尻軽女のクリスマス
「多分、母性に目覚めたと思うのよ」
「母性」
テスト代わりの課題をうちに持ってきた絵麻さんにこの前の話をすると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされた。
「明人君が泣いてるのを見ると、優しくしてあげなきゃとか、そばにいてあげたいと思うの。きっとこれは母性本能ってやつじゃないかしら?」
「……そうねえ。北原は大丈夫だと思うけれど、そういうのにつけ込んでくる男もいるから将来気を付けて」
「明人君以外の男性と付き合ったりはしないと思うから大丈夫よ」
段階的に外にひとりで出る訓練をしてるけど、まだ男性店員さんとか少し怖いし、そもそも彼氏がいること自体がイレギュラーなのだから、今後明人君以外と付き合うことはないと思う。
「そういうところが心配なの」
解せない。
私の尻は軽いけれど、ガードそのものはそんなに低くないと思うのに。
「ところで、うちで手芸部員を集めてささやかなクリスマスパーティーをする話のことなのだけど」
「終業式終わったその足でこちらに集まるってスケジュールでまとまったわ。アイラは一足先に実家に帰ってしまうから不参加ね」
「まさかこんなに早くターキーを焼ける機会ができるとは思わなかったよ」
絵麻さんの発案で昼間に小さなパーティーをしようと言われて、私はとてもわくわくしている。
「麦野さんがエプロン持参するようだから、任せられるところは任せてしまいましょう。ホストだからといって鹿波さんだけにやらせたりはしないつもりよ」
「お願いするね」
「ケーキは北原と唯花ちゃんが予約済み。私が手配したターキーは前々日くらいに届くわ」
それなら後は飾り付けとかの準備をすれば大体いいのかな?
プレゼント交換はしないし。
「友達とクリスマスパーティって初めてだけど、わくわくするね」
「私も初めてだから、どう進めるのが正解なのかわからないわ」
パーティは楽しく過ごすのが一番で正解なんてないのだろうきっと。
折角だしと先日買うか悩んでた電気無水鍋も買ったから、当日までにもう少し慣れておかないとなあ。
「きっと正解じゃなくても楽しいよ」
「そうね……そうだ、パーティが終わった後、ふたりで二次会をしない?」
「二次会?」
「アルコールありで」
「いいね、それ」
肉体は高校生だけれど、精神はお互い成人しているし、クリスマスなら少しくらいは飲んでおきたい。
となると、つまみになるようなものも必要か。
「お酒はどうするの?」
「私が用意するわ。どうせお歳暮でもらいものが余りまくってるはずだし」
絵麻さんちなら把握できないほどお歳暮が届くのだろう。
きっと一般家庭が貰うような缶チューハイとかビールの詰め合わせじゃなくて、日本酒とかワインとかウイスキーとかだな。
割り材も用意するか。
生前と同じくらい飲めるのかわからないし。
各自準備をしつつ、その日を迎え、とても楽しく過ごすことができた。
プレゼント交換はしないはずだったのにみんなサプライズと言って私にプレゼントを用意してたのよ。ちょっと酷くない?
だから私もこっそり用意してたプレゼントをみんなに渡したけれど。
考えることが似ているのかしら?
人が多いからなのか唯花ちゃんも豹変したりせず、明人君と仲良く話していた。
治療が進んで私も心に余裕ができてきたのかもしれない。
絵麻さんが持ち込んだ高級なフルーツジュースはそれはそれは高級とわかる濃厚なもので、みんなおかわりはしなかった。
わかる。高そうな瓶に入ってるジュースを普通に飲むのは勿体ないよね。
すごく美味しかったけれど、普通の高校生なので市販のペットボトル入り炭酸ジュースのほうが安心する。
麦野さんだけはお腹が膨れたころにおかわりして、その後ちびちび飲んでたな。なんとなくウイスキーをゆっくり飲んでる人みたいで、将来は酒飲みになるのだろうかとか思ってしまった。
また冬休み明けに学校で、と別れた参加者を見送って絵麻さんとふたりになったので、いそいそと二次会の準備を始める。
「軽めのスパークリングワインと、ウイスキーと日本酒を持ってきたわ」
「飲み切れないのでは?」
「日本酒は余ったら料理に使ったら? 鹿波さんは料理酒じゃなくて料理用清酒使う人でしょ?」
ラベルを見て、料理用にするのは恐れ多いなあと思う。こんなの普段使いしてたら破産するわ。
「ウイスキーはアイリッシュ・コーヒーにして飲めばいいのよ。まだしばらくは寒いのだし」
このウイスキーも高そうだなあ。
「じゃあスパークリングワインから飲むか。確か両親のフルートグラスがあそこの戸棚辺りに……」
「プラカップでもいいわよ」
「冗談かな」
ふたくちサイズくらいのトマトのブルスケッタを用意して、本日2度目の乾杯をする。
あまりワインは得意ではないけど、このスパークリングワインは飲みやすい。
「イタリアのワインなんだね」
「うんフランチャコルタ。毎年結構な種類貰ってて、誰も飲まないから余ってたんだけど、もっと早く飲んでおくべきだったわ」
全部鹿波さんちに持ち込んでおこうかしら、とか呟きが聞こえてきた。いや、今は高校生なので飲むのはこういうときだけよ。
飲み始めて判明したけれど、我々はほろ酔い程度でいくらでも飲める体質だった。一応酔ってはいるのでザルではないのかな?
「ヒロイン補正なのかも」
「確かに、少年漫画のラブコメヒロインが泥酔するのはまずいか」
「そういうのを描いてる作品もあったけどね」
「ヒロインが嘔吐しないマンガで良かった」
少なくとも明日の朝に寝ゲロとともに目覚めることはない。
様々な体液まみれで目覚めることはあったので油断したら胃液にまみれてるかもしれないが。
ふわふわと軽い酩酊が気持ち良い。
年明けには学校へ行っても大丈夫そうだと言われたから、楽しみだなあ。
早く登校して、またみんなと過ごしたい。
「鹿波さん幸せそうね」
「そうねえ、絵麻さんとふたりで楽しくて幸せかも」
「それはなにより。私も幸せよ」
「冬休みは絵麻さん忙しいって言ってたよね。大きい家だと行事が多そうだ」
「親戚挨拶だけで死にそうになるわ」
一緒に年越ししてみたかったけれど残念だ。
まあふたりで過ごすだけならたまにこうやって泊まってもらえばいいか。
ふいに絵麻さんが腕を伸ばして、私の頭を撫ではじめた。
「鹿波さんはもっと幸せになっていいんだからね。私ももっと幸せな鹿波さんを見たいし」
「なれるのかしら」
「なれるよ。恋愛をしてもしなくても、誰が隣にいても、不幸だなんて思わなければ大体幸せってことでいいんだし」
それくらいならできるかもしれないな。
絵麻さんの手の優しさを心地好く感じながら、微睡むような空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
また1ヶ月以上あるのに街がクリスマスめいてきて、今が何月なのかわからなくなりつつあります。
仕事で12月の発注とかしてるしなあ。




