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【完結済】『魔女狩り』の世で平和に生きる。  作者: あずま微糖


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第2話 青紫色

※残酷描写が含まれます。苦手な方は区切り2.3間を飛ばすことをお勧めします。

「来ないで__!!」

 

 目の前にいるのは大口を開けて牙をぎらつかせる怪物だ。

 額に反り立つ角を生やしながら馬のような足を持ち、狼のような顔を持ち、サイのような体を毛皮で覆った怪物。

 ドシン、ドシンと巨体を運ぶ度に地面が揺れる。体は僕の3人分ぐらい…あまりにも勝てる見込みの無い相手だ。


「足が遅くて助かった…」


 小さい体は小回りが効く。この森で、木々の周りを旋回すれば遠ざけることはできる。しかし、木々を薙ぎ倒しながら進む怪物を撒くことはできなかった。

 木に背をつけながらしゃがみ込み、影に潜んで怪物の動向を窺う。


「おねがいおねがい…」


 声が漏れないよう口元を押さえて息を潜める。あまりの恐ろしさと状況の不可解さに不意に涙が込み上げてくる。

 怪物は辺りを見回しこちらを探しているようだ。腹を空かせているのだろうが、大口に呑み込まれご飯になるのは死んでも御免だった。


 なぜこのような鬼気迫る状況になっているのか__


 __時は数刻前に遡る。


* * * * * * * * * * * *


 鍛冶屋のおじさんから話を聞き、嫌な予感が胸内から込み上げてきた。

 『魔女』が現れた、その単語自体は知らない。だが聞いたことはあった。


 災厄の『魔女』、邪悪の『魔女』、奇怪な『魔女』。

 どれも難しい言葉だがこれだけは分かる。『魔女』はこわいのだと。皆がびくびくするのは、こわくて危ないからだと。

 幼い僕にもそう思えるのだから、兄であるミコトはもっとこわいだろう。

 

 __助けてあげないと。


 それだけが脳を占めて、気が付けば無我夢中に走り出していた。

 何ができる?きっとミコトは僕より賢い。強い。だがそれらは足を止める理由にはなり得なかった。

 もしもミコトがいなくなったらどうなる?『平和』が、無くなってしまうじゃないか。

 それが恐ろしくて土で雑に舗装された道を越え、森の中に入る。

 暗く澱み湿った空気が肺に入り込み、呼吸がし辛い。息が乱れているのも合わせて呼吸を阻害してくる。


「ミコト〜!どこにいるの!」


 声を上げて居場所を特定しようと試みる。返ってくる声は無い。

 おじいさんおばあさんからすれば産まれてまだ間もない小鹿のようなもの、その人生経験で言えばこの森は『やばい』のだ。

 奥に行くほどやばい、それだけが分かる。それだけが分かるからこそ怖い。分からなければ膝が震えることも無かっただろう。

 震えることも無視して足を前に前にと出し、奥深くへと入っていく。

 

「お願い…ミコト、けがしてないで」


 心からの呟き、瞳の奥から熱いものが込み上げてきて水色の瞳を濡らした。

 

 その呟きが聞こえたのか否か、草が触れ合う音が聞こえてくる。

 何かが擦れる音、地面が揺れるのを感じる。鳥がざわめき飛び立つ。でかい、すごくでかいものが来る。


「なに…?」


 恐る恐る音のする方へ目を向ける。まだ距離は遠い、だが走ってもいいものか?

 ゆっくりと動いた方がいいのか?野生動物ならどうだ、隠れ潜んで、もしも対峙すれば目を逸らすなと聞いたことがある。

 ならゆっくりが正解?しかし相手はちがう、動物じゃない。ならはやいが正解?


