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04:愛しのクジラバーグ

 宿を出て酒場へと向かう。


 空はすでに赤みがかって、通りには店じまいの準備をしている店もちらほらと見られる。けれどまだまだ通りを行きかう人は多く、活気が溢れていた。

 この通りをもう少し進んだところに私たちの目指す酒場はある。


 酒場は食事を取りながら噂や世間話などといった情報を手軽に集めことができる、私のような冒険者にとってはとても利用価値の高い場所だ。ただしガラの悪い人間や、酒が入って気が大きくなった人間などといった相手をするのが面倒な人種もいる。

 かく言う私もごろつきに絡まれたことは多々あるし、特に冒険者になりたての頃などは日常茶飯事というほど多かった。最近はそれがめっきり減って不思議に思っていたのだけれど、それは例の『悪魔』だとか呼ばれていることが原因なんじゃないかと思っている。


 鬱陶しい、と毎回文字通り吹っ飛ばしていたのが悪かったんだろうか。

 それを逆恨みして裏で人を悪魔呼ばわりするとは、男のくせに根性が無いごろつきが多くて困る。


 程なくして私たちが足を止めたのは、ピンクのクジラの看板がトレードマークの酒場『ピンクホエール』の前。


「ハル、ここの酒場?」

「そうだよ。料理がおいしいの」

「へぇ」


 からん、と音を立てる扉を開き店内を見回す。まだ時間が早い事もあり客の姿はまばらだ。

 この店は何といってもここの名物料理のクジラバーグが最高においしい。クジラ肉を使っているわけでもなくクジラの形をしただけのハンバーグなのだが、ふわっふわでジューシーでとにかくおいしいのだ。他の料理より少々値が張るのであまり注文することはないのだが、今日受け取った報酬もあるし何よりランクアップのお祝いに少しだけ贅沢をしようと決めている。


 酒場の奥に位置する席につくと、フリフリのエプロンをつけた可愛いウエイトレスさんが注文を取りに私たちのもとへやってくる。

 もちろん私はクジラバーグを注文し、ヒナは本日のお勧めを注文した。


 しばらくヒナの寝言を受け流しながら待っていると、目の前に念願のクジラバーグが運ばれてくる。

 ほこほこと湯気を上げるクジラバーグ。ヒナの料理が運ばれてくるまではと、早く食べてと訴えるクジラバーグを見つめながらもその誘惑に耐えた。


「お待たせいたしました」


 ウエイトレスさんがヒナの注文した料理を手に私たちのテーブルへとやってきたその時。


 がっしゃーーん!!


 私のクジラバーグは見知らぬ背中と共に宙を舞い、そしてべしゃりと床に落ち無情にも砕け散った。もうそこにクジラの面影は微塵も無い。

 ちなみにヒナの料理はウエイトレスさんが慣れた動きで身をかわし事なきを得た。


 無言のまま立ち上がり、私のクジラバーグを亡き者にした男を見、そしてその男が飛んできたであろう方向を見る。

 そこには大柄なガラの悪い男がにんまりと笑みを浮かべて立っていた。その足元にも食器や食事が散乱していてあの男とこちらに飛んできた男が揉め、負けた男が私のクジラバーグをこんな姿にしたのだと理解する。


 敵は討つ、と心の中でクジラバーグに告げ下衆な笑いを浮かべる男へと歩み寄る。

 口の中で小さく呪文を唱えながら。


「なんだぁ? 何か用かいお譲ちゃん」


 その言葉は私に向けられたものではなく、男のすぐ後ろの席で食事をしていた女性に向けられていた。

 女性の手にはフォークが握られたままプルプルと小刻みに震えている。俯いているので表情こそわからないが、あんな男に絡まれれば普通の女性ならば恐怖を感じるのは当然だろう。


 文句を言ってから吹っ飛ばそうと思っていたが予定変更。あの女性とクジラバーグのためにも早くごろつきを撲滅することを優先させなくては。

 すばやく呪文を唱え、その力を発現させるために鍵となる言葉を発する。


「ブラスト……」

「天誅ッ!!」


 こちらが魔法を発動させるより早く、女性が聞いた事のない『力ある言葉』を叫んだ。

 女性のフォークを握る手が淡い光に包まれ、そのまま目の前のごろつきの顎をしたからすくうように殴り上げる。それはアッパーカットと呼ばれる殴り方。それがきれいに決まり、ごろつきは見事な弧を描いて床へ落ち動かなくなる。

