35:変態と一緒
風の結界を押しつぶした雪が私とカナタさんに迫る。それを阻むのはきらきら光るシャボン玉のような薄い膜一枚。
触れたら弾けてしまいそうなほど脆く儚く見えるのに、膜は押し寄せる雪に変形することなく私たちと雪を隔てそこにあり続ける。――ただし、その形が悪かった。
「うきゃあぁぁ!?」
「黙ってないと舌をかむぞ」
雪に押しつぶされることはなかったが、丸い形故に押し出され斜面を転がり落ちていく。転がり落ちる球体の中、カナタさんは私を抱えたまま足を動かしなんとか体制を保ってはいるが、立っているのがぎりぎりという大きさの球体の中でいつまでもそんな状態で耐えられるわけがない。
「さすがに無理か」
カナタさんの呟きと共に、世界は急速に回転した。
気が付いた時には吹雪も雪崩はおさまっていて、先ほどの場所からは随分押し流されてしまったらしい。とはいっても雪山はどこも同じような風景なので自分がどこにいるのかわからず推測にすぎないが。
目が回って若干気持ち悪いがすぐに治まると思われる程度で問題はない。特に怪我もしていないのはカナタさんの結界のおかげか抱えられて庇われていたからか。どちらにせよ助けられたことに間違いない。
「お、気づいたか。見たところ怪我はしてないと思うが、痛いところはないか?」
その声に振り返り見上げれば、すぐ近くの雪の盛り上がった小高い場所にカナタさんが立っていた。辺りの様子を確認していたのだろう。その様子から特に怪我はしていないように見える。
「大丈夫そうです。ありがとうございます」
「それはよかった。俺回復魔法って苦手だからな」
「司教様なのに苦手なんですか?」
「ちょっと効果がありすぎて普通の怪我の治療には向いてない。過ぎた薬は毒になるから俺が治療するなら瀕死の重傷とかじゃないとダメだ。だからハルが怪我をしていたらちょっと瀕死になってもらわないといけなかったからな」
「そんな治療は遠慮します。それにちょっとした回復魔法なら私でも使えますから」
「そうか、それはよかった」
カナタさんは力が強い分、力の細かいコントロールは苦手のようだ。水道の蛇口でいえば全開か閉めているかのどちらかしかないような。神から受ける加護が極端に高いということだろう。
まだはっきりしない頭でぼんやりとそんなことを考えていると、いつの間にかすぐ隣にカナタさんが立っていた。助けてもらったとはいえ、以前のことがあるので思わず身構える。
「なぁ、なんで丁寧語なんだ? 俺にもヒナタみたいに話せばいいだろ」
「一応年上っぽいのと司教様らしいので」
「確かハルは十七だろう? 二年違うだけだし、苛つくからやめろ」
「えぇ……でも司教って敬語使われる立場――はいはい、わかりました」
教会に戻れば丁寧語どころかもっと堅苦しい敬語で話しかけられているはずなのに不思議だが、教会の外でまで司教扱いを受けたくないということなのかもしれない。私も常に悪魔呼ばわりされるのは遠慮したいから。
私の返事がお気に召さなかったカナタさんはぴくりと眉を動かし私に詰め寄った。
「わかりました?」
「……わかった」
「よし」
ちょっとした丁寧語も気に入らないらしい。よくわからないが面倒な人である。
言い直すとすっと伸ばされた手が私の髪をがしがしとかき混ぜ、髪が重力に逆らい奇妙な形を成しだした頃、満足したのか満面の笑顔となった。
女装の時の作り物のようなものとも違う、よく見せる少し馬鹿にしたかのようなものとも違う、これがカナタさん本来の笑い方なんじゃないかと思わせる親しみやすそうな笑顔。
しかし親しみやすさを感じるその笑顔に騙されてはいけない。この人は変態趣味で危険人物なカナタさんなのだから。
そう考えたところでやっと気が付いた。カナタさんが変態であるといわしめるその証ともいうべきものがない。