「っ…!」

 

 木が根元からへし折れ倒れる音がした。それほどの力、それだけの怪物。

 それならはやいが正解か、遠く遠く距離を取るように走り出した。


 __ここから最初に巻き戻る。


 走っても走っても湾曲と直進とでは進む距離が異なる。距離が開かない、息がし辛い、もう足が動かない。

 息を殺す。息を殺して耐え忍ぶ。


 ドシン、ドシン__


 気づくな、来るな、寄るな、視るな。


 __ドシン、ドシン


 ツキミと木を挟んで怪物がそこに立つ。

 大きな影が出来て運が味方しているようだった。__否、運が味方しているのなら緊迫した状況にはなっていない。

 

 怪物がこちら側を振り向く。


 心臓の音が煩く、聞こえてしまうんじゃないかと思い右手で口元を、左手で胸元を押さえた。

 小さいから食べてもお腹は満たせないだろう。そんな場違いなことがまだ思い浮かぶのだから大したものだと言いたい。


 そっと、潤んだ水色の瞳だけを怪物の方へ向ける__


__。


_____。


_______いた。


 そこに、いた。


 目と鼻の先に、いた。


 狼のような鼻が、涎を垂らす大きな口元が、そこにあった。

 空気が張り詰めるのを感じた。背筋に怖気が走るのが分かる。

 世界が遅く感じる、粘液が頭にかかるのを感じる。牙が真上にあるのを感じる。口が、周りにあるのを感じる。

 あぁだめだ、ここで、ここで__


 __死


* * * * * * * * * * * *


「こ、ここがどこって…」


 ここはどこなの、そう『記憶喪失』を伝えられた側はどう反応するのが正解なのか。まして相手は先刻会ったばかりだ、だが…嘘はつかなそうだと直感的に感じた。


「覚えてない、ここにいた…お腹すいて、たべものあった、……おこられた…」


 拙い言葉で話し出す少女、てんは後半にいくに連れ勢いが失われていった。怒られるのは良い経験では無いのだろう、きっと怖かったはずだ。


「ま、待て待て。そりゃ怒られるだろ、金を払わずに食べようとしたのか?」


「…?うん」


「お前なぁ…何で馬車を知ってて金を知らないんだよ」


 呆れてものも言えないとはこのことだ。世間知らずなのか知っているのかどちらかにして欲しい。

 文字通り頭を抱えて少女を見る。

 悪気が一ミリもなく首を傾げている。紅い髪が垂れ揺れている。純粋な赤い瞳が困惑に染まっていた。

 その様子に頭の痛いものを感じながら溜息を吐くと


「いいか?金を出さず商品を買わないのは盗みだ。わるいこと。これを出さなきゃいけないんだ」


「わるいこと…」


 前者少女に向けて指を差し、注意する。後半鞄から10トフミを取り出して少女に見せた。

 人物の彫られた銀貨だ。ずっと町で使い回されているからか欠けていたり変色しているが、お金だ。

 少女はそのお金を身を乗り出して目に焼き付けるかのように注意深く見た。

 その妙に真剣な様子にどんな記憶喪失なんだよと口に出してしまいたかったが良心が制した。


「とにかく、だ。この町ではその髪は隠した方がいい」


「どうして?」


「…町の連中は色に厳しいんだ、てんのその色は見た目だけで嫌われる」


 自身の前髪を弄りながら少女を見れずに目を逸らす。産まれ育ったこちらからすれば常識だが、少女は違うだろう。

 それに、その髪の色は……。


「ってかてん!これ、これ着とけよ」


 上から下へと視線移動し、ふと気がついたものに顔に血が上ってくるのを感じた。

 ほぼ下着同然じゃないか、こんな少女を迫害するなんて町の連中もイカれてるぞ、と思うほどに薄着。

 ケープを乱暴に脱いでは少女に投げかけ、見ないように顔を背けた。


「あぅ、いいの?」


「着ろ、俺が困る」


 ケープを両手で広げて見る少女、遠慮しているような声色をしているのが分かり強めの物言いで言い切った。


「ボロいが、無いよりはマシだろ…」


 厄介者を拾ったな、と思わざるを得ない少女に今一度嘆息した。

 少女の方を窺うように見ると、ケープは少女の体型には大きいのか体のほとんどを覆っており、フードを被れば顔ごと隠れてしまいそうな勢いだったが良いだろう。

 母に話せば見繕ってくれるはずだ。そう思い少女に話そうとしたその時


 __手首を少女から出るとは思えない強さで引かれ、思わず体制を崩す。


「うわっ」

「しっ」


 肩を掴んで支えてくれる少女に口を小さな掌で塞がれ、異様な雰囲気に辺りを見回した。

 空気が湿っていく。呼吸が阻害される感覚がある。

 

