尻軽女は歩み寄る
いつの間にか朝の空気がひんやりとするようになり、ちょっとゴミを出しに外へ出るだけでも上着が必要な季節になっていた。
明人君から昨日送られてきた写真もデンマークカクタスの花だったので冬の始まりを感じる。
文化祭が終わった後にビデオチャットでクラスメイトの顔を見て、目標を持って治療に臨んだところ、この頃私はだいぶ良くなってきたらしい。
勿論心のことなので断言はできないようだけど。
ステップアップして身近な信頼できる男性との接触を増やしましょうと言われたので、今日試しに絵麻さんが明人君を連れてうちに来るようだ。
身近で信頼できる男性と考えたときにまず明人君が浮かんだので、私は案外彼に心を許しているらしい。
学校が終わった後だからまだ時間に猶予はあるけれどどきどきする。
ちゃんと向かい合って怖がらずにいられるだろうか?
今まで明人君から送られてきた写真を見返しながら、自分に言い聞かせる。
会いたいの一言も言わずに、自分から距離を置きつつ、そのまま疎遠にならないように写真を送ってくれた。
そんな明人君を怖がる必要はない。彼は私を傷付けたいと思っていない。
信じてもいいと、説得する。
知ってはいたけれど、私の心はなかなか頑固だった。
連絡をくれた時間ぴったりに絵麻さんがやってきた。
それからドアの陰に隠れるようにしている明人君も。
「明人君、久し振り」
声をかけるとそっと顔を覗かせた彼は、記憶の中の彼よりまた背が伸びたように思う。
男子三日会わざれば、だっけ。用法は違うけれど。
「久し振り……鹿波さん」
それだけ言って言葉に詰まり、まだ玄関先だというのにはらはらと涙を溢し始めた彼に慌てる。
怖いとは思わなかった。
だから泣く子をあやそうと駆け寄って、抱きしめる。
「……ごめん、俺……こんな、泣くとか……」
出会った頃は私より身長が低かったのに、夏に身長抜かされてからまだ伸び続けるなんてずるいなあ。
そのうち頭を撫でられなくなっちゃうじゃない。
「どうやら顔合わせは心配いらなかったわね。でもここは寒いからそろそろ上がらせて頂戴」
絵麻さんがそう言いながら苦笑している。
「あ、うん上がって。明人君も中にどうぞ」
なんだろう。
会えなくなる前、私ってどういう風に彼に接していたのかしら?
意識すると態度がぎこちなくなってしまう気がする。
久し振りだから変に気負っているのかもね。
外気で冷えた体が温まるようにはちみつジンジャーラテを振舞って、一息つく。
どこか落ち着かなかった気持ちも、かなり鎮まってきた気がする。私も緊張していたのだろう。
話を聞くと文化祭が終わった後も治療に専念させたいと絵麻さんと明人君が唯花ちゃんを抑えていたらしい。
というか明人君は唯花ちゃんが私と寝たことを本人から聞いて、かなり頭を抱えたそうですよ。
幼馴染から見てもちょっと様子がおかしいということで、不用意に私の話題を出したりして刺激しないようにしているとか。
……大丈夫なのかな唯花ちゃん。
デートなどで明人君とふたりきりのときは落ち着いているので、今はまめにデートしてるんだって。
小一時間ほど話した後、先に帰ると絵麻さんが席を立った。
明人君が俺もそろそろと言い出したところを絵麻さんが制止して、折角だからもっと沢山話しておきなさいと言う。
「鹿波さんもまだ大丈夫よね? 辛くなってないでしょ?」
「うん、明人君なら大丈夫みたい」
「ふたりっきりで会う機会が次はいつになるかわからないのだし、今は私がいるから平気だったのかもしれないし、できるときに試しておいたほうがいいと思うよ」
確かにそれは試しておいたほうがいいかもしれない。
絵麻さんがいたから平気ってことなら学校生活への復帰までの時間がまた変わるだろう。
とはいえ、絵麻さんを見送ってふたりきりになると、また変に緊張してきて困る。
怖いとかはないのに。
でもなんだかよくわからない感覚があって、自然であろうとするほどぎこちなくなってしまう。
「えっと、鹿波さん。その差し出してる手は?」
「さっきは思わず抱きしめてしまったけれど、普通に手を繋いでも平気なのか気になって」
どうしていいのかわからないから、触れてみようと思った。
手を繋いだままソファーに移動して隣り合わせで座ると、さっきより落ち着いた気がする。
「なんかちょっと緊張する。鹿波さんと普通に手を繋ぐのって初めてだし」
そういえばそうかも。
思い出してみても情事のときしか私たちは手を繋いでいない。
でも、こうやって普通に手を繋ぐのは悪くない気がする。手が温かいし。
「会えなくなって、一日千秋って言葉を思い知ったよ。会いたくて、でも会いたいなんて言ったら鹿波さんの負担になるから言えなくて……ずっと寂しかった」
「毎日メッセージくれてありがとうね。明人君が送ってくれる写真のお陰で取り残されたような気持ちにならなくて済んだの。きっと写真がなかったら私も寂しくて仕方なかったと思う」
私と明人君の寂しさの種類は違うけれど、寂しくさせたならお礼も兼ねてなにか埋め合わせしないといけないな。
「なにかしたいことある? 寂しかった分、今日はリクエストがあれば聞くよ」
「鹿波さんの家でやる部活動に、今度から参加してもいい?」
「いいよ」
「今夜は鹿波さんが作った夕飯食べたい。必要なら買い出しは俺が行くから」
「いいよ」
「嫌だったり怖かったりしたらすぐにやめるって約束するから、俺から抱きしめたい」
「うん、どうぞ」
私が応えると繋いでいた手をほどいて、そのまま力強く抱き寄せられる。
うん大丈夫。この腕は怖くないみたい。
「今日会ったときも思ったけど、すごく痩せてて心配だから、ちゃんとご飯食べて」
「食べてはいるけどねえ」
学校に通っていたときよりエネルギーを使ってないせいか、食べる量は減ったかもしれない。
「しばらく……こうしててもいい?」
「いいよ……明人君がこんなに泣き虫だったなんて私知らなかったよ」
さらに強くなった抱き締める力とは裏腹に、か細く震える声を聞いて、彼もずっと怖かったのだと私は知った。
その日は不思議な夜になった。
まるで普通の恋人のようにじゃれつくだけのバードキスを繰り返したり、新婚夫婦のようにキッチンで隣り合って片付けをしたり、服を脱ぐことなく同じベットに入り、なにもしないまま腕の中で朝を迎える。
私にとって生前を含めても初めてのことばかりだ。
不思議と楽しくて、お酒を飲んだときみたいにふわふわとして、悪い気分じゃない。
朝食を一緒にとったあと、帰る彼を何事もなかったように見送って、さっきまで彼が座っていた椅子を撫でて、朝の冷気に逃げていく体温を惜しむ。
寂しさを寒いと感じるのも初めてのことだった。




