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36:結界と疑惑

 ぶつけた鼻を押さえながら起き上り恨めしくカナタさんを睨む。もちろんカナタさんに私の視線を気にする様子などない。

 この際カナタさんの言葉を信用して一緒に毛布を使うとしても、雪の中を歩いていた私たちの服は濡れて体温を奪っていく。


「カナタさん、動かないでね」

「さん……?」

「ああもう、鬱陶しいから絡まないで。カナタって呼べばいいのね?」

「そうだ」

「じゃあカナタそこで大人しく座ってじっとしてて」

「了解」


 ヒナと同じ扱いをしろという事なのだろうが、幼馴染と会って間もない人を同じようには扱い辛い。しかしそうしないと鬱陶しいことこの上ないので気は引けるが本人の希望通り呼び捨てにすることにした。

 細かいことを気にして詰め寄る様子はまるで大きな子供のようだ。


「ヒート・ブラスト」


 それは本来の物より威力をかなり弱めた魔法で温風を生み出す。冒険者である魔術師ならほとんどの者が使えるだろう。こういう状況では濡れた服を乾かせるかどうかだけでかなり状況が違ってくるし、乾かす程度の威力であれば比較的簡単に使うことができるからだ。


「便利なものだな」

「カナタは……使え無さそうね」

「もちろんだ。威力を抑えるとかまず無理だな」

「うん、乾いたわね。火はどうする? 薪がそこにあるけど」

「結界があっても空気の流れはあるから火を焚いても問題ないぞ」

「じゃあ火を付けておくわ」


 薪を拾い上げ中央に運ぶ。カナタさん――カナタも手伝ってくれたのですぐに運び終えることができた。意識しないと呼び捨てにすることを忘れてしまいがちなので心の中で呼ぶときも気を付けなければ。うっかりさん付けしてしまうと面倒臭そうだ。

 エリックさんにもらった護符を使い、ぱちんと指を鳴らす。するとゆっくりと薪から煙が上がり始めた。試にやってみただけだが、マッチ程度の火を起こす程度ならば鍵言葉すら省略できるようだ。ただし思った以上の魔力を必要とするらしいので実用的ではない。やはり力を解放する際の鍵言葉は重要だと実感した。


「ほら」


 ぽんぽんとカナタが自分の横の地面を叩く。

 ひんやりとした冷たい風が吹き込んだので、急いでカナタの隣に背中を合わせるようにして座り毛布にくるまった。毛布はかさばらない薄手のものであるのに柔らかく暖かだった。さすがに司教、いいものを使っている。

 カナタに背中を向けたのは警戒の現れでもあったのだがこれが思いの外暖かい。これならば火が消えても大丈夫そうだと思ったら、急に眠気が襲ってきた。

 こんな状況で、しかも背中に危険人物がいるというのに我ながら図太い神経をしているとは思う。だが寝られるときに寝るというのも冒険者にとっては重要なことなのだ。


「……いくらなんでも寝付くまでが早すぎないか?」


 少し驚いたような呆れたようなその声はすでに睡魔に身を委ねていた私の耳にはどこか遠く子守唄のように響く。


「まだ寝てない……オキテル」

「ほぼ寝てるだろうが。――っと」


 一応まだ意識はあることを伝える。落ちる寸前だけど。

 私の言葉にカナタさんが振り返ったので、その背中にもたれかかってウトウトしていた私の体がぐらりと傾く。

 やはり寝るなら横になる方が楽だがさすがにこの地面は冷たすぎるなぁなどとぼんやり考えていた私の体をカナタさんが支える。――あぁ、頭の中でだけれどまたさん付けしていた。気を付けなくては。


「眠い」

「見ればわかる。寝ればいいだろ」

「んー。おやすみ、カナタ」


 ぽんぽんとあやす様に背中を叩かれ、それは特に嫌悪感もなく私を心地よい眠りに誘う。それに抗うことなく、さん付けしなかった自分に満足して私は意識を手放した。



「――重い」


 朝、息苦しさで目が覚めた。

 体の所々が痛く、身動きが取れない。次第にはっきりする視界に移ったのは見覚えのある袖。そこから伸びた腕ががっしりと私の頭を押さえていた。反対の腕は私の腰に回され、やはり抑え込まれるように抱えられている。

