8.エミルとヒール
陽の光が、庭に咲く花を輝かせるように降り注いでいます。この世界にはまだ慣れませんが、朝は等しく訪れるのを感じ、少し安心しました。
レイカさんとタケルさんは朝から大学へと行っています。高等教育をする学校です。
私の世界では高等教育を受ける人はほんの一握りです。お2人とも優秀ですね。
朝食はレイカさんが作ってくださいました。私もこれから、少しでも皆さんのお役に立てるよう、色々学んでいかなければ。今、まずできることと言ったら、レイカさんと昨日約束した、庭の花への水やりでしょうか。
私はジョウロに水を溜めました。
この世界では、井戸に水を汲みに行かなくても、水道と蛇口というものがあって、取っ手を上に上げると水が出ます。他にもひねるものや、自動で水が出るものもあるとか。本当に便利な世界です。
サンダルを履いて、庭に出ます。小さなサンダルと思っても、今の私には少し大きなくらいで、まるで自分が子供に戻ったような気がします。エミコさんは、小柄で華奢な女性です。
そういえば、レイカさんからエミコさんの年齢を聞いて驚きました。私の世界では50歳でこんなに若々しく綺麗な方はなかなかいません。考えてみればレイカさんもタケルさんも洗練されています。
花もよく手入れされています。全て見たこともない花で新鮮です。大切にされているのが感じられて、水やりも楽しくなります。
「あ……」
命があるものなので仕方ないのですが、もう咲き終わりの頃の花が枯れかけていました。悲しい気持ちになって、ため息が出ます。水をやりながら、あれこれと考えました。
そして、ふと思いつきました。
「あ! ヒールを使ったらどうでしょう?」
ヒールは、聖なる力で傷を回復することができます。
やってみる価値はあるでしょう。
問題はエミコさんの力で魔法が使えるかどうかですが、幸い微量ですがこの世界でも魔素は感じられます。
まあ、ものは試しですね!
私は指で空中に魔法陣を描きました。簡易的な魔法なら杖なしでも魔法陣さえ描けば発動できるのです。
ぱあっと花の周りが明るく光りました。
使えました!
花は少しずつ元気を取り戻していきました。
いつものように効果が出ないのはやきもきしますが、それは仕方がありません。魔法が使えただけで十分です。
魔法が使えるかどうかは、魂の資質によって決まると言われています。私の世界でも、魔法を使えるのは一部の人間だけです。
エミコさんの体でも、魂は私なのでもしやと思いましたが大正解でした。
嬉しくなった私は、庭の花だけでなく樹木に至るまで、できる限りヒールをかけ続けました。
「……ふう。やっぱりこの体ではこれが限界でしょうか」
それでも、気になるところはほぼヒールできました。
私は満足して、家の中に戻りました。
「ただいまー。エミルー、飯買ってきたよ」
玄関から声がしました。部屋の扉が開いて、タケルさんが入ってきました。
「おかえりなさい。今日は早いんですね」
「午後の講義とってないから、今日はもう終わり。バイトも休みだし家でゆっくり休むわ。エミルから異世界の話も聞きたいし」
タケルさんはソファーのそばにリュックを下ろすと、食卓に袋を置き、キッチンの水道で手を洗いました。
「そうですか。じゃあたくさんお話ししますね」
私は嬉しくなって、タケルさんのそばに行きました。この世界の同年代の男性と話をしてみたかったのです。
「じゃあその前に昼飯食おうぜ……って、何あれ。庭がすごいんだけど」
タケルさんが庭を見て、驚いた様子で言いました。
「すごいですか?」
「なんつったらいいんだろ? とにかくすごい。なんであんなに庭中が生い茂ってんの?」
「ああ、試しにヒールをかけてみたんですよ」
褒められた気がして、私は思わず得意になって言いました。
「マジで? 母さんの体で魔法使えんの?」
「はい、魔素を取り込んで変換して放出するだけなので。試しにやってみたらできました。ただ効果は落ちてましたし、回数もそれほど使えませんでしたが」
「いやいや、それでも十分すげー! ってか花とか木にも使えんだ。え、じゃあさ、この前ぶつけてあざになってるとこあんだけど、それも治せる?」
タケルさんはかなり興奮した様子で、大きな声で言いました。この様子を見て、やっぱり魔法はこの世界にないんだなと実感しました。
「治せますよ。あ、でも庭で限界まで使ってしまったんで、少し休まないと使えませんが」
「飯食えば回復する?」
「はい。食事で回復します」
「じゃあ早く食おうぜ! ここのパン、美味いからおすすめ!」
「はい!」
この世界の食事はどれも美味しいのです。私は初めて食べるこの世界のパンが楽しみでした。
食卓を片付けて、お茶を飲んで一息つきました。やっぱりパンは美味しくて、特に生クリームとチョコレートのパンが最高でした。
「エミル、もう魔法使えそう?」
タケルさんが待ちきれないといった様子で私の方を見ています。全快とは言えないけれど、今なら何度か魔素の変換もできるでしょう。
「できますよ。あざを見せていただけますか?」
「もういける? ここなんだけど」
タケルさんは身を乗り出すようにして右腕の肘のあたりを見せてくれました。私は手をかざして集中します。
柔らかな光があざを覆います。
「あ、なんかあったかい! 気持ち良!」
やはりいつもよりは時間がかかるものの、しっかりと治療できました。
「すげえ! エミル、ありがと! ねえ、ところでヒールってどこまで効果あんの? そこの花瓶の花も元気ないじゃん? いける?」
「切花ですか……。試したことないですね」
「じゃあやってみてよ」
「はい」
花瓶の前にきました。タケルさんも後に続きます。
言われるまで気づきませんでしたが、確かに少し花びらの先がしおれ、下を向いてしまっています。
私は花に向かって手をかざしました。
ぱあっと光ります。
少しずつ花は元気を取り戻しました。
「すげえ! じゃあ、じゃあさ、このテーブルの傷とかは? これ一応木製だし!」
「……難しいと思いますが、やってみましょう」
「エミル、わかってんな!」
しかし、ぱあっと光に包まれた傷は、残念ながらなくなることはありませんでした。
「お役に立てず、すみません」
「いいよ、ダメ元の実験じゃん。あ、俺の虫歯とかも治せんのかな?」
「虫歯ですか」
私は口元を見ました。タケルさんは口を開けようとしましたが、
「あ、待って、歯磨いてくる」
と言って、バタバタと走って洗面所に向かって行きました。
そういえば虫歯の治療はしたことがありません。歯は復活するのでしょうか?
それとも歯が抜けた後に生えてくる?
「お待たせ!」
タケルさんは戻って来るなり口を開けました。ほんのりミントの香りがします。
「じゃあやってみますね。あ、少ししゃがんでください」
「あい、よろひふ」
口を開けたまま話すこともないでしょうに。
私は微笑ましく思いながらヒールをかけました。
どの歯かわかりません。全部いっちゃいましょう。
口からヒールの光があふれ出ているのは、なんだかおかしな光景です。私は笑いを堪えて治療を続けました。
「どうですか? 治ってるでしょうか?」
「わかんない。痛くないけど、虫歯あるって歯医者で言われただけだから」
「ふふふ。じゃあ次にお医者さまにかかるまでわかりませんね」
「でも効いてる気がする!」
「それは良かったです」
私たちはその後も、思いつくままにヒールをかけ続けました。
正直に言いますとだいぶ疲れましたが、自分でもヒールの効果と限界が知れて有意義な1日となりました。