 大丈夫だ、と口を塞ぐ手に手を重ねて優しく剥がし頷く。

 少女は信じてくれたのか半歩離れて辺りを警戒しているようだ。

 

 __地面が揺れている?


 葉が擦れ騒めく。鳥が危機を察知して飛び立っていく。動物が遠ざかり、辺りから生きる者が身を引いていく。


「なんだ…?」


「魔物」


「魔物…?」


 相手にしか聞こえない声量でやり取りを交わす。

 魔物、とはなんなのか。

 少女はなぜそれを知っているのか。

 しかし今はそんなことどうでもいい、とにかく切り抜ける算段を立てなくては。


「いい、ミコト。てん、あの魔物をたおす、おわれてる人、ミコト救う」


 少女は自身を指さした後魔物がいるであろう方向を指差す。

 こちらを指さして、魔物の前の方面を指さした。

 冷静な判断と言動に呆気にとられるが、すぐにそれを否定した。


「なに言ってんだ!てんが倒す?あれを?無理に決まって…」

「しっ」


 思わず出た語気の強い発言に人差し指を立て制止する。

 それから少女は、桃の可愛らしい口元を綻ばせて


「ミコト、救う」


 と、制してみせたのだ。


* * * * * * * * * * * *


「大丈夫なんだろうなあいつ…」


 走りながら不安に思う胸中を押さえて独り言ちた。

 言い切って覆さないものだから信じるしかなかった。

 それに、何故か少女には説得力があった。なぜそう思えたのかは分からないが、自身の勘を信じてみることにした。

 魔物が誰かを追っていることに少女は気づいていた、こちらは何も見えなかったのに。


 魔物討伐作戦の全貌はこうだ。


「ミコト、先に救う。後、てんがたおす。嬉しいおわり。」


 らしい。作戦と言うより命令だが今は置いておこう。後で問い詰めよう。

 そう思いながら走っていくに当たって空気の淀みを深く感じられた。

 魔物の出す空気の淀み、その正体も少女は知っているのだろうか?問うことが一つ増えた。


 物陰から物陰へと走りながら追いかけられている人物に目を向ける。


「__ツキミ?」


 なぜあいつがここに。

 今の時間は家で家事をしているはずだ。


 見間違うはずがない、弟だ。大事で大切な弟だ。それに、ここまで綺麗な白髪はツキミしかいない。

 正直生半可な気持ちで挑んでいた。なるようになると。

 しかし、相手がツキミなら違う。命を賭してでも守らなければ兄として面目が立たないだろう。


 奥歯を食いしばり拳を固める。

 少女はこちらとは反対、挟み込む形で援護してくれる。人命救助が優先だと言うことだろう、大賛成だ。

 物陰に潜むツキミを目で捉えながらバレないよう一歩、一歩と踏み込んでいく。

 魔物は段々と近づいていく、こちらが近づくよりも速く近づいていく。

 巨体の一歩とこちらの一歩では差が大きすぎる。バレても走らなければ間に合わないだろう。


 __その時だった。


「ツキミ__!」


 あまりに近過ぎる。走って間に合うかどうか、際どいラインだろう。

 否、間に合う間に合わないじゃないだろ。

 間に合わせる、それだけだ。


 __バクンッ、と音が聞こえた気がした。


 すぐ側で大口が閉じられる音、歯と歯が噛み合う音、魔物の唾液が辺りに飛び散り葉にかかる。

 赤い__赤黒い血が目の前に散った。

 飛沫が如く、花が開かれるかの如く、血が迸った。


「あ”ぁ”ぁぁっ__!!」


「ミ…ミコト…?!」


