38:疑惑と不幸の中で
影はどんどんと近づき大きくなり、その形も次第にはっきりとしてくる。それに伴い受ける威圧感は増していく。
綻びを閉じる作業を急ぐが急いで荒い修復になっては意味がない。かといって今ここで作業を止めれば再び綻びが開いてしまう。このまま修復を続けるか、一旦手を止めて後で最初からやり直すかしかない。
「まったく、なんであんなのが来るんだ?」
「誰かさんの運がないからじゃないか?」
「――それに関しては全力での否定ができない」
そんな声と共に、ヒナがイオリを連れて戻ってきた。
私を挟むようにして両脇に立った二人は綻びの向こうの黒い影を見つめる。二人にもあの影の正体はわかっているようだ。
「あ、心配いらないよ。俺一人でも十分相手はできるから。でもハルを守ることを考えてこいつを呼んできただけだから。気に食わないけれどハルを頼む」
「俺が相手をしてヒナタがハルを守ればいいんじゃないか?」
「お前が出るとどんな運のないことが起こるかわからないからな」
「……そうか」
「じゃ、行ってくる」
ヒナは言いたいことだけ言うと、ぽんと屋根から飛び降り結界の外へと向かった。
こちらに向かって来ているのはAランクの冒険者でも集団で相手にしなくてはいけないような生物。生命力も、内に秘めた魔力もすべてが人を凌駕する上位の存在。
ヒナはそんな存在相手に一人で十分だというし、イオリもそれが当然といった様子。やはり勇者やその仲間の剣士という肩書や限界突破しているギルドランクは伊達ではないようだ。
――そういえば、イオリのランクは知らないので後で聞いてみよう。どうせヒナと同じかそれ以上だろうけれど。
「ドラゴン、ね。運が悪いってもんじゃないな」
そういって呟いたイオリの視線がこちらに向けられたのを感じるが、私がイオリに視線を向けることはない。
綻びをじっと見つめ、掲げた手から練り上げた魔力を送り込む。それは繕いものと似たような地味な作業だ。視えない人間からは私は難しい顔をして空にてを掲げているだけに見えるだろう。
魔力が視えるというのは普通はありえない。エリックさんやカナタのようにすんなり信じる方が珍しいのだ。現にイオリは不審な眼差しを私に向けている。
「ハル、どうしてお前はヒナタに付きまとうんだ? ――いや、あれはヒナタが付きまとっているのか?」
そんな言葉に私が何の感情も見せず、返事もしないことにイオリの不信感は増しているようだ。けれど今その言葉に意識を向けることも、返事をすることもできない。
そういったちょっとした気の緩みがつなぎ合わせた綻びを再び開いてしまうことになりかねないから油断はできないのだ。
「とにかく、悪いが俺は今まであいつに群がってきた女とハルが違うとはおもえないんだ。何かヒナタの弱みを握ってるんじゃないかとすら思ってる」
いきなり抱きついて来たり振り回されているのはこちらであって、イオリの言葉は濡れ衣もいいところだ。
少しだけ集中が途切れた瞬間、綻びが開き始める。慌ててその考えを切り離し、意識を集中して再び綻びを閉じていく。幸いにも綻びが開ききるようなことはなく、このままつなぎとめることはできそうだ。
ただ、私の沈黙をイオリは悪い方向に受け取ったようだ。
「……否定しないんだな。言い訳しないのは好感が持てるが、だからと言ってお前にヒナタを任せられるわけでもない。――あいつは俺の大切な友人であり、唯一の仲間だからな」
とりあえず、イオリがヒナを大好きだというのはわかった。さすがにそれが恋愛感情というわけではなさそうだが、相手をする人間が疲れるほど大好きらしい。
――うん、気にするだけ無駄だというのがよくわかった。これで心置きなくイオリの言葉を無視できる。
「はぁ、来たようだな」
肌にピリピリと突き刺さるような威圧感に襲われる。
とんでもない相手ではあるけれど、ヒナならば大丈夫。だから私はヒナの言葉通り綻びの修復に集中していればいい。
威圧感を拭い去ることはできないけれど、私は自分の役目を全うするため意識のすべてを綻びへと向けた。
自分の五感をすべて綻びへと向けたこともあって、なんとか綻びを無事修復することができた。
額に浮かぶ汗を拭い隣を見れば、イオリが口を大きく開けて目を見開きふるふると小刻みに震えている。その様子に首を傾げつつもイオリの視線の先を追いかけて――理解した。
「ヒナ!?」
小屋から少しだけ離れたその場所に、青黒い巨体と足場が悪いことを感じさせずに動く人の姿がある。
ただしその人の髪は蜂蜜色でヒナの緑がかった千草色の髪ではない。しかし服装はヒナと同じ色の上着に同じ色のズボン。ヒナと同じような格好をした人間が都合よくこの場に現れるわけもない。
あれは間違いなくエルフ化したヒナ本人だが、何故エルフ化なんてしたのだろうか。
「あれは?」
「結界の綻びからこの中に良質な魔力があることを感じ取ったらしい。あのドラゴンは魔力を食う種で、良質な魔力ほどやつにとってはご馳走になる。ヒナタには目もくれずにドラゴンはこちらに向かってきたんだ」
「そのこっちに向かってきたドラゴンを止めようとしたヒナがあんな姿に?」
「ああ。あの姿はどういうことだ? 一緒に旅をしている間にもあんな状態になったことはない」
それはあの姿になれるようになったのがごく最近なのだから当たり前だ。
エルフは自然と相性がよく、魔力も高く敏捷性に優れている。ヒナに魔力はないがエルフに戻ればその敏捷性は格段に上がるはず。
