アスター
ヒョウガに案内されながら、俺達は影の村の中を歩いていた。
黒い天井に覆われた村。外からの光を一切通さないその空間では、家々の前に置かれた灯りだけが、ぼんやりと道を照らしている。
「……ん?」
広場のように開けた場所で、俺はふと足を止めた。
そこには、一体の銅像が建っていた。台座の上に立つ、一人の女剣士。長い髪を靡かせ、剣を胸の前で静かに構えている。鎧姿ではあるが、どこか神聖な雰囲気があった。
「始まりの聖剣士の像だ」
俺の視線に気付いたのか、ヒョウガが説明する。
「さっき話した逸話に出てきた、あの女剣士の像だな」
「へえ……」
近くで見ると、像はかなり丁寧に作られていた。剣も鎧も過剰な装飾は無い。むしろ実在した戦士をそのまま形にしたような、不思議な現実感がある。
何故だろう、ただの銅像のはずなのに妙に目が離せなかった。
「いい像だろ?」
突然、後ろから声がした。振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。
年齢は四十代くらいだろうか。無精髭を生やし、少しくたびれた外套を羽織っている。
そして、その目は——黒かった。ディザスターのような血のにじむ赤でも、アリスやヒョウガのような澄んだ青でもなく、俺の感覚では、ごく普通の、人間らしい黒色の瞳だった。
「始まりの聖剣士様は、この世界を救った英雄だからなぁ。こうして像を見るだけで、なんだか安心するって奴も多いんだ」
「……へえ」
俺もつられるように再び像を見る。
「まあ、俺としてはアリスさんの銅像も建ってほしいんだがな。俺たち村の人間からしたら、あの人だって十分英雄だ」
男は腕を組みながら語った。どうやらアリスは、この村でかなり慕われているらしい。
「やはりそうですよね!やはり貴方は実に賢明な人だ!」
案の定ヒョウガのテンションも上がる。なんともわかりやすい。
「ははっ。けど、銅像なんて簡単には作れねえよなぁ」
男はそう言って、始まりの聖剣士の像を改めて見上げた。
「この像だって、もう二〇〇年くらい前に作られたものらしいしな。今の俺たちじゃ、こんな綺麗に石を彫る方法すら分からねえ」
男は自嘲気味に笑った。
すると、それを聞いていたヒョウガが、思い出したように口を開く。
「ああ、言い忘れていた。彼こそがタナシマさんだ」
「……え?」
どうやら、いつの間にか目的の人物と喋っていたらしい。
「なんだ?俺に何か用があるのかい?」
「実は、アリスさんから、タナシマさんが貴重な剣を持ってるって聞いて来たんです」
「あぁ、あれのことかい。……そんな大したもんでもないんだけどねえ」
「まあいいや、気になるってんなら見せてやるよ」
タナシマはそう言って踵を返す。
「ついてきな」
どうやら、銅像のすぐ近くにあるあの家がタナシマの家らしい。
木造のこぢんまりとした家だが、外には綺麗に薪が積まれており、手入れは行き届いているように見える。
タナシマの後を追い、俺達は家の裏手へ回った。そこには、小さな木造の倉庫が建っていた。
「この中だよ」
タナシマはそう言いながら、古びた扉を開ける。中には農具や薪、使わなくなった家具なんかが雑多に置かれていた。
どうやら本当にただの倉庫らしい。その奥へ進むと、壁際に長い布で包まれた物が立て掛けられていた。
「これこれ」と言いながらタナシマは慣れた手つきで布を外す。現れたのは、一振りの剣だった。
「……これが?」
思わずそんな声が漏れる。確かに剣ではある。だが、特別な力を感じる訳でも、神々しい装飾がある訳でもない。
刀身にはうっすら錆が浮いており、柄の革もかなり擦り切れている。言ってしまえば、“古い剣”。それ以上でもそれ以下でもなかった。
「代々うちに伝わってるらしくてなぁ……ご先祖様がどっかで手に入れたとか聞いたが、詳しいことは俺も知らねえ」
「……確かに。聖剣でもなんでもない、ただの剣だな」
ヒョウガも剣を眺めながら眉をひそめる。今まで見た聖剣達は、どれも一目で異質だと分かる存在感があった。
冷気を纏う剣。影を揺らめかせる剣。
だが、この剣にはそういったものが何もない。
「だから言ったろ?大したもんじゃねえって」
「……ちょっと持ってみてもいいですか?」
「ん、かまわんよ」
タナシマさんから剣を受け取った。
「もしよかったら、この剣を使って試し切りとかを……」
俺がそこまで言いかけたその時、
「な、なんだありゃあ!!!」
外から焦りを含んだ大きな声が聞こえてきた。
「今の声は……?」
「気になるな。一度外に出よう」
俺たちは倉庫を出た。そして、その光景に足を止める。外では、明らかに異常なことが起きていた。
アリスが作り出した"影の檻"。外敵であるディザスターから村を守るための、絶対的で優しい防壁。
それが今、崩れ始めていた。だが、俺はそれの現象を崩壊と呼んでいいのかも分からない。
影の壁は砕け崩れ落ちるのではない。まるで最初からそうであったかのように、奥のほうから静かに赤い花びらへと置き換わっていく。
それは風に揺られ、空へと散っていた。やがて、その変化は村全体を飲み込み——気付けば影のドームは跡形もなく消えていた。
代わりに差し込んでいたのは、久しくこの村が浴びていなかったであろう陽光だった。
本来なら人を安心させるはずの暖かな光が、今はむしろ村人たちの心を一気に凍らせていく。
「……そんな、馬鹿な」
タナシマさんが呟く。
目を見開いたまま、その場から動けないでいる。信じられないものを見た顔だった。それは、この状況がどれほど異常なのかを、何より雄弁に語っている。
ヒョウガの顔を見ても同じような表情だ。いや、アリスを師と仰いでいる分、むしろ彼の方が強く動揺しているようにも見えた。
そうして、かつて“影”だったものだったはずの花びらが、俺たちの頭上へと降り注ぐ。地面を埋め尽くしていくそれは、あまりにも不気味だった。
「一体何が起きてるというのだ……!」
「これってまさか……」
「ああ、おそらくディザスターの仕業だろう……この花びら一枚一枚から災力を感じる」
ヒョウガは花びらを睨みつける。特殊な能力を持つ得意個体のディザスター。話に聞くそれが近くにいるというのか。
「この"影の檻"は、五年間一度も破られたことがなかった。それをこうも容易く破壊するなど……只者ではない」
「取り合えず、アリスさんの元に戻って——」
俺がそう言いかけた瞬間、ドスン、と重い足音が響いた。そこにいたのは、ヒョウガが以前倒した大型ディザスターよりもさらに巨大な個体だった。
人型に近い形をしているが、胴体は異様に細く、その代わりに肩と腕だけが不釣り合いなほど発達している。特に両腕は丸太のように太い。だというのに、手首の辺りだけは逆に骨みたいに細く、不安定に繋がっていた。
まるで無理やり別の腕を継ぎ接ぎしたかのような、どこか“壊れた人形”を思わせる不気味な異形。その怪物から、村人たちが必死に逃げ回っていた。
「ディザスター……!」
俺が息を呑んだ次の瞬間には、ヒョウガがすでに剣を抜いて飛び出していた。
ディザスターは大きな腕を振り下ろし、ヒョウガを叩き潰そうとする。しかしヒョウガはそれを軽く躱し、そのまま懐へ滑り込んだ。
鋭い一閃で胸部を切り裂く。命中はした。だが、浅い。同時に聖剣の能力――凍結も発動するが、前回ほどの広がりはない。
まるで“何かに押し返されている”ように、氷が途中で勢いを失っていた。これが災力の強さということなのか。
それでもヒョウガは動じない。跳ねるように位置を変え、攻撃を避けながら確実に斬撃を重ねていき、じわじわとディザスターの体が凍りついていく。
「すごい……!」
思わず声が漏れた。その横で、タナシマが静かに口を開く。
「強いだろう、あいつ」
「ヒョウガはな、アリスさんの強さに惚れて弟子入りしたんだ。聖剣に選ばれるよりずっと前からだ」
「アリスさんも見た目に反してスパルタでな……毎日容赦のない修行でよ。あいつ、まだ十五のガキだったんだぞ」
「それでも投げ出さずに続けてた。俺たちはたまに差し入れのおにぎり持って見てたよ」
まるで成長した孫を見るかのような目で見つめている。タナシマの目は、まるで成長した孫を見るように細められていた。
逃げていた村人たちも同じように、戦いを見守っている。巨大な敵を前にしているはずなのに、そこには妙な安心感すらあった。
「今じゃ聖剣にも選ばれて、あんなに立派になってな……」
タナシマは空を見上げる。
「多少トラブルがあったのかもしれないが、この村にはアリスさんとヒョウガがいる。それだけで十分だよ」
ヒョウガもまた、アリスさんと同じように信頼されているらしい。二人がここまで積み重ねてきた時間の重みが、そこには確かにあった。
改めて戦場を見ると、ディザスターはすでに全身が凍りつき始めていた。このままいけば、勝つのはヒョウガだ。
村人たちの空気に影響されたのか、俺もどこか安心しながらその光景を見ていた。
その時だった、ディザスターが突然動きを止める。まるで何かを探すように、周囲をゆっくりと見回し始めた。
「何処を見ているッ!」
隙を逃さず、ヒョウガが地を蹴る。空中からの一閃。だが、ディザスターはそれを巨大な腕で受け止め、そのまま力任せに薙ぎ払った。
ヒョウガは吹き飛ばされるが、空中で体勢を立て直し、軽やかに着地する。
その一瞬の間に、ディザスターは重い足音を響かせながら、別方向へと歩き出していた。
「ど、どこへ行く気だ!」
そこで気付く。
その先に――茂みの中で身を潜める、小さな少女の姿があった。
「しまった……!」
「まずいッ……!」
俺とヒョウガの声が重なる。
ヒョウガは急いで少女の元に向かうが、間に合わない。ディザスターの巨大な手が、少女を掴み上げた。
「くっ……!貴様ッ!!」
少女は泣き叫ぶ。しかしディザスターはそれを殺さない。代わりに――ヒョウガへ見せつけるように、空高く掲げた。
「まさかあいつ……脅してるのか!?その少女を人質にして!」
卑怯という言葉が脳裏をよぎる。だが同時に、それ以上に信じられないものを見ていた。
ディザスターは“理解している”。この少女が、ヒョウガの動きを止める存在だと。ヒョウガの表情が、わずかに揺らいだ。
「っ……!」
その一瞬の迷いを逃さず、ディザスターは再び襲いかかる。少女を掴んだまま、腕ごと叩きつけるように振るう。
ヒョウガが反撃の構えを見せれば、すぐさま少女を盾のように突き出す。戦場の空気が、明確に変わっていった。
「グハッ……!」
隙を突かれ、ヒョウガがディザスターの蹴りをまともに受ける。そのまま大きく吹き飛ばされ、今度は受け身も取れず地面を転がった。
「ヒョウガ……!!」
空気が変わった。さっきまで優勢だったはずなのに、一瞬で形勢が逆転する。
加勢するべきか――そう考える。
だが、人質がいる以上、下手に動けば少女が危ない。むしろ刺激して、握り潰されでもしたら終わりだ。
万事休す。そう思った瞬間、脳裏にあの時の光景がよぎった。
――最初に石を使った時。
青く光った石。そして、離れた場所にいたヒョウガへ届いた“衝撃”。
「……もしかして」
俺はディザスターを見る。倒れたヒョウガへ止めを刺そうと、怪物はゆっくり歩いていた。
俺は腰の錆びた剣へ手をかける。鞘を押さえ、柄を強く握った。
――あのディザスターを斬る、“武器”として。
その瞬間、剣が青白く輝き始めた。
「なんと……!」
タナシマが目を見開く。ディザスターもまた、突然湧き出てきた聖力に反応したのか、慌ててこちらを振り向いた。
「貴様……何を――」
「ヒョウガ。ここは俺に任せてくれ」
ディザスターは再び少女を脅すように掲げる。だが、むしろ好都合だった。
狙うべき場所が、ハッキリと見えるのだから。
「ハアアアアアアアアッ!!」
居合のように、一気に剣を抜き放つ。
あの時の石は、遠く離れたヒョウガの剣へ衝撃を飛ばした。
『触れた武器を聖剣化する』のは、おそらく副次的な現象。
俺の聖剣そのものの力は――“斬撃そのものを飛ばす力”。
次の瞬間、青白い斬撃の光が、一直線にディザスターの腕を走り抜けた。
ズバッ――と。
まるで空間ごと断ち切られたみたいに、巨大な手首が宙を舞う。
一拍遅れて、怪物が絶叫した。自分の手が斬り落とされたことを理解したのだ。
ヒョウガは即座に飛び込み、落下する少女を抱き留める。そのまま優しく地面へ下ろした。そして振り返る。怒りを宿した青い瞳でディザスターを見据えながら。
当のディザスターは手を斬られた事への怒りに震えている。その元凶が俺だということを直ぐに理解し、こちらに向かおうとした。
「私の事を忘れないでもらおうか――災厄」
氷結剣が、背後から怪物を貫いた。すでに全身へ広がっていた氷が一気に内側から侵食する。耐えきれずそのディザスターは完全に凍りついた。
「オラァッ!!」
俺はそこへ追撃を叩き込む。青白い斬撃が凍った巨体を砕き、ディザスターは粉々に崩壊した。
「よっしゃあ!!」
俺は勝利を確信し、思わず声を上げる。すると、ヒョウガがこちらへ歩み寄ってきた。
「おい、"アスター"」
ヒョウガが、初めて俺の名前を呼ぶ。
「……その、感謝する。貴様のおかげで、ディザスターを倒すことが出来た」
なんと喜ばしいことか。
ついに、終始俺をディザスター扱いしていたヒョウガが、心を開いて俺を認めてくれたのだ。
「礼には及ばない――俺たちは、仲間だろう?」
「か、勘違いするな!そこまで認めた訳ではないッ!」
顔を赤くしながらヒョウガが叫ぶ。どうやら完全に心を開いた訳ではないらしい。
まだ何かが足りてないのだろうか。そう考えた時、ふと思い出す。ヒョウガは、アリスを褒める話になるとやたらテンションが高かった。
つまり、アリスを称える事こそ、ヒョウガ攻略の鍵なのでは?俺は真理へ辿り着いた。ならばやるべき事は一つ。人間賛歌――改め、“お師匠賛歌”だ。
俺は腕を天高く上げ、大きく息を吸い込み、熱唱リベンジをしようとした、その瞬間。
今しがた倒したディザスターの残骸から、赤色の煙が立ち昇る。煙は生きているみたいに蠢き、そのまま俺へ纏わりついた。
まさか、またあの声が聞こえるのか?と、そう思った直後。視界が、真っ白な光に包まれた。
「なんだ……!?」
眩しさに思わず目を閉じる。そして再び目を開くと――そこは、見知らぬ空間だった。
白い霧が漂っている。足元は柔らかく、まるで雲の上に立っているみたいだった。現実感のない、静かな場所。
そして、そんな空間の中心に一人の女性が立っていた。
「はじめまして。ようやく会えましたね」
その姿を見た瞬間、俺は目を見開く。――村で見た、“始まりの聖剣士”の銅像。
目の前の女性は、その姿と瓜二つだった。
アスター
――斬撃を飛ばす力を持つ?




