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13:近すぎる距離

 岩の壁は冷たく、火照った私の顔の熱を和らげてくれるようだった。けれどあの感触が消えることはなく、閉じた瞼の裏に浮かび上がる二人の姿。


「俺のところに来いよ」

「ハルがいてくれたら嬉しい……」


 二人の言葉がぐるぐると頭をめぐり、和らげられるよりも高い熱量が私の顔に集まる。

結婚しようと言われるより現実味がある言葉だったからなのか。

 それとも女の子だと思い込んではいたけれど幼馴染で面識のあるヒナとは違い、まだ知り合って日が浅すぎる二人から言われた言葉だからなのか。

 どちらにせよ二人の言葉に私が恐ろしく動揺しているのは紛れも無い事実で、自分の異性へ対する免疫が恐ろしく低いことを痛感させられる。


 カタリという小さな音に顔を上げ振り返ると、ヒナが徐に立ち上がりゆったりとした歩みで私との距離を縮めているところだった。

 先ほどのカナタさんとコハクさんのことがあったので思わず身を硬くする。けれどヒナが手を伸ばしたのは私の隣に立つきらきらした瞳で私を見上げている子供で、その子供を抱き上げると優しい笑顔を向けた。


「さぁ、そろそろ他の子供たちも起こして街へ向かおうか。

 もう少し休ませてあげたいけれど、ここじゃゆっくりと休めないだろうし」

「そうね、親御さんたちも心配してるでしょうし」

「……そうだね」


 カナタさんたちのことがあったからとはいえ、さすが自意識過剰だったらしい。ヒナの腕から降りた子供はパタパタと他の子供たちの眠っている元へと駆けていった。

 ほっと一息ついて、私も子供たちを起こしに向かったアエラさんの後に続く。


「ハル」


 呼び止めるヒナの声に振り返ると後ろ手を引かれて引き寄せられ、ヒナの腕はそのまま私の腰へと回り、私はその腕の中に捕らえられた。

 思わずアエラさんたちに視線を向けるが、寝床となっている場所はここから死角になっているのですでにその姿は見えないし、向こうからもこちらが見えない。

 この状態に気づいてはいないだろうけれど、それは同時に助けもないということだ。


「……な、に?」

「意識してくれてるの? 嬉しいな」


 ヒナに後ろから抱きしめられて密着しているのだから意識しないわけが無い。

 先ほどまでとは比べ物にならないほど真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて顔を伏せる。けれどヒナの手が私の顎に添えられて、いとも簡単に上を向かされてしまった。


「でもさっきカナタとコハクに噛み付かれたところが気になってるでしょ? 消毒もしておかなきゃね」


 ぐいとヒナの手に力が入り、顔だけ横を向かせられる。視界の淵に映るヒナの笑顔は妖艶で、さすがの私でもヒナが何をしようとしているのか瞬時に理解した。

 ……舌なめずりしていたし。 


「消毒の必要はな……むぐ!」

「すぐ終わるから少し静かにしててね、ハル」

「むぐーっ! むぐぐーっ!!」

「あ、大丈夫。ちゃんと手は洗ったからね」

「むぐもごーっ!!」


 ハルは私の顎をつかんでいる手の人差し指と中指を私の口の中に突っ込むというとんでもない行動に出た。おかげで私の口から発せられるのはもごもごといったくぐもった声だけ。

 必死で抵抗を試みるが、私を抱きしめるたった一本のヒナの腕さえ振りほどくことができなかった。いくら後ろから抱きしめられている形とはいえ、両手が自由に動くというのに。口を塞がれてしまっているので呪文も唱えることができない。