 間に合わなかった、だが腕を犠牲にすれば話しは別だ。

 先に腕を噛ませた後ツキミを押し倒し、馬乗りになるような形で護っている。

 腕の骨が軋み、歯が食込み、千切らんとする勢いで噛みつかれている。

 血液が腕を伝って垂れ、ミコトを赤黒く染めていく。


 ミコトを守るためならば腕の一本や二本、くれてやる。

 強い意志で歯を食い縛り耐えてみせる。

 片腕を噛ませ、もう片方の腕で魔物の鼻やら口周りを押さえ微力ながらに抵抗する。

 まだか、少女は__てんはまだなのか。


「ミ、コト…ミコト!や、やめて!」


 ツキミは茫然と目の前の景色を眺めるだけだったが、足の間から無理矢理に起き上がり、魔物を押すのを手伝っている。

 子供二人で押してもビクともしない、このまま食いちぎられそうだ。

 

 冷や汗が額を伝い、痛みに脳が震える。

 噛まれた部位が熱く、暑い。全身が気持ち悪く濡れる。


「い”っ、ぁぁあ”ああッ!」


 __このまま食い千切られる。


 そう、確信した時だった


「__わるいこと。」


 刹那、少女の一声で目の前が爆ぜた。


 魔物の毛皮の皮膚が膨れ上がり、青紫の血液がそこから耐えられんとばかりに爆散する。

 血が雨のように降り注ぎ辺りを、頭からてんやツミキ、ミコトを濡らす。

 骨や筋肉に守られていた内臓が顕になり、地面に横たえられる。小腸が、大腸が、腎臓が、心臓が、脳が、床に溶けるように拡がった。

 魔物にも人間と同じ部位があるのだと、場違いに思った。


 途端、鼻腔を劈く生臭く血腥い香りが辺りに立ち込める。

 魔物であった場所から湯気が立ち込め、熱を放出していた。


「うっ…おぇえ、」


 ツキミには耐えられまい。このような阿鼻叫喚な惨状は。

 込み上げてくる気持ち悪さ、胃酸と朝ご飯をミコトとは反対側にぶち撒ける。

 正直吐いてしまいたかった。だが、それは叶わない。

 兄は強く在るべきなのだから。


「怖かったな、ツキミ」


 手助けするように背中を撫で、慰める。

 気休めにしかならないかもしれないが、それでも言葉を掛け続けた。


「大丈夫だ、もう…大丈夫だ。」


 そう、言い聞かせるように大丈夫、大丈夫と。


* * * * * * * * * * * *


 池が青紫色に染まっていく。

 蛍の光を反射して光っていた池は、もはや光を映らせられないほどに濁ってしまっていた。


「__聞いても、いいか」


 服から池に飛び込んだため、3人ともびしょ濡れだった。

 ツキミはあれから張り詰めていた糸が途切れ、眠っている。

 腰まで伸びる紅髪を絞っている少女に向き直り、問いかける。


「あれは…さっきのは、何だったんだ」


 思い出したくもない、血腥い地獄絵図。

 あんな惨状を実現させた少女の一声。


「…ミコト、救う。てん、たおす。」


 それをやっただけだと言わんばかりだった。目の前の少女が、可愛らしいと思っていた少女に恐怖心を抱いた。

 こいつは…何者なのか。人間なのか?もしくは__


「お、お前は…『魔女』、なのか?」


「てん…わからない、魔女、ちがう。」


「なら…ならなんなんだ、アレは、なんなんだ?お前は、どうしてそんなこと知ってる、記憶喪失だってのも…嘘じゃないのか?」


 現状を否定したくて、見たものを否定したくて顔を覆う。立ち上げていた髪の毛も水の圧力で垂れ下がり、鬱陶しいほど目に掛かる。これは水なのか涙なのか、わからないから丁度いいと思った。

