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32:ファナティスト現る

「きゃあ!」


 腕を引かれ、カナタさんが可愛らしい悲鳴を上げて男に引き寄せ抱きとめられる。カナタさんの声帯は恐ろしく高性能なようで、その声は間違いなく女性のものだ。

 下心しか見えない、しかも酒臭い男に抱きとめられるなんて吐き気がするが、長い髪の隙間から見えたカナタさんはにやりと口元を歪めていた。もちろんうつむき加減なので男からカナタさんの表情は見えない。


「――みんな、あっちの席へ移ろう」


 かちゃりとナイフとフォークを置き、コハクさんが立ち上がる。そしてまだ料理の残るお皿を手に、少し離れた空席へと向かったのでコハクさんに続いて私たちも席を移った。


「さぁ俺たちの酒の相手をしてもらおうか。美人に酌をしてもらえばうまい酒が飲める」

「美人って言われるのは嬉しいけれど、無理矢理自分の好きなようにしようってのは感心しないわね」


 カナタさんは男との間に入れていた手に力を入れ、男を突き飛ばすように距離をとる。

 男は思いがけないカナタさんの言葉と行動に眉を潜めた。いくら不意を突いたとはいえ抱きしめた女に力で逃げられたのだから驚くのも無理はない。

 カナタさんの声色に先ほどの悲鳴のような怯えの色はなく、上げた顔に不敵な笑みを浮かべ真っ直ぐに男を見据える。

 ――見てしまった。男を突き飛ばした際に男の懐から財布を抜き取るところを。

 神に仕える身どころか人としてどうなのかという行動なのだが、男の行動は不快だし女の敵であることに間違いないので気づかなかったことにする。もちろんヒナたちも気づいているようだが誰も何も言わず、コハクさんだけが小さく溜息をついていた。


「んだこのアマ、優しくしていればつけあがりやがって!」

「どこが優しくしたのよ」

「ぐだぐだいってねぇで、いいからこっちへ来い!」

「嫌」


 男の反応はとても模範的なごろつきだった。いい加減絶滅してもいいと思うほど古臭い。

 頭に血が上った男が拳を振り上げると周りから歓声が上がった。悲鳴じゃなくて歓声が上がったということがこの店の客層をよく示している。


「すぐ力に頼るところが単純よね――」


 くすりと微笑むカナタさんの拳が淡く光を帯びていることに男は気づいていない。以前みたあの魔法と同じものだろうが、カナタさんに呪文を唱えている様子はなかった。――つまり詠唱破棄。

 私はエリックさんにもらった護符でやっとできる程度だというのに、カナタさんはそれを難なくやってのけたのだ。女装趣味で暴走気味だがカナタさんは教会関係者の頂点に近い人。私はその足元にも及ばない、それが現状。

 けれどこの現状も不変ではない。私は詠唱破棄する感覚を知ることができたのだから、あとは自分の努力次第で可能となる。それだけの魔力を私は持っているのだから。


「地獄に落ちろ、天誅ッ!」

「ぐほっ!」


 カナタさんに頬を殴りつけられた男が椅子などを巻き込みながら文字通り吹っ飛ぶ。笑っていた観衆の男たちはぽかんと口を開けたまま固まり、あれほどの喧騒が波が引くように一瞬で静まり返った。


「兄貴になんてことしてくれんだ!」

「あら、お仲間さん? あなたもやられたいの?」

「んだと!?」


 人波をかき分けて前に出てきた男をカナタさんは蔑んだ目で見る。その視線に男は憤慨し、怒りで言葉を詰まらせた。

 確かにカナタさんなら問題なく目の前の男を張り倒すことができるだろう。魔力も感じないし、身構えるその姿からも大した腕前だとは感じられないし気迫もない。ただ、問題は酒場に生じる被害のほうだ。すでに椅子や机のいくつかが犠牲になっている。