「カナタさんカツラは?」
「……無くした」
「は?」
「まぁ気にするな。どうせカロリーンへはこの状態で行くつもりだったからな。それより動けるなら移動するぞ」
どうやらカナタさんに無くした経緯を説明する気はないらしい。
カナタさんに急かされ慌てて立ち上がる。思ったより時間が経っていたようで、すでに空は赤く染まり始めていて一刻も早く休憩地点へと移動する必要があった。
「簡単に確認したんだが、現在位置は恐らくこの辺りだ。そしてさっき流された場所がここ」
カナタさんが広げた地図のを指し示す。そこは先ほどいたという場所からは随分離れてしまっている。日が暮れる前にヒナたちと合流するのは難しそうだ。
「飛べばすぐかもしれないが、現在地が違っている恐れもある。さすがにあの飛行魔法も何時間も飛び続けることはできないだろ?」
「それはもちろん。飛べたとしてもカナタさんを残していくわけにはいかないでしょ」
「――そうか」
カナタさんの指摘通り飛行魔法は他の魔法に比べて消耗が激しい。飛んでいる間は常に魔力を消費するのだから当然だ。どちらにせよカナタさんは飛べないのだから私だけが先に行くという選択肢がそもそもない。
カナタさんは一瞬目を見開いて驚いた様子だったが、すぐにその驚きを消していつも通りの笑みを浮かべた。
「それじゃあ行くぞ」
「うん」
雪に覆われた山はどこも同じような景色に見え、自分が進んでいる方向が正しいのか時折わからなくなる。雪崩に押し流される際に横にそれてしまったようでただ真っ直ぐ登ればいいというわけでもない。数少ない目印になるものを探しながら、私たちは黙々と歩いていた。
「はぁ、思ったより下まで流されていたようだな」
カナタさんが溜息をついたのは日がとっぷりと沈んだ後のことだった。
流された地点がカナタさんの予想と外れていたようだ。魔力の明かりに照らしだされた地図を眺めながらカナタさんは難しい顔をする。
「似たような地形だと――ここか。今日中に合流するのは諦めて今晩の安全を確保するのが先だな」
私の荷物はヒナが持っているはずなので夜に包まる毛布すらない。カナタさんは持っているか怪しいほど小さい荷物なので余分な防寒具などないだろう。荷物があったとしてもこんな場所で夜を明かすには危険すぎる。どちらにせよ雪と風を凌げる場所に移動する必要があった。
「地図で見る限りこの近くにそういった場所は見当たらないけど」
「今がこの辺りなら近くに切り立った場所があるはずだ。そのあたりに洞窟のような場所があるかもしれないな。もしなくても作ればいい」
地図の切り立った場所というところを指示しながらカナタさんは悪い笑みを浮かべた。岩壁に穴を開けるとその振動でまた雪崩が起きる恐れはあるが、それを恐れていつ吹雪になるかわからない中で夜を明かすのは自殺行為に等しい。
二つ浮かんだ魔力の明かりだけを頼りに、私たちはその場所へと向かい歩きだした。
「合っていたようだな」
カナタさんの予測通り、私たちは大きく切り立った岩壁が広がっている場所へとたどり着いた。次は岩壁沿いにあるき、目的の物を探す。
幸運にもすぐにそれは見つかった。
「あったあった。――これは自然のものじゃないな。魔法によるものだ」
「つまり似たようなことを考えた人がいたってことよね。助かるけど」
「とりあえず中に入るぞ」
カナタさんが先導して岩壁に掘られた穴へと入る。
入り口こそ狭いが中は途中で曲がった先には十分な広さがあり、中央にはたき火をたいた後があるが人や魔物の気配はない。ひとまず安全だといえるだろう。
洞窟の中はひんやりとした空気漂うが、吹き込む風も少なく過ごしやすそうだ。一通り中の様子を確認して大丈夫そうだと判断できるとその場に腰を下ろした。