 声が震えているだろうか、情けないだろうか、惨めだろうか。


「嘘…じゃない、覚えてない、てんは、てんってこと。魔物は、魔物ってこと、覚えてる。てんは…助けたい。あなたたち、助けたい。嘘、じゃない…」


 俯きながら拙くとも必死に繰り出される言葉。

 それが…今は信用できなくて。


「なんなんだよお前は…助けたいって、信じられる訳ねえだろうが…俺には、守るものがある。お前から…守る……。」


 何が正しくて何が間違いなのか。最早わからない。しかし、弟だけは…守る。それだけは間違いなかった。


 誰から守るのか、それだけが分からなかった。


「ミコト…しんじて、てん、守る。魔物から、守る。みんなから、守る。てんは…」


「信じるもなにもあんなの見せられて無理に決まってんだろうが!!」


 少女は俯いたままこちらに手を伸ばしてくる。 

 それを感情のままに振り払えば、掌の隙間から少女の顔を見た。

 __黒い、闇のような、口から上がもう見えなくて

 その光景に目を見開けば嫌に頭が冷えて


「っ…ごめん、だが…もう、無理なんだ。知ってる、助けてくれたこと…守ってくれたこと、だけどそれとこれとは違うんだ。」


「てんは…」


「もう関わるな」


 知っていた、少女が助けようとしてああしたことは。

 知っていた、少女が守ろうとしてくれたことは。

 少女に触れられた温もりが、少女の香りが、そう心から主張していたから。

 

 だがもうそういう次元ではない。

 人ならざる力、それに恐怖するのは当然じゃないのか?

 あの力がもし、こちらに向いたら__。


 だからもう二度と、会いたくなかった。


「ごめん…頼む。許して欲しい…」


 だからもう二度と、話したくなかった。

 から、少女に向けて頭を下げた。


「……」


 見る勇気など無かった。見たら心が割れそうな気がして。

 良心が、漏れてしまいそうな気がして。


「……ごめん、ね」


 地面が、円状に色が変わった。

 上から落ちてくる水滴が地面を濡らしていた。

 震え、弱く、鈴のような声は今にも消えてしまいそうで。


 そう言うと少女は背を向けて歩き出した。

 歩きにくそうなケープを見に纏い、フードを深く深く被り、歩いていった。


 名残惜しいとかそういうことでは無い、ただそうするべきだと思って遠くなる背中を眺めていた。


 見えなくなるまで、ずっと眺めていた。


* * * * * * * * * * * *


 眠っているミコトの傍に腰を下ろす。

 片膝を立て、ふと空を見上げた。


__綺麗だな


 いつの間にか陽は傾き、夜になっていたようだ。

 木々の隙間、池から真上には満天の星空が存在しており酷く輝いていた。


「母さんにも心配かけちまうな…」


 蹲るように顔を伏せる。

 まだ14にもなっていない子供には耐え難く、守るものがあるからこそ逃げられない。

 

「…マナ…」


 ふと顔を上げ掌を出してみる。何も起こらない。

 『魔女』というものを知っていた。残酷なものではなく、綺麗な魔女を知っていた。

 しかしあれは…あの子は…


「いいや、辞めよう…もう、終わったことだ」


 思考を辞めて隣に寝ているミコトを見る。顔色が悪い、きっとお腹も空いている。

 平和の象徴のようなこの子があんな惨状受け入れられるはずがなかった。そっと目にかかる髪を退ける。普段センターパートにしている前髪は、俺を真似てのことらしい。


「真っ直ぐな髪なんだから、そのまま下ろせばいいものを…」


 ふっ、と口元を緩ませた。楽しい思い出だ、『平和』で退屈な日常。

 