 背後から微かに聞こえる寝息はカナタのものだろう。腕をはずそうと試みても寝ているはずなのにしっかりと抱えられていてどうにも外れない。


 普通、朝起きたら男の人に抱えられていたら焦るだろう。しかし私の状態は抱きしめられているとかいう甘いものではなく、カナタは私を抱き枕にして足まで乗せてすやすやと眠っているのである。

 なんだろう、この敗北感は。

 この状況から考えて女性扱いはされていないだろう。昨日のカナタの言葉を考えると私をヒナをからかうためのおもちゃだと考えているようだ。


「起きろおぉぉぉ!」

「……煩い」

「ぶふっ!?」


 押しても引いてもだめなら叫ぶしかないと大声を出すと、カナタがもぞもぞと動いて――顔を地面に押し付けられた。

 何という酷い扱いだろうか。下に毛布があったからよかったものの、無かったら擦り傷ができていたところだ。その程度なら魔法で治せるが痛いものは痛い。


「悪い、コハクと間違えた」


 やっと腕から解放されて恨めしく睨んだ私に、カナタは視線を泳がせて謝罪した。

 どうやら本当にコハクさんと間違えたようだが、もしやいつもコハクさんを抱えて寝ているのだろうか。

 二人にはそういう趣味があるのか、もしくはカナタにだけがそういった趣味なのか。本当は女に興味がないからこそ私もあの扱いだったかもしれないが。

 コハクさんもそういう趣味ならばいいのだが、そうでなければコハクさんが気の毒すぎる。そしてコハクさんの身が危ない。

 その考えに確信があるわけではないが、カナタを見る目が変わってしまいそうだ。


「……何だその目は」

「何でもない」


 伸びをして座りなおしたカナタがジト目で私を見る。

 どうやら無意識に向ける目つきも変わっていたらしい。慌てて笑顔を作って首を左右に振ったのだが、カナタはいまいち納得していないようだ。


「ほら、それ食べたら出発するぞ」

「はーい」


 差し出されたのは水分がなく固いが日持ちするパン。それを唾液で柔らかくしながらゆっくりと飲み込む。

 こういったものをカナタが食べるとは驚きだ。司教様はこういった利便性ではなく味を優先するとばかり思っていた。

 偏見にすぎないのだが、本来司教は自国の教会と中央教会程度しか移動しないので、保存食はあまり必要としない。必要としても数日持つ程度のもっと味のよい保存食を食べると思っていた。

 しかし目の前の司教は冒険者が常備しているような保存食を当たり前のように食べている。悪魔退治にいくことも含め、司教は私が考えていたより冒険者に近い職業なのかもしれない。カナタはさっさとパンを食べ終えると、今は手際よく毛布を丸めて鞄の中に押し込んでいる。


「行くぞ、ハル」

「うん」


 途中で魔物に会うのも面倒だということで、カナタは結界を維持したまま行くそうだ。つまりセイランたちにこちらの居場所がわからないままということだが、雪山で魔術師が戦闘すればやはり雪崩に直結しやすいので私たち二人だけならそのほうがいいことはわかる。だが結界を維持し続けるのはカナタに負担がかかるということだ。


「大丈夫なの?」

「それなりに魔力は食うから当然疲れるが、魔物が出るよりマシだ。基本的に俺は広範囲や高火力の魔法しか使えないからな」

「唯一の例外があの鈍器なんだ」

「鈍器? あぁベネディクション・クルスか。確かに鈍器だな」


 結界があるのは助かるが、そのためにカナタが魔力切れを起こして倒れては元も子もない。倒れた人間というのは重く、この雪山で私一人で運ぶのはほぼ不可能だ。残念ながら私は運搬用の魔法を覚えてはいない。