 何の呪文を使ったのかはわからないがこの女性はかなり強いと直感した。


「うーん、とりあえずライトニング」


 あまりに素晴らしいアッパーに呪文を中断してしまったことと、すでに男が動かない事を考慮して少し痺れる程度の電撃を男に放ちクジラバーグの敵を討つ。

 女性を振り返れば何事も無かったかのように再び運ばれてきた料理を頬張っていた。私の視線に気づくと、ひらひらと手を振った。


「どーも」


 とりあえず軽く会釈してからヒナの待つテーブルへと戻る。

 こういう揉め事があって料理がダメになっても自己責任、それが酒場での暗黙のルール。つまり私のクジラバーグは一口も食べる事ができないまま儚く散ってしまったのだ。

 先ほどの男に弁償させればいいのだろうが、すでにあの男は大してお金を持っていないはだろう。さっきの女性がアッパーをした時に空いている手で財布を抜き取っているのが見えたから。しかも先に飛んできてクジラバーグをダメにした男はすでに逃げ出して酒場にその姿はなかった。


「ほらほらハル、顔を上げて」

「あー?」


 がっくりとテーブルに突っ伏していたのだが、ヒナに呼ばれ顔を上げたところ、口に何か美味しい物が入れられた。

 もちろん一度口に入れたものを出すなどというもったいな……いや、はしたない真似をするわけにもいかないのでちゃんと咀嚼してからごっくんと飲み込む。


「おいしい? ハル」

「……はっ!」


 ヒナはにこにこと嬉しそうに、片手にフォークを持ったまま首を傾げて尋ねる。

 つい食べてしまったが、やはり今のはヒナの注文した本日のお勧め料理だったようだ。ヒナの料理を食べるのは精神衛生上遠慮しておきたかったのだが、時すでに遅し。しかも空腹だったところに一口とはいえ食べ物を食べてしまったので空腹感がさらに増す。

 とりあえず美味しかったのでヒナと同じものを追加注文しようとウエイトレスさんを呼び止めた。


「少々お待ちくださいー」


 こちらを振り返りはしたが、ウェイトレスさんはそのまま行ってしまった。

 いつの間にか酒場の中は客で溢れていてウェイトレスさんはテーブルの間をくるくると忙しそうに動き回っている。これでは追加注文できるのはかなり先のことになりそうで、視界に映るヒナの料理が目の毒すぎるので再びテーブルに突っ伏して空腹を我慢した。


「お待たせいたしましたー」


 ウエイトレスさんの声に顔を上げれば、彼女のその手には美味しそうに湯気をあげるクジラバーグの姿があった。

 はっとしてヒナを振り返れば、やはりヒナはにこにこと微笑んで私を見ている。


「ハルってお腹が減りすぎるとやりすぎるとこがあるから、先に追加注文しておいたんだ。あの程度の相手なら問題ないのはわかっていたし」

「うわぁ、ありがとうヒナ!」


 ヒナにお礼を言ってすばやくナイフとフォークを握り締める。また不慮の出来事でクジラバーグが酷いことになる前にきっちりと胃に収めなくてはならない。もちろんしっかりと味わって。


 一口大に切り分けてぱくりと口に含む。ふわふわなのに噛めば口の中にじゅわっと肉汁が広がり、それはとても幸せな瞬間だった。

 冒険者をしていると必然的に野宿も多くなる。そんな時には場合によっては硬いパンと簡単なスープのみということも多々ある。きちんと食事を取れない事も多い。

 だから私にとって街に戻ったときの食事は大切な楽しみのうちの一つであり、それを邪魔しあまつさえ食べ物を粗末にしたごろつきは万死に値する。


「ねぇハル。俺もそれ少し食べてみたいな」

「……どうぞ」


 前もって追加注文してくれていた恩もあるので、クジラバーグを少し切り分けお皿の淵へと寄せる。そしてお皿をヒナのほうに少しずらしてヒナから取りやすい位置へと動かした。


「さっき俺がハルにやったみたいに食べさせて欲しいな」

「寝言は寝てからに……」

「ハルが行きたがってた王立図書館。

 明日図書館は休館だけれどギルドランクの特権を使って明日見せてもらえるように頼んであげるよ? ついでにこの食事は俺の奢り」


 ジト目で睨む私に、ヒナはにっこりと極上の笑みを浮かべた。




 結論から言おう。

 私は敗北した。

 SSSランクの特権と、奢りという魅惑の言葉に。

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