「なあ、ツキミ…母さんは畑仕事を張り切り過ぎて野菜を枯れさせたことがあったな」


 母は魔女だ。そのため常にマナを使う。


「料理をすればなんの材料でも美味くて…手伝うことなんて食器を片付けるくらいだ」


 魔女は『目的』に対して常にマナを使う。畑を耕す、水をやる、料理をする、掃除する…そんな『目的』。


「寝相が悪くて…同じベッドで寝ればよく蹴落とされたっけ」


 しかしマナは生命力そのものだ。『目的』に常に使っていれば無くなってしまう。

 人間にもマナがある、排出する装置が無いだけだ。


「ずっと寝てるんだから、寝相の練習でもすればいいのにな…」


 マナは減れば眠気を誘い、睡眠によって回復する。

 人間が活動し、眠くなるのはマナが起きている間に減少しているからだ。体を動かす、手を動かす、そんな些細な活動にマナは微々たるものだが減っている。

 魔女と違うのはマナを具現化するほど装置が発達していないこと。


「ツキミは家事が大好きだよな、すぐ綺麗にして…お前は気づいてないだろうけど」


 魔女は一日の大半を寝て過ごす。『目的』にマナを使い、減少するため。

 幼い頃はそうでは無いが、成長するにあたり貯蔵量が徐々に減っていく。そうして、老いていけばいずれ植物状態になり死に至る。


「お前と俺とじゃ…違うんだよな」


 だから魔女と人間の寿命は異なる。

 魔女は『目的』を完璧にこなせられるが、その分早く死んでしまう。


「何が邪悪だ、くそったれ…」


 きっとツキミも無意識に、逃げる時にマナを使っていたはずだ。だって、そうじゃなきゃ腕を噛ませることさえ間に合わなかったから。

 時間がゆっくりに見えたのは、それは__


「お前の力だよ、ツキミ」


 見てしまった。噛まれる寸前に魔物が制止__否、動きが遅くなっていたのを。

 あれが魔法。祝福にもなり、凶器にもなり得る魔法だった。


「流石に俺も眠いな…」


 噛まれた腕には服の裾を千切って包帯代わりにしている。起きたらきっと、母さんが治すんだろうな…と思いながら雑な止血をしていた。

 しかし失血分は戻らないため貧血状態だった。


「うるさいよな…ごめ…ん…」


 喋っていなければやってられなかった。

 楽しいことを思い出して奮い立たせなければ壊れてしまいそうだったから。考えるべきことを誤魔化して、眠気に身を任せたい。


 段々と狭まる視界に、緩慢になっていく思考に身を委ねて、そのまま深い眠りへと落ちていった。


* * * * * * * * * * * *


「__寒っ!」


 思わず肩を抱いて身震いする。頭からつま先まで全身濡れていたのだ、常人なら風邪をひいているに違いない。だがしかし、ミコトは風邪をひかない。それは何故か、気合いだ。


「よし…まずツキミを連れて町に戻る、そんで母さんに叱られる。我ながら完璧だ」


 仁王立ちして肘を抱きながら何度も頷く。ポジティブという他ない様子に心配している瞳があった。澄んだ湖のように、傍にある池とは断じて異なる綺麗な水色の瞳だ。


「ねえミコト、帰り道分かるの?」


 土を払いながら、払っても染み付いて取れはしないが動作だけしながらミコトの方を見て首を傾げる。

 昨日の惨事はすっかり忘却してしまいたかったがそうはいかなかった。脳から離れずどす黒くへばりついている。今も思い出せば吐いてしまいそうだが、出す物もないので辞めておいた。