「魔力を食うとはいっても一週間は張り続けられる魔力があるから大丈夫だ。ただしカロリーンに着いたらサービスしてもらうからな」

「……何を?」


 にやり、と何かを企むような悪い笑みに何をさせられるのか身構えた私に、カナタは堪えきれずにぷっと噴き出す。


「労ってマッサージでもしてもらうかな。肩とか腰とかにけっこーくるんだ」

「おっさんくさい」

「――結界解くか?」

「ちゃんと労って肩でも腰でも揉んであげるわよ」

「そうか」


 そうだった、カナタは男色疑惑が持ち上がっているのだ。みんなと合流したら、それとなくコハクさんに確かめてみよう。

 もしかして、やたらヒナに構うのも実は……いや、これ以上の邪推はやめておこう。それは事実を確認してから考えればいい。


 洞窟の外に出る際、カナタは結界の形を小さなドーム状へと変化させた。並んで歩くと腕が振れそうなぐらいに狭いが、大きな結界は比例して魔力の消費も激しくなるのでその大きさは必要最小限にとどめるのが常識である。

 外は雪がちらついていたが吹雪というほどではなく、降り積もる雪もカナタの結界に阻まれて直接私たちに触れることはない。足元は柔らかくゴムのように伸びて歩くことを妨げないという高性能っぷり。先ほど結界が変化した時に視えた魔力の揺らぎはこのためであったようだ。

 便利な結界だが、何故これを昨日使用しなかった理由はすぐにわかった。いつも飄々とした様子のカナタだが、その額には汗が滲んでいて心なしか辛そうに見える。

 やはり便利だがこの結界は大量の魔力を必要としているのだろう。結界を維持したまま移動するというのもやはり魔力の消費が大きくなる。


「カナタ、結界解いてもいいよ?」

「何言ってるんだ。滅多に魔物に会うことはないとはいえ絶対会わないというわけじゃない。もう雪崩に巻き込まれるのはごめんだぞ?」

「それはそうなんだけど」

「いいからさっさと歩け。あいつらも待っているだろうからな」


 心配は無用だとばかりにべしりと頭をはたかれ、急かされる。

 今向かっているのは昨日行くはずだった本来の休憩地点。今日中にカロリーンに着けない距離ではないが、それのためにはかなり無理をすることになる。それならば安全策である休憩地点を経由して予定より一日遅れた道のりでいくほうがいい。一日程度であればヒナたちもそこで待っている可能性もある。


 正午を過ぎたあたりで程よい場所があったのでそこで一旦休憩を取ることになった。

 やはり固いあのパンを二人でかじる。パンをかじりながら、ふと思いついたことを聞いてみた。


「この結界って魔力を外には出さないんだよね?」

「ああ」

「魔力によって生み出された熱とかそういうものは通す?」

「魔力によって生み出された炎なら通さない。魔力によって生み出された炎によって温められた空気なら通す」

「じゃあ昨日私が使った熱風を出す魔法は通さない?」

「あれは魔力を熱に変換しているから通さないな」


 カナタからの返答は私の予想を肯定するものだった。ならば私がするべきことはただ一つ。


「ハル!?」


 呪文を唱えながらマントとコートを次々と脱ぎ捨てる。

 カナタの制止するような慌てた声が聞こえたがそのまま呪文を完成させた。


「ヒート・ブラスト!」


 結界の中を暖かい空気が満たす。

 カナタの言葉通り、結界に触れている雪が解けることもなく外に影響は見られない。結界の中が快適な温度となったところで効果を下げて持続させる。この程度なら大した疲労を感じることなく持続させることができるので問題はない。


「なるほどね」


 カナタもコートを脱いで荷物に詰め込む。私はコートをマントで包んで背中に背負うようにくくりつけた。多少不格好だが先ほどまでよりずっと動きやすい。

 身軽になったことで移動速度も上がり、予定より早く休憩地点へと到達できそうだ。


「この調子なら夕方には着けそうだな」

「そうね、でも無理はしないでよね!」

「……何が?」

「結界。維持するの大変なんでしょ?」

「――そうだな」


 私を振り返って一瞬キョトンとした表情を浮かべたカナタだったが、すぐに口元を釣り上げ前へ向き直った。きっとカナタは気分的な問題で一瞬その疲労を忘れていたのだろうと結論付けて私も視線を前に戻す。

 どこまでも続く白い景色の中、白以外は灰色の空と所々に生える木々のみ。

 その中にぽつんと小さな黒いものが動くのが私の視界に映った。

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