「ヒナとイオリは大丈夫かな?」
「大丈夫だろ。今日行くはずだった休憩地点で待ってるんじゃないか? 俺たちは行けないが」
「契約した精霊のセイランが来ないってことはこっちの位置がわからないか来られないわけだから絶対大丈夫だとはいいきれないわ」
「あー、それは俺の結界のせいだ。視えるだろ?」
契約した精霊は、主人や憑代としている宝石の位置を把握することができる。だから普通ならば離れていても精霊は主人の元へ戻ることができるはずなのだ。
今回セイランが戻ってこないのはあちらで何か問題があったからではないかと思っていたのだが……原因は私の隣にあったらしい。目を凝らしてみれば洞窟全体をカナタさんの結界が包み込んでいた。先ほどのシャボン玉のように光は帯びておらず、言われるまでそこにあるとは気づかなかった不思議な結界。
「この結界って?」
「魔力をすべて遮断し、外からの侵入を防ぐ結界だ。ハルの魔力も遮断されているからな、あの精霊も気づけないんだろ」
「ずっとこの結界が?」
「途中からだ。魔物に襲われるのは面倒だったからな」
「……気づかなかったわ」
「身を隠すための魔法だからな。感知するのはかなり難しいはずだ」
魔法を発動させたことにも気づかなかったというのは不思議だが、あの転がっている最中に使ったというならばありうるかもしれない。その場合、カナタさんはあの状態でこれほど高度な魔法を使ったという事になるが。
とりあえず、この結界があれば安全だがセイランが私の位置を把握することができないということだ。外に出ればすぐにセイランは来るのだろうが、その場合ヒナも一緒にこっちに来てしまう気がする。夜の雪山を移動するのはいくらヒナでも危険なので今はまだ居場所を知られない方がいいだろう。
「――先を考えると今日の分はこれぐらいだな。足りないだろうが我慢してくれ」
カナタさんが荷物から取り出して私にぽんと投げたのは少量の携帯食と小さな砂糖菓子。確かに量は少ないが食べられるだけありがたい。私よりも男性であるカナタさんのほうが足りないだろうと思うが、空腹で倒れる方が迷惑をかけることになるので遠慮することなく食べ物を胃に収めている私をカナタさんは面白そうに眺めていた。
「今更返せと言われても無理だからね?」
「そんなこと言うわけないだろ。うまそうに食べるなと思っただけだ」
それ、とカナタさんが指さしたのはちょうどかじっていた砂糖菓子。疲れた時の甘いものは格別だ。美味しいのだから頬が緩むのは自然の摂理。
「ま、食べたのならさっさと休むぞ。日が昇ったら出発するからな」
「うん、じゃあ私はこっちで……」
「何言ってんだ。こっちで一緒にだろ。毛布は一枚しかないし、一緒に使うならともかく貸すつもりもない――なんだ、その顔は」
上着など着込んでいるので魔法で服を乾かして丸くなって寝れば大丈夫だろうと思ったのだが、どうやらカナタさんは毛布の片隅に私を入れてくれるつもりだったらしい。
しかし彼は危険人物である。顔をしかめた私にカナタさんは口を一文字に結んで不服そうに私を見下ろした。
「カナタさん前科者だし」
「……ヒナタもいないのにちびっこに手をだしても面白くないだろ」
「それが本音かっ!」
吐き出すように告げれば、カナタさんは呆れたように溜息をつく。
やはりあの行動はヒナをからかって遊んでいたのだ。叫ぶと同時に反射的に拳を繰り出す。しかし所詮魔術師の私の拳はカナタさんに届くことなく、あっさりと受け止められてしまった。
「とにかく、いいから寝ろ」
受け止められた拳を握られ、その場に腰を下ろしたカナタさんに引き寄せられる。
その勢いでべちっと地面に顔をぶつけた私をカナタさんはにやにやと眺めていた。