「んー…そうだな、この池とは反対側ってことは分かるが、真っ直ぐ歩いて着くのかどうかだな」


 首を捻り疑念する。ここまでは無我夢中に走って来ていたため道順や道標などは記憶に無かった。ただツキミが来れたと言うことはそれなりに真っ直ぐな筈だ。


「とりあえず止まってても進まねぇし、歩いてみよう」


 紺色の瞳を細めて屈託なく笑いかける。ツキミはその表情に心にちくりとしたものを感じたが、端に寄せておいた。

 ツキミはミコトのその表情をよく知っていた。熱がある時、どこかケガして痛い時、何かを無視して我慢する時にその表情をするのだと。

 知っていたからこそ何も言えなかった。


「うん、ミコトについて行くね」


 後ろからそっと小さく子供らしい手を出してミコトと手を繋ぐ。ミコトはそれを見て嬉しそうに笑って見せた。

 __あぁ、『平和』だな。そう思った。


「よし、冒険の始まりだ」


 ツキミと繋いだ手を勢い良く真上に掲げる。冒険、という言葉に男の子は弱い。その単語を聞くだけで好奇心が擽られた。なんでも出来そうな、無敵状態だ。


「初めてだね、ミコトとこうやって二人きりで遠出するの」


「確かに、ずっと町か家かだったもんな」


 繋いだ手と手を前後に揺すりながらまるで遠足のように歩く。他愛もない会話を交わし、笑い合い、思い出話に花を咲かせる。


「ミコトはどうして村のことを町って言うの?」


「んー…そうだな」


 『色主義』の村、あれを町と言うには狭過ぎる。人は数十人しか居らず、子供は成長すれば都市へ出掛けていく。

 賢いミコトならそんなこと旧知の事実だ。だがずっと、村と町という単語を知ってからずっと、村を『町』と呼び続けているのだ。

 折角の二人きりの遠出だ、どんなことでも聞けるような気がした。


「俺らからすれば、村は町で、世界だろ?都市に出たことも無いし…だから俺は言葉だけでも広い世界に行きたいんだ」


 声を弾ませながら話すミコトは、裏腹に寂しく感じられた。

 産まれてこの方村から外へは出たことがない。見たことも無いし、こうやって森の中へ入ることさえ初体験だった。

 母が以前どこへいたのかも、あの我が家を建てたという父が生きているのかどうかさえも分からなかった。僕らは分からないことだらけだから、言葉だけでも広くというミコトの発言は憐憫に値するだろう。


「ツキミは、もしこの町から出たらどうしたい?自由で、何でも出来て、何者にも縛られない。そんな経験が出来たらツキミは何がしたいんだ?」


 歩く足を止めずにミコトは間髪入れずに問い掛ける。

 町から出たら…そう考えたことが無いでも無かった。だが今が『平和』で、例えそれが仮初や絵空事だとしても幸せだった。もちろん、世間はもっと広大だと知っていた。絵本を読んでも、図鑑を見ても満たされることの無い探究心。叶うなら家族とそれを満たしたかったんだ。


「目でいろんな動物を見て…触って。お母さんとミコトと一緒に色んなところに行きたい。馬車にも乗って、お城とかも見てみたい。別の国にも行って世界中を見てみたいな…ミコトは?」


 もしも町から出たとしたら…何がしたいんだろう。この村は狭い。凄く凄く狭い。だがミコトとお母さんがいるだけで幸せだった、だから外を考える事は少なかった。

 だがもしもが叶うのなら、星を探求したかった。夜空に瞬く星は誰にも平等で、公平で、キラキラと輝いていて。

 真夜中に見る家族との夜空が本当に本当に心底綺麗だったから。


「俺もミコトとお母さんと一緒に外に出たい。それで…それで、星を見たい。本には無かったいろんな星をこの目で見てみたい。流れ星や流星群、きっと一緒に見れたらすごく綺麗だ」


 将来の話、叶うか分からない話、それでも話す事は自由だ。誰にも制する事など不可能。

 瞳を期待で膨らませ、未来を語る。


 そんなことを話している内に村が見えてきていた。

 森から拓けた大地へと移り変って行く。以前とは違う、話せたからこその胸の空いた感覚。期待感、好奇心、世界が煌めいて見えるようだった。


 そうだ、家に帰ったらこの話を母さんの前で話そう。きっと母さんも賛同して、村を出ようと言ってくれる筈だ。

 まだ動ける内に沢山のところに行って思い出を作る。楽しい思い出で溢れたらきっと、もう悲しくないから__


 __世間の目は許さなかった。


 湿った空気から清涼感のある開放的な空気へと変わっていく途中、村が見えてきていた。

 村が、見えてきていた。

 村が、見えて__。


 __村が、牙を剥いていた。


 敵意を、顕にしていた。


「来たぞ!!」


「__っ!」


 握り合う手に力が入る。油断していた、あの騒動の後だ、村も何かしらの対策を練ってくるだろうと思っていた。しかし、少女の存在と魔物、失血による思考力低下に意識を奪われてのこのこと歩いてきてしまった。

 ツキミだけは何としても守らなければならない。ツキミは何も悪くないのだから。ただ俺を案じて捜しに来てくれた、『平和』の象徴を。


「ミコト!!逃げよう!」


 村の連中の意図は見え透いていた。きっと狙いは『魔女』。その為に何時からか待ち伏せていたのだろう。獲物を狩る肉食動物のように、待ち伏せて待ち伏せて、時を見誤らないように。


 今の俺にできる事はただ一つ__


「ツキミを解放する!!」


 そう、愛しい声を無視して声高らかに告げる事だった。

次回は最終回です。

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