まりあさんは気付いている
恋を自覚したからといって。
急に何かが変わるわけではなかった。
翌朝、私は普通に起きた。普通に学校へ行った。普通に授業を受けた。
世界は何も変わらない。
ただ、書道教室の日が少し楽しみになった。
それだけだった。
その「それだけ」が思ったより大きかった。
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「有紗」
「なに」
「顔がにやけてる」
美咲だった。
「にやけてない」
「にやけてる」
最近このやり取りが増えている。
「ちなみに」
美咲が聞く。
「進展は?」
進展。
何もない。
告白もしていない。LINEも知らない。
「ない」
「ないの?」
「ない」
美咲が少し考える。
「じゃあ何が楽しくてにやけてるの?」
私は答えに詰まった。
何が楽しいのだろう。
会うこと。話すこと。それだけ。
でも、それだけで十分楽しかった。
「片想いってそんなに楽しいものだったっけ。忘れちゃったわ」
失礼である。
その週末、私はまた晴人お兄ちゃんたちの家にいた。
もはや定期訪問である。
「有紗ちゃん」
まりあさんがケーキを切りながら言った。
「最近楽しいことあった?」
なぜそんな質問を。
「べ、別に」
声が裏返った。
まりあさんがにこにこしている。
晴人お兄ちゃんも見ている。
非常に居心地が悪い。
「そう?」
まりあさんは微笑む。
「なんか最近雰囲気違うなって」
気付いている。
私は助けを求めて晴人お兄ちゃんを見る。
「僕は全然分からない」
役に立たなかった。
「でしょうね」
夫への信頼が低い。
「晴人くん、女の子と無自覚にデートしてたし」
「え?」
私は食いついた。
「どういうことですか」
「やめなよぉ」
晴人お兄ちゃんが嫌そうな顔をする。
「大学の時ね」
まりあさんが楽しそうに話し始める。
「女の子と二人で映画行って」
「うん」
「ご飯行って」
「うん」
「イルミネーション見に行って」
「うん」
「帰ってきて『友達と遊んできた』って言ってた」
私は吹き出した。
「違うんだよぉ」
晴人お兄ちゃんが抗議する。
「だって相手から何も言われなかったし」
「普通そこまでしたら好きだってわかるしデート以外の何物でもない」
まりあさんが言う。
私もそう思う。
「結果どうなったんですか?」
「フェードアウト」
悲しい。
あまりにも悲しい。
「その子可哀想」
「ね」
まりあさんが頷く。
「だからね」
急にこちらを見る。
「世の中にはね」
「はい」
「好意に気付かない男性が存在するの」
「はい」
「信じられないくらい」
隣で晴人お兄ちゃんが紅茶を飲んでいる。
まるで他人事のような顔だった。
「好きなら、ちゃんと伝えなきゃダメ」
なぜそんな話になる。
まだ何も言っていない。
何も相談していない。
「私、別に」
「うん」
「好きな人とか」
「うん」
「いませんし」
まりあさんが微笑んだ。
ただ微笑んでいる。
完全にバレていると確信した。
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帰り道、私は駅へ向かいながら考えていた。
いつか告白する日が来るのだろうか。
想像しただけで胃が痛い。
無理である。
絶対無理。
私にはそんな勇気はない。
だが、もし何も言わなければ、大学時代の晴人お兄ちゃんの相手みたいに何も始まらず終わることもあるのだろう。
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その夜、ベッドの中でスマホを見つめる。
一行だけメモを残した。
【好きなだけじゃ、伝わらないらしい】
枕に顔をうずめた。
まだ先の話だ。
たぶん。