「ハル」


 耳元でヒナが私の名前を呼ぶ。

 ヒナの息が耳にかかって少しくすぐったい。


 ――ぴちゃり。


「――……っ!」


 耳に触れる暖かいものと響く水音、そしてぞくりとするような感覚。

 それはカナタさんに……その、甘噛みされたあたりを丹念になぞると同じようにちくりとした甘く痺れる小さな痛みを残す。


「ハル、次はこっち」


 ヒナは私を反対に向かせ再び私の耳元に顔を埋める。コハクさんは触れただけだったのだが右耳と同じように丹念に……された。


「はぅ……」


 やっと開放されてがっくりと膝を付いて脱力していると、私と視線を合わせるようにヒナが屈んで覗き込む。

 ばくばくと音をたてる心臓を抑えようと息を整え、けれど今の自分の顔を見られたくなくて顔を逸らす。


「あ、ごめん。ちょっとやりすぎちゃったみたいだね」

「……ちょっと?」


 くすくすと笑みをこぼすヒナ。

 間違いなくわざとヒナは私をからかったのだとわかるけれど、わかったからといって平気になるわけではない。


「そろそろ子供たちも起きてくるんじゃない?」


 ヒナは視線を寝室のほうへ向けたまま立ち上がり、私に向かって手を差し伸べる。私が少し躊躇いながらもその手を取ると、ヒナがぐいと手を引いた。

 思ったより強い力で手を引かれ、バランスを崩しよろけたところを再びヒナに抱きとめられる。


 先ほどとは違い今は向き合うように抱きしめられていた。

 さらりと千草色の髪が揺れ、その下から浅黄色の瞳がじっと私を見つめている。顔に今日一番の熱が集まるのを感じた。

 ゆっくりとヒナの顔が近づきヒナの柔らかい髪が私の頬に触れ、思わずぎゅっと目を閉じる。


「渡さないよ、誰にも」


 ヒナの呟きと柔らかく暖かいものが少しだけ頬に触れた感触。

 その後すぐにヒナは私から離れ、戻ってきたアエラさんと子供たちを笑顔で迎える。一方私はうるさいほどに鼓動する心臓の音に気づかれないようにと手で押さえ、恐ろしく真っ赤になっているであろう顔を再び壁につけて深呼吸を繰り返していた。




 私たちが洞窟を出て一時間ほどした頃、一体の魔物と遭遇した。

 犬に似ているが犬より一回り以上大きな体に血のように赤い瞳。鋭い牙の間からはぼたぼたと涎が流れ落ち、グルルと呻き声を上げながらこちらの様子を伺っている。


「嫌っ!」

「おかぁさん……」


 子供たちの悲鳴やすすり泣く声が上がるが、アエラさんが宥めているので怯えてはいるが逃げ出したりといった大きな混乱は免れている。


「ハル」

「ふっ、フレア・バーストっ!」


 私の突き出した両手の先に炎の球が生まれ、一気に目標に向かって飛んでいく。

 魔物も避けようとしたが逃れることは出来ず炎の球は魔物へと命中し、破裂した。飛び散る大小の炎。その場にはすでに魔物の姿はなく、炎によってすでに骨すら残らず燃え尽きている。


 はっきりいってこれは今の魔物に使う必要のないほど強力な呪文だ。

 何故そんな呪文を使ったのかと言えば、いくら魔物でも子供に倒したあとの姿を見せるのは酷だと思ったことと、あとはちょっとした八つ当たりである。


「ハル……」


 咎めるようなヒナの声。

飛 び散った炎が近くの木や草へと燃え移り、山火事へと発展しようとしていた。炎が破裂して飛び散る魔法なのだから当然といえば当然の結果。

 ……まぁちょっぴりやりすぎたのは認めるしかない。もちろんちゃんと対策はあるからこそ無茶をしたのだけれど。


「クラウド・バースト」


 続けて唱えた呪文でどこからともなく激しい雨が降り注ぐ。その雨により、あっという間に燃え移った火は消え去った。

 過去にどこぞの山を焼いてしまったという苦い経験から習得した対山火事用の呪文。


「さー、先を急ぐわよー」


 にこやかな笑顔を浮かべて振り返った私を、ヒナを含め全員がなんともいえない表情で見つめていた。

 ……何故。


 その後は特に何事もなく私たちは無事街へと戻ることができたのだった。

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