川・ラムネ
昭和四十八年八月二十二日 水曜日 晴れ間
八月の半ばを過ぎると、山の仕事は草刈りに変わった。
草刈り鎌は、濱田さんの古い鎌だった。柄の長さは、濱田さんの背ではなく、私の背に合わせてあった。刃の根元には、納屋の番号が、墨で書いてあった。
濱田さんに連れられ、私は畦の草を刈った。腕は日に焼け、前腕の腕時計のあとが白いまま残った。
腕時計の白い跡は、谷の日照の、証明書だった。証明書は、腕の上で、日ごとに更新された。
刈る十回に一回、私は、公式を頭の中で唱えた。唱え終わる頃には、鎌は、次の束に差しかかっていた。
体は、どんどん谷のものにされていった。それは、悪い気分ではなかった。
草刈りのあいだ、日は、少しずつ、秋に傾いていた。傾きは、影の長さで、教えられた。
昼は、美雪の握ったおにぎりを、畦道で食べた。梅干しの芯は、冷めても、酸っぱかった。草汁の匂いのする手で、おにぎりは、一段と米の味がした。
おにぎりを食べた畦道では、トンボが、低く飛んでいた。赤とんぼは、まだ少なかった。夏の終わりの、先触れだった。
午後、私は一人で川に向かった。美雪は、帰りに買い物があると言っていた。
行商の時間割に載っていない場所では、谷の時間は、ゆるやかに流れた。ゆるやかさは、時計のない時間の、名札だった。
夏の川は、解禁になって、初めて岸に人が戻った。私は、人のいない岸へ向かった。
解禁の川は、大人の監視が、薄かった。監視の薄さは、谷の、夏の特別休暇だった。
川岸の葦は、まだ青かった。葦の穂は、秋の、先遣隊だった。
吉野川の水は、夕立のあとで、まだ少し濁っていた。
川沿いの道を下ると、水の音が深くなった。急に、深くなった。
淵だった。深い緑の、椀のような淵だった。
淵の深い緑は、木々の緑とは、系統が違っていた。深い緑は、光を、一度余計に跳ね返していた。
淵の上では、雲の影が、一日に何度も、水の色を、書き換えていた。
谷の川は、泳ぐ場所と、泳がせない場所とが、はっきり分かれていた。かっぱ淵は、後者の、いちばん奥にあった。
淵の縁の草は、根元から、湿っていた。草は、淵の、呼び込み係だった。
川の石は、長いあいだ、水に座っていた。石の座り方は、丸く、静かで、誰も寄せ付けない所作だった。
谷では、淵には、かっぱが棲むと言う。それは、浅いところの話ではなく、深いところの、大人の話だった。
流れは淵の手前で速くなり、淵の中では、音さえ消えていた。水が、下へ引っ張られているように見えた。
泳ぐ場所には、見えなかった。待つ場所に見えた。何かが、何かを。
私は、淵に、石を落とした。石は、音もなく、沈んだ。淵は、落としたものを、貸しにする。
淵の底は、天の、いちばん低いところに、似ていた。底は、光の届かない、畳みの下の世界だった。
私は、淵の縁から三歩下がった。何も起きなかった。けれど、三歩だけは、下がっておいた。
三歩の距離は、淵との、取り決めだった。三歩であれば、淵も、私を、客人として、扱った。
上流の浅瀬で足を浸した。冷たさは、骨まで届いた。夏の冷たさは、冬より正直だった。
帰り道、飴屋のトラックが来た。「あめー、ラムネー」スピーカーの声は、豆腐屋と同じ割れ方だった。
運転手の腰には、栓抜きが下がっていた。栓抜きの音は、ラムネの、前奏曲だった。
トラックの荷台には、ビンの並ぶ箱と、色つきの飴の瓶が、日に光っていた。
ビンの旅は、谷の、小さな流通だった。空き瓶は、洗って、また、トラックに戻る。
美雪が、トラックの前に立っていた。買い物とは、これだったのか。
「ふたつください」と美雪。わらの束に包まれたラムネが二本、差し出された。
買い物とは、必要なものを買うことではなかった。隣にいる者の、喉の渇きを、知っていることだった。
美雪は、一本を私に差し出した。言葉はなかった。受け取る言葉も、私にはなかった。
なかったのではない。ある言葉は、喉の、いちばん奥に、しまってあった。しまった理由は、まだ、分からなかった。
土手に腰を下ろして、ラムネを開けた。ガラスの玉を押し込むと、泡が音を立てて上がってきた。
一口飲んで、甘さと冷たさで頭が醒めた。夏の味は、砂糖と炭酸でできていた。
泡は、ノドを抜けるとき、軽く、殴った。夏は、甘い暴力だった。
二本のラムネは、同じ速さで、減っていった。並んで減る速さは、谷の、いちばん速い対話だった。
美雪は、飲むときだけ、眉を少し上げていた。飲み終わると、玉が瓶の底でカランと鳴った。
土手の草は、ラムネの甘さを知らなかった。草の上に座ると、夏の匂いが、砂糖と炭酸の下から、湧き上がってきた。
あの顔は、私の辞典の、三番目の頁に収められた。
空き瓶を、軽く振ってみた。ガラスの玉が、瓶の中で、カラン、コロンと鳴った。澄んだ、小さな音だった。
振るのをやめても、指が覚えていた。その音を、もう一度、と玉を取り出し、光に透かした。玉の中に、小さな虹がいた。机の引き出しに入れた。捨てる理由が、見つからなかっただけだ。
ビー玉の虹は、三日目に消えた。虹は、引き出しの暗がりのなかで、静かに退職した。
その引き出しは、ミシンの白い布でも、文机の手垢でもない、私だけの領土だった。谷のなかで最初の、私だけの場所だった。
かっぱ淵は、今日から、谷の地図に加わった。名前のある場所は、いつからそこにあったのか分からなくなる。
「かっぱ」の字は、いつか、誰かに訊こうと思った。訊く相手は、いつのまにか、決まっていた。
夜、雨戸を閉める。奥の四枚は、いつもの仕事だった。
「今日、川に行きました」と私が言うと、美雪は、板の手を止めなかった。「近づきすぎないでくださいね」と言った。
淵のことか、私のことか。分からなかった。聞き返すことは、できなかった。
「くださいね」の柔らかさは、命令の、谷の方言だった。美雪の標準語は、ときどき、谷に、借りを返す。
その言葉は、淵への警告でもあったし、彼女自身への警告でもあった。どちらへも、届いていた。
夜、川の音は、峠を越えて、雨戸のすきままで届いていた。淵の音だけは、届かなかった。淵は、音を、自分のなかに仕舞い込んでいた。
夜、教科書の予習をした。頁の端で、ビー玉の音が、時々、私の読みを、訂正した。
梅雨は、とうに明けていた。けれど、淵の水は、まだ満ちていた。




