21:本の中の世界
受け取った『深遠の魔道書』の表紙はは吸い込まれそうなほど深い黒でタイトルらしき文字はどこにも見当たらない。角の補強のための隅金の銀が黒以外の唯一の色だ。
「本を開くとこの場の全員が魔道書の中に引き込まれますから、覚悟してくださいね」
「本の中に? 面白そうだね」
表紙に手をかけかけた私を制するようにエリックさんが声をかける。
禁書と呼ばれる本にも色々なタイプがあるのだが、『クリムゾン』のようなその本自体が兵器となりうるものや、禁術などの危険な知識が記されたもの。他にも色々とあるのだが、『深遠の魔道書』は引き込まれタイプの禁書らしい。
「厄介なタイプよ。本ごとに現実に戻るための条件が決められていて、その条件を満たさないと戻ることができない――って、エリックさんはこの本を閲覧したことが?」
「もちろん危険だから見たことはないですよ。管理する者ですから記録としてどのタイプの禁書か知っているだけです。本来はその手の本の閲覧に立ち会うことも禁止されてますし」
「今回は立ち会う、と?」
「私がいれば恐らく脱出することだけなら可能ですから。ちょっと本の風通しがよくなりますけどね」
つまり最悪の事態を回避するために一緒についきてくれるということなのだろう。アエラさんのことがあるからなのだろうが、あれは仕事だし十分すぎるどころか過剰な報酬までもらってしまっている。恩義を感じているのだろうけど、エリックさんは割り切った対応が必要な立場がある人間だ。本当に、良くも悪くも甘い人だということだろう。
「――というのは建前で、私も興味あるんですよ。その本の内容に」
「わかりました、そういうことにしておきます。それじゃ、開きますよ?」
私の言葉にヒナとエリックさんが頷く。
きっとエリックさんのその言葉は恐らく半分が真実で半分が嘘。エリックさんの知識や腕前から考えれば、興味はあるだろうがだからといって危険を顧みず貪欲に知識を求めるような人間でないことは確かだ。どれだけ重要な資料であっても引き際を見極められなくては研究を完成させることはできない。そしてその引き際より先を調べるのは腕に自信のある冒険者の役目となるのだから。
エリックさんが私とヒナを失うには惜しい冒険者だと思ってくれたのだと前向きに解釈して、私は左手に本を乗せ突き出すように手を伸ばし深呼吸する。
意識を落ち着かせて左手にほんの僅かの魔力を込めると本は僅かに光を帯び、ふわり、と数センチほど浮き上がった。続けて本が開きパラパラとページがめくられると同時に本から切り離されるように飛び出したページが私たちの周りを旋回する。
次第に本や辺りを舞うページの帯びる光が増し、ある瞬間弾けるようにその光が溢れ私たちは光の洪水に飲み込まれた。
閉じた瞳の向こうで光が収まったのを感じ、ゆっくりと目を開く。そこにはほとんど光を感じることのできない闇が広がっていた。
私とエリックさんが魔力の光を生み出し、その二つの光に照らされてここが深い森の中であることがわかる。
「ここがあの本の中? 現実と変わらないみたいだけど」
「そうですよ。本の中ですが私たちは現実の世界と同じ状態でここに存在しています」
「ここは私たちにとっては現実と大差ない。けれど本の中の登場人物かに私たちの姿は見えない」
「ええ。厄介なことに、相手に認識されないだけで影響は受けます。例えば登場人物が攻撃すれば、それはこちらに届くんですよ」
それは魔術師である私や禁書の管理をするエリックさんにとっては常識といえることだが、剣士であるヒナにとってはなかなか知る機会もないのだろう。首を傾げるヒナに簡単に説明をするとヒナは顎に手を当て眉を寄せた。
「攻撃を防ぐことはできる?」
「できますが、本に記された内容に影響を及ぼすことはできません。例えば剣で切りつけられたのならばその衝撃は剣で受けることもできますが、ここで展開される話の中ではそのまま振り下ろされたことになります」
「自分の身は守れるけど登場人物を守ることはできないってこと?」
「そういうこと。私たちは自分の安全を確保しつつ、それと同時に本から脱出する方法も見つけないといけない」
影響を及ぼすことができないから、登場人物が殺されるような場面であったとしても私たちはただ見ていることしかできない。
こちらから影響を及ぼすことは出来ないのにこちらは本の中の影響を受けるのは理不尽ともいえるが、それ以上に得られる情報が大きいのがこの手の禁書の特徴でもある。それもすべてその情報を得るのに相応しい人間であるかを見極めるためだといわれているが、その真実は禁書を作り上げた人間にしかわからない。
「大抵の場合は本の内容を最後まで見る、というのが条件なのですが稀に本の中に隠された謎を解くといったものもありますね」
「へぇ」
「本の展開の中で重要な情報が見られるものや、謎を解くなどといった条件を満たした場合に重要な情報が記された場面を見ることができるものとか様々だけど、本から出る条件はその重要な情報を手に入れることっていうのがほとんどね」
「例外はありますが、影響を受けるということだけは共通していますのでそれだけは気をつけてください」
「了解」
まるでヒナの返事を待っていたかのように風が吹きぬけ、背景が組み立てたパズルが崩れるようにばらばらと剥がれ落ち風に流されていく。
すべての背景が消え去ると、場面はどこかのお城の広間だと思われる場所へと一変していた。
「こんな風に場面転換するんだ。面白いね」
「私たちは本の中に記されたことを読んでいるのと同じように体験しているだけだから。内容にもよるけれど、私たちが動ける範囲は決まっているの」
「ハルさん、ヒナタさん。どうやらここはアガスティアのお城みたいですよ」
すべてが新鮮に感じているらしいヒナはしきりに感心しているようだ。私も体験するのは初めてだが知識としては知っていたし、何より求める情報がどこにあるかわからないこともあり少し緊張していたのだと思う。
エリックさんの言葉で広間の奥にある王座の上を見上げると、そこには亡国であるアガスティアの国旗が掲げられていた。
「アガスティアって確か四百年以上前に滅んだ国だよね」
「ええ、魔王によって滅ぼされた国です」
暗黒の時代と呼ばれる百年に及ぶ暗い歴史の幕開けとなったのがアガスティアの滅亡。その理由は突如押し寄せてきた魔王軍によるものだと伝えられている。
「さすがに今はその時ではないようですが、この本に記されているのですからそう遠くない未来に……」
「……あの御伽噺に関係のある魔道書なんだから魔王が出てくるのは当然、か」
エリックさんは僅かに表情を歪め、ヒナは国旗を見つめたまま細く長く息を吐く。
村に伝わる御伽噺は村が出来た由来を伝えるものだが、あの場所に村が出来た理由は魔王が深く関わっている。
私たちが話している間にも場面は進み、アガスティアの各地で強力な魔物が現れたので騎士たちがその討伐に向かうその出立式の場面となっていた。
「ねぇねぇハル。あの騎士とお姫様、いい雰囲気だね」
「お姫様と騎士なんてお約束みたいなものでしょ」
「ほら、場面が変わった。二人はやっぱり俺たちみたいに恋人なんだ」
王座に座る王の横に立つお姫様は一人の騎士に熱い視線を向けていた。騎士はあからさまにお姫様に視線を向けることは無いが、目が合った瞬間やわらかく微笑む。ヒナの言うように二人がいい雰囲気であることは明らかだ。
再び場面が変わり、目の前に立つのは城の中庭のような場所の一角で密会するお姫様と騎士の二人。この二人が恋人であることは間違いないだろう。
「それにしても……確かアガスティアの姫は……」
エリックさんが言葉を濁すが、それは一般にも悲劇として語り継がれている有名な話だ。詳しくなくても名前ぐらいは聞いたことがある、そういう人物だ。
「とりあえず、本気で身を守らないとこの物語の最期までたどり着けないのは間違いないわね」
私の言葉に再びヒナとエリックさんが頷く。先ほどまでとは違い、二人とも真剣な表情だった。




