は上位種だ。この町の教会の人間では対処しきれない。あとは悪魔を逃がさないためでもある」
「――俺の魔石と同じ拠り所ってことか」
人の目がなくなったことで少年の姿となったセイランは、私の隣で胡坐をかきながら興味深そうにカナタを見た。
カナタはにっと笑ってその言葉に頷く。
「悪魔は力の大半を失っていてその本を拠り所として力を回復させている。すでにやつはこの町に勇者がやってきたことに気づいているだろうが、結界に細工しておいたから町の外に逃げることはできない」
町に入る前にカナタはこの町に張り巡らされた結界に何か手を加えていたのだが、それが今言った細工なのだろう。魔を遮断する力を強めていたので魔性の者は外からは入ることができず、中にある者は外に出ることができない。今この町にいる悪魔は結界の外に出ることができないということだ。
「つまり悪魔はそのまま俺が行くまで力の回復をする以外にないということか?」
「でも人に憑りつく恐れがあるんじゃないの?」
「ある」
悪魔が逃げられないと言われてイオリの顔がわかりやすく輝く。
確かにこの町から逃げられないだろうが、私が気になっていたことを口にするとカナタは迷うことなく即答し、イオリの顔から血の気が引いた。
「相手は悪魔なんだから、人ごと切り捨てられることはないだろうと人に憑りつくことは十分考えられるわよね」
「そ、そうだよな。どういうつもりだ!?」
「お前たち、俺が司教だということを忘れていないか? 悪魔祓いは得意分野だ。むしろ憑りついてくれた方が確実に捕獲できるな」
慌てたイオリの様子から、勇者の称号を持つとはいえ人に憑りついた悪魔だけを切り捨てるという器用な真似は出来ない、もしくは難しいということなのだろう。
しかしカナタはふんと鼻を鳴らして椅子に座ってふんぞり返る。そして付け足してにんまりと悪い笑みを浮かべた。
「――お前、それを狙ってるのか?」
「そんなことはないぞ。確かに憑りついてくれた方がそれだけで多少の力を使うことになるし力の回復は遅くなる。だからといって神に仕える俺がそんなことを望むわけがないだろう?」
「お前の信仰心はペラペラで紙より薄いだろ」
恐る恐る尋ねるイオリにカナタは晴れやかな笑顔で嘘くさい言葉をペラペラと述べながら、片手を胸に当て反対の手を天に差し伸べる。言葉だけでなくその動作までもが嘘くさい。
今までカナタが神を敬うような発言は聞いたことがないし、何よりカナタが見せた魔法の大半が攻撃系のものだったからということもあるだろう。そしてそれはコハクのツッコミにより確信に変わる。
――やはりカナタの信仰心は薄い。
では何故そんな人間が司教になっているのかというのが疑問となるが、聖職者には二通りの人間がいる。
その多くは神を信仰し祈りをささげるが、ごく稀に信仰心は薄くとも神に愛された人間というものが存在する。その特徴は、本来祈りを通して力を分け与えられている神の力を、惜しみなく注がれているという点だ。
「カナタは神に愛された存在……?」
「残念だけどそうなんだ。だからこんな変態だけど司教なんだよ」
私が呟くとコハクは大きく溜息をつく。
なんとなくカナタを見ていてそんな気はしていたのだが、そんな存在は滅多にいるものではない。そして近年、その存在は減り続け世界に数人確認されているだけのはずだ。
神に愛された存在について研究をしている人の話を過去に聞いたことがあるのだが、昔から神に愛されていると伝えられているだけで実際に愛されているという確証もなく、その程度にもよるが多くは力の加減が苦手だったそうだ。
カナタが回復魔法や細かい制御が必要な魔法が苦手で、全力全開やそれに近い状態で発動させられる魔法が得意な理由もそのせいだろう。
魔法を使うというのは必要に応じて込める魔力を加減する。その加減をを水道の蛇口として水を魔力、それを注ぐ対象をコップとするならば、惜しみなく神の力を注がれ続けるカナタは蛇口全開の水道どころか流れの激しい川。そんなところからコップに水を入れようとしているようなものだから当然溢れやすい。
溢れた水というのは制御されていない暴走した魔力で、その魔力がどんな効果を及ぼすかわからない。制御できないほど際限なく愛され力を注がれるというのも考え物だ。
「カナタがそうだってことは、大司教様も?」
「いや、大司教は違うよ」
「そんなことより、明日のためにしっかり寝て体を休ませておけ」
「――そうだな、今日はもう休もう」
カナタの上司にあたる大司教に少し興味があったのだが、カナタがコハクの言葉を遮ったため話は中断されてしまった。コハクは肩をすくめて困ったような笑みを浮かべたが、カナタの言葉に頷く。
小屋は結界のおかげもあって暖かく保たれていて快適だったし、数は少ないとはいえベッドもあった。カナタと二人ではぐれていた時すら考えていたよりずっと快適な状況で夜を過ごせた。
それでも小屋から町まではずっと結界を張っていたし、歩きづらい雪山を登ってきたのだから疲れはある。何より魔術師である私は魔力の回復が重要なので早く休むべきというのは正しい。それに明日相手にするのは上位種の悪魔ですんなり倒せるとは思えない相手だ。
「ハル、そっちのベッドを使って」
「いいの?」
「女の子をあいつらと一緒に床に寝かせると気が気じゃないから」
「……じゃあ遠慮なく。ありがとう」
ここで自分も床で寝るといっても気を使わせるだけだろうと、遠慮なくベッドを使わせてもらうことにする。
ヒナは残念そうに、イオリはほっとした様子で息をついていた。
「なぁマスター。俺は?」
「そうね、精霊に睡眠は必要ないし……石に戻る必要もないのよね?」
「ああ、たいして力も使っていないからな」
「じゃあ毛玉になって見張りをしててもらおうかな。万が一悪魔が来たり、ヒナがベッドに入ってきたりしたら困るから」
「わかった、任せろ」
「えぇ……今はしかたないけれど、結婚したら毎晩一緒に寝ようね」
セイランはやる気満々と言った様子で毛玉の姿になり、ベッド脇に立つ。毛玉の時は足が短いのと毛がもさもさしているのでよくわからないが、本人的には凛々しくたっているつもりだろう。
真面目な顔で寝言を言うヒナの頭を、酷く焦った様子のイオリがごつんと拳を振り下ろしていた。取って食われるとでもいうような怯えようだが、一体ヒナに何を吹き込まれたのだろうか。
番犬毛玉の頭らしき部分をぽんぽんと撫でて布団に潜り込む。
窓から覗く月は糸のように細く頼りなかった。