その時、背後に新しい気配が生まれた。突然その場に現れたその気配を私はもちろん知っている。
「マスター、どこ行ってたんだ!」
「いや、それはこっちのセリフよ。ここに来た時どうして姿を見せなかったの?」
「契約した精霊は主人と離れている間は常に魔力を削られるんだ。消費を減らすためにいろいろ手段を講じていたんだぞ」
「あー、ごめん。そういえばそうだったわね」
セイランは小屋に来て今まで姿を見せていなかった。精霊なので心配はしていなかったのだがあまり良い状態ではなかったらしい。
今は人の姿でべったりと私の腰に張り付いているが、それは親愛からの行動ではなく単に魔力の補給をしているだけだ。
今まで現れなかったのは私が結界の修復をしていたからだろう。精霊は主人の意識を感じ取ることができるので、ある程度は言葉で説明する必要がない。
「それはあの犬の精霊か?」
「そうよ。私の契約精霊のセイラン」
「マスターへの暴言、知っているぞ。勇者だろうが関係ない、とりあえず死ね」
「……口の悪い精霊だな」
「そうだった、私も言っておきたいことが色々とあるのよ。でもまずはヒナの援護が先ね。あの種って確か核をつぶさないとダメなんでしょ?」
ドラゴンには核と呼ばれるものがあり、それが人間でいう心臓のような役割を持っている。その核をつぶさない限り、ドラゴンは死ぬことがない。核さえ無事に残っていればどんなに酷い状態でも時間さえあれば元の姿に戻ることができる。
そして今ヒナが戦っている青灰竜は魔力を糧とし、その核の周りを取り込んだ魔力で覆っているという種だ。魔法は使えないがその分核の守りが強固で倒すのは難しい。
「あいつは相当良質な魔力を食ったのか、核の守りが特に優れている。あのヒナタが未だに倒せていないんだからな」
ヒナがどの程度でドラゴンを倒せるのかが分からないのでその判断基準はわからないが、とにかく面倒な相手であることだけはわかる。
「俺が援護にいくからハルは自分の身を守ることに専念してくれ。中途半端な魔法は効かないし、こちらが巻き込まれる恐れがあるからな」
「じゃあ高い魔力で巻き込まずに吹っ飛ばせば問題ないわね。援護に行くのは私が魔法を試した後で十分でしょ?」
「ヒナタを巻き込んだらどうするんだ!」
「そんなことするわけないし、ヒナが巻き込まれるわけがないのはイオリもよく知ってるんじゃない?」
イオリは軽くストレッチして、こちらを見ないままに告げた。
ヒナにまとわりつく害虫認定されているからか、イオリの言葉の端々に敵意が滲み出ている。
すでにヒナのあの姿を見られてしまっている以上、エルフの説明をすることは間違いない。私も同じなのだという説明をする必要はないが、カナタやコハクさんに今のヒナの姿を見られるのは面倒で早くドラゴンを倒すのが望ましい。
ヒナ大好きなイオリがエルフであるということを人に漏らすようなこともないだろう。つまり私のことを知られても、ヒナを巻き込むことがわかり切っている以上イオリはこの秘密を口外しないはずだ。
「セイラン少し離れてて。――エーギル」
それは魔道具を使うヒナとは異なる解放の言葉。
お腹の辺りから力が溢れだし、その力は私の色を塗り替えていく。
「なっ……!」
イオリの驚愕に染まる声が聞こえるが、呪文を唱えながら結界の外へと飛び出す。
エルフの体はとても身軽で、簡単に屋根から飛び降りたり木々の枝を渡って結界の外へと出た。
魔力も高く、人とは比較にならないほど安定している。安定しているということは、詠唱を中断されるようなことが減るということ。それは魔術師である私にとってとても素晴らしい恩恵だ。
ある程度ヒナとの距離が縮まったころに呪文が完成し、こちらを振り返ったヒナと目が合う。私が何をするつもりなのか悟ったヒナは小さく頷いてドラゴンから飛びのき距離をとった。
「アイシクル・レインっ!」
エルフとして魔力の上がった状態でさらにセイランの加護を受けた呪文を解放する。
力の解放と共にドラゴンに無数のツララが降り注ぐ。
魔力でできたツララは普通のそれとは強度が違い、普通の魔術師でも槍程度の強度を誇る。魔力が高ければ高いほどその威力は増し、ツララの数も増えるのだ。
加減することなく放ったツララはドラゴンの皮膚に突き刺さり、ドラゴンが激しく咆哮する。ツララは幾重にも降り注ぎ、最後にセイランの過剰な加護を受けた巨大なツララが降ってきた。
「うわぁ、えげつない」
ドラゴンに突き刺さったツララはその役目を終えると霧散して消えていく。その場に残ったのはドラゴンの残骸としか表せないものと、青く光る結晶であるドラゴンの核だけだった。今の魔法で核を覆っていたものも消し去ったようだが、ぐずぐずしていては再び魔力で覆われてしまう。
「助かったよ、ハル」
きらり、と光が煌めくと結晶が乾いた音を立てて半分に割れる。ヒナが剣を一閃させたのだ。
割れた結晶は光を失い、黒く変色していく。全体が黒く染まった時、どろりと解けるようにして結晶は地面に吸い込まれた。
「フェーベ」
「コンコルディア」
ドラゴンを倒したことを確認し、それぞれ封印の言葉を唱えればすぐに普段の姿に戻る。
正しくはエルフこそが本来の姿なのだが人として長く過ごしてきたのでこの姿に戻るとなんとなく安心感があった。
「……説明、してもらえるか?」
振り返れば、イオリが何とも言えない表情で立っていた。
飛びついてきた毛玉状態のセイランを受け止めて、どう説明したものかとヒナをみる。やはりヒナは任せたと言うように微笑んでいたのだった。