「はいはい、お客さんそれぐらいにしといてくださいねー」


 この場に似つかわしくないよく通る明るい声を響かせて、カナタさんの肩にぽんと手を置いたのはウエイトレスの少女。

 年はまだ成人したてといったぐらいか、私と同等ぐらいに小柄な彼女のくりくりとした目がカナタさんを見上げている。ふわふわの金のくせ毛が肩の上で揺れて、どことなく猫っぽい印象だ。

 ウエイトレスの少女はびしっと私を指差して、そのよく通る声で高らかに宣言した。


「そちらのお客さんたちも落ち着いてくださいね。じゃないと羊の皮をかぶった悪魔、ハルさんが黙っていませんよ!」

「ごふっ!?」


 ざわり、と周囲がざわめく。

 予想もしていなかった言葉に思わず食べていた食事を喉に詰まらせてむせる私の背中をヒナがさする。どうしてよりによってその呼び名かと涙目で少女を見ると、少女はぱちんとウインクして再びカナタさんたちに向き直った。


「彼女はこんな見た目でもAランクの凄腕冒険者です! 他の冒険者に悪魔と言わしめるその魔力、受けてみますか?」


 ぽかーん


 そう表現するしかない沈黙が流れる。

 私だけでなくヒナもコハクさんも、フードの下ではイオリまでもが少女の宣言に呆気にとられていた。カナタさんだけはこちらを振り返り必死に笑いを堪えている。


「彼女はこれからどんどん名が知られていくでしょう! 悪党にとってはまさに歩く危険物!」


 どうしよう、彼女を止めたいけれど関わりたくない。

 しかし観衆はお互いに顔を見合わせ、少女の言葉を疑いながらも少しづつ信じていっているようだった。


「彼女の通った後には悪の芽一つのこらないのです! そして彼女は伝説に……!!」


 いや、無理。そんな伝説になりたくない。

 こうやって変な噂が広まっていくんだとまるで他人事のように頭の片隅で感じていた。


「ハル、しっかりして!」


 コハクさんに肩を揺すぶられ正気に戻される。

 このまま現実逃避していては少女の言葉が真実にされかねないと、彼女を止めるべく立ち上がった。

 ちなみに我慢の限界を超えたカナタさんは涙を流して笑い転げている。


「それはさすがにちょっと大げさすぎるわ。そもそもそんな話誰に聞いたの?」

「自警団の人と一緒にグラストに行ったときにギルドで噂になってました! 最近一人でAランクまで上り詰めたすごい女冒険者がいるって。人相書きを見せてもらったのですぐわかりましたよ!」

「人相書きって……犯罪者っぽい響きだよね」


 コハクさんの呟きが私に追い打ちをかける。

 グラスト――つまり彼女は私が拠点にしているあの街を訪れたのだろう、しかも私がAランクに上がってからだというのだからここ数日の間に。

 確かに冒険者を目指すなら一人でAランクになるということに憧れるかもしれないが、彼女が口にした内容は憧れるようなものではない。それとも彼女が目指すものが世間から見れば間違った方向だからなのか。


「悪魔……」

「大人しそうな外見なのに悪魔か」

「俺は大丈夫だ。それほど悪いことはしていないからな」


 観衆が私にちらちらと窺うような視線を向け、ぼそぼそと小声で囁くように聞こえる野太い声が私の苛立ちを煽る。

 何かが吹っ切れそうだと思ったその時、隣に座るヒナが静かに立ち上がった。


「冒険者に興味があるの?」

「もちろん! 私、将来自警団に入りたいんです」

「それじゃあ街の治安を守るためにも目標は高くしないと。目指すならAランクじゃなくてこれぐらいがいいんじゃないかな」


 ヒナが少女の前に差し出したのは自分のギルドカード。私の持つ一般的なそれとは違い材質も色も違うそのカードはとても目を惹く。少女もめったにお目にかかれない、明らかに違うそのカードに目を輝かせた。


「SSS!? すごい、こんなのがあるんだ! やっぱり女性なのに一人でAランクになれる方は違いますね!」


 少女の声にカードが見えなかった観衆がどよめく。

 冒険者をしている私もそんなランクがあるなんてヒナに会うまで知らなかったし聞いた事すらなかったのだから当然だろう。

 彼女の場合、私が本当に一人でAランクになったことは疑っていないようだが、何故そんな結論に達したのかは不明だ。


「ちなみにその笑い転げている神官は、本気をだせばその男と普通に殴りあえる程度に強いんだよ。俺やそっちのフードもね。絡むなら覚悟してもらわないと」


 コハクさんはそう言うと軽い動作で飛び上がり、背後から近づいてきた男の頭に手をついてポンとその背後に降り立つと男の腕を捻りあげた。先ほどカナタさんに吹っ飛ばされたあの男が復活し、コハクさんの背後に回っていたのだ。

 ヒナやカナタさんが目立つので忘れがちだが、コハクさんは獣人でありその身体能力だけならば恐らくこの場の誰よりも高いだろう。


「くそっ、いい気になるなよ!」

「はいはいそこまで。はい失礼しますね、自警団ですよっと」


 酒場に軽い口調で入ってきた制服姿の男性は、コハクさんに突き出された男を受け取るとウエイトレスの少女に目を向ける。ちょうどカナタさんに絡んでいた男の一人がこの場から逃げ出そうと一歩踏み出したところだった。


「逃がしませんよー? 修理費出してもらわないといけませんしっ」


 少女はくるりと体を捻ると男の顎をすぱんと蹴り上げる。自警団になりたいというだけあって身体能力は高いらしく、その蹴りは吸い込まれるように男の顎に当たった。

 少女は倒れた男の襟首を掴んで引きずって自警団の男性に引き渡す。実際壊したのはカナタさんだが、お店の備品の修理費はこの男たちに請求されるらしい。


「それじゃあお兄ちゃんあとよろしく。私はまだバイトがあるから」

「はいはい、それではご協力ありがとうございましたー」


 事情徴収もなく、自警団の男性は男二人を引きずって酒場を後にする。

 多少の事情を聴かれると思っていたこちらとしてはちょっと拍子抜けだ。


「あ、最近この酒場にガラの悪い男が多いからってウエイトレス兼用心棒としてバイトしてるんです。何かあったらすぐ自警団を呼べるように手配してありましたから」

「そうか。でもあまり危ない真似はしちゃだめだよ?」

「はい! あ、握手してもらっていいですか?」

「もちろん、それぐらいなら」


 ウエイトレスの少女はヒナもあこがれの対象としたらしい。実際カードを見せただけで何もしていないのだが、SSSランクのカードの効果は絶大だ。


「悪魔のお姉さんのことも綺麗なお兄さんのことも、ちゃんとみんなに伝えておきますね!」

「それはちょっと遠慮したいなぁ」


 目を輝かせるウエイトレスの少女にヒナも苦笑を浮かべた。

 切実に、誤解を招きかねないような変なことをこれ以上口走らないでもらいたい。そしてただでさえ怪しい呼び名が省略されてより一層怪しさを増している。

 きらきらとしたその眼差しはヒナだけでなくカナタさんやコハクさん、そして私にも向けられているが怪しいフードのイオリは視界に入っていないようだ。これで怪しいフードの中身が勇者だと知れたらどうなるか考えてみたが――混沌とした未来しか見えなかった。


 酒場はその後、ヒナのギルドカードの話で持ちきりとなり羊の皮をかぶった悪魔は人々の興味を失ったようだ。

 ヒナの助けがなければ恥ずかしさで憤死していたかもしれないので一言お礼を伝えたのだが、


「騒がれるのって俺も苦手だからだよ」


 と言って、ヒナはにっこりと笑ったのだった。

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