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Cool Struttin'

「からすの小屋」は、今や音楽で食べていくことを望んでいる若者なら、誰もが知っているライブハウスである。隠しトビラによって大事なライブの練習時間を確保できた、かのグループだけでなく、現在メジャーで生き残っているおおくのアーティストが、「からすの小屋」のライブ直後、大ブレイク、華々しいメジャーデビューをかざった。

『「からすの小屋」でライブをできれば、ミュージシャンになる夢が必ず叶う』

音楽関係者、業界をこころざす若者たちの間で、ジンクスができあがった。安定、成功が約束されている世界ではない。「からすの小屋」のジンクスにあやかりたい、と考える人々によって、出演オーディションへの応募はふえる一方である。

しかし、「からすの小屋」が都内随一の人気ライブハウスである理由は、『ジンクス』だけではない。むしろ、演奏者たちが、一生で1度はここでライブをしたいと願うのは、こちらが大切な要素だろう。

スタジオ練習、ステージで使用できる機材、楽器の質が群を抜いているのである。

ギターアンプ、ベースアンプ、ドラムセット、ステージピアノ、メインスピーカー、メインアンプ、モニターアンプ、キーボードスタンドから、ワイヤレスマイクにいたるまで。世界の一流ミュージシャンがライブ用として採用しているメーカーの中でも、とくに価格帯が高い品がそろっている。



トビラを開けた先に広がったスタジオの奥、ライトの光を受け反射する機材を見て、祥平は違和感をおぼえた。

(ラディックじゃない)

ドラムセットが昨日までの練習に使用していたものと異なっていた。

祥平がキーボードを担当しているバンド《ライムズ》のドラマー、ジュリアンは他のことにはまったく頓着しないのだが、なぜか使用するドラムメーカーにだけは強いこだわりを見せる男だった。

「Ludwigじゃなきゃ、練習もstageもやらない。俺はぜったいにぜったいにやらないからな」

本人曰く、アメリカ生まれアメリカ育ち。留学生としてつい1年前に来日したばかりのはずだが、バンドを組み始めて、言語的な問題でコミュニケーションに困ったことがないほど、日本語が堪能。アニソンから演歌まで日本の音楽にも造詣がふかい。性格もユーモアがあって、なおかつ

「こいつほんとは、23歳じゃなくて、88歳なのでは?」

と周りに疑われるほど、泰然自若。温厚篤実。

そんなジュリアンが、眉をつよく寄せ、初めて聞かせたうなり声混じりの一言。

通常であれば、“ラディック”“ステージ”と、カタカナの発音ですら完璧なのに、あの時は英語としてパーフェクトに発音された。

彼の育ってきた環境、世界がいままで自分達が育ってきたそれとは異なっていることをつよく感じさせられた。

キーボードをウォーミングアップのつもりで軽く鳴らしながら、祥平は、あのジュリアンがドラムメーカーに対してだけは、なぜあのように語気荒く、こだわりつづけるのか、ふわふわと考えを巡らせていた。

メンバーとしてぜひ加わってほしいとこちらから申し出たときのあの発言には、ジュリアンよりよほどクセがある当時の仲間たちでさえめんくらい、一瞬顔を見合わせた。

「からすの小屋」のオーディションを受けることなど、到底考えられないグループ創生期のころの話だ。練習できるスタジオを好みで選び、ドラムのメーカーまで指定できるような名の知れたグループではなかった。ラディックを確実に使用できるライブハウス、スタジオを調べ、音楽を志望する若者としてはめぐまれた環境であるはずの東京で、練習場所の確保にずいぶん苦労した。



キーボードから《ブランデンブルク協奏曲 第5番 第1楽章》が響いてきた。ジュリアンについて考えていた脳が覚醒する。

今居るところを思い出した。

(また、クラシックになってる)

深く思考しているときの癖だった。明日のセットリストをなんとなくさらっていたはずの指が、勝手にバッハを弾いている。

指の感覚は鮮明になった。自分の肩からかぼそい糸が無数に手の爪先まで伸びている。肩から向こうは脳にダイレクト接続。

これで今日明日もじぶんの思うとおりに動いてくれるだろう。

今度は明日のセットリストに集中し、弾きなおそうと決めたところで、スタジオとステージをつなぐドアが開く。

10時。

思っていたより来るのが遅い。

これは、いい傾向だ。